第45話
ハイアットにとって、屈辱以外のなにものでもなかった。自分の偽者を作られることはおろか、それを死霊魔術、つまりどこかの死体を使ったが許せなかった。
ただ、それがハイアットに、ある人物を思い起こさせた。
「まさか、とは思うけど」
ハイアットが思い描いた人物は一人しかいない。だが、ハイアットとは行政区分も違えば、文官としての等級も違うので、接点がない。そもそも、その人物は、ハイアットについてさほど知らないはずだ。
「でも、飛びこまなきゃ、先へは進めない」
ハイアットは、それまで行ったことがない首席宮廷魔術師であるデ・モンドがいる魔術研究室に飛び込んだ。
「失礼だぞ」
デ・モンドは机の研究書から目を離すことなく、ハイアットを叱責した。
「申し訳ありません、首席宮廷魔術師様」
ハイアットはこの肩書をあまり好まない。単純に長すぎるのが面倒なだけなのだが。
「例の件か?」
「はい。あの後、ムーラの客人の一人である狼族の男より、重大な情報を手に入れましたので、報告に上がりました」
「なんだ?それは」
「実は、ムーラでのゴードン卿暗殺を試みた『私』と、私とでは匂いが違うそうです」
匂い、という言葉に何か思ったのか、デ・モンドは研究書から目を離し、ハイアットを見つめる。そして、机から離れ、ハイアットに近づいた。
「匂いの違いは何だ?」
「もう一人の『私』からは、ニリトワの卵の腐った匂いがした、といいました」
「……、死霊魔術か」
「はい。私は、死霊魔術は使えません。というより、魔術は全般的に苦手です。私は単なる役人ですから、支障はありません。ですが、死霊魔術を使うには、相当の魔術の技量が必要だと聞いたことがあります」
「私だ、とでも言いたいのか?」
ハイアットは黙ったまま、顔を動かさなかった。否定とも肯定とも取られることを防ぐためだ。
「……、私ならば、条件がはあうか。それ相応の技量を持ち、ボールド・ゴードンについてよく知っている。そして、お前とも接点がある」
「……、はい」
「だが、一つ抜けていることがある。私がよく知っているのは、お前の祖父であるルース卿であって、ハイアット・ルースではない。死体に細工をする死霊魔術を使う場合、似せるためには、相手の何かがいるはずだ。例えば、髪の毛や爪、肉片。私とお前との間で、どうやってお前の『何か』を手に入れられるのだ?」
いわれて、ハイアットは気付いた。確かに、普段から接触がないデ・モンドに、ハイアットの髪の毛などを採取することは不可能に近い。
「で、ですが、例えば誰かに指示を出した、とか、考えられませんか」
「もしそうだとしたら、私はまずお前ではなく、もっと別の人物の物を手に入れるだろう。でなければ、魔術力をふんだんに使う死霊魔術の無駄になるではないか」
デ・モンドは、話が終わった、とばかりにハイアットを手で追い払った。研究の邪魔だ、とでも言いたいのだろう。失礼します、とぼそり、とハイアットは言って、部屋を後にした。
デ・モンドの言い分自体には納得できるものはある。だが、
「なによ、無駄になる、なんて」
まるで、ハイアットの事は眼中に入っていなさそうな口ぶりが、部屋を出たハイアットには、どうにも釈然としない。
これで分かったのは、デ・モンドの言い分を信じれば、デ・モンドは無関係ということになる。そして、ハイアットが知っている限りの、デ・モンドの人となりを考えれば、恐らくこの推測は正しいだろう。
となると、これ以上の適任者はいなくなる。少なくとも、条件をすべて満たす者は、デ・モンド以外には考えられないからだ。そうなると、誰がハイアットをつかって、ゴードン卿を暗殺させようとしたのか。
内政省の自分の机に戻ってひとまず仕事を片付けようと試みても、自分にかけられた『冤罪』が気になって手につかない。するとナイアが、上司からハイアットに呼び出しがあった、という報せを持ってきた。
ハイアットが上司の机に向かうなり、上司は、
「ハイアット。君は、暫くの間、内政省の仕事を禁ずる」
という通達を突きつけてきた。
「理由は、わかるね?」
「あの、私は。……」
「分かっている。君が、そんな大それたことをするような人ではないことくらいはね」
といい置いて、
「これは、皇帝陛下の思し召しでもある。ここのところ、ムーラ併呑を狙う拡大派が暗躍しているのは知っているだろう?これまで表立って手を出せるような状況ではなかったが、あのゴードン卿を狙ったことで、皇帝陛下は重い腰を上げられた。どちらにせよ、この事件を解決できれば、おそらく等級昇格は間違いない」
と、耳打ちした。
「皇帝陛下は、拡大派が起こした、とお考えなのですか?」
「恐らくはね。ただ、まさか君が使われるとは思わなかった。よほど使いやすいのかもな」
「わかりました。では、そちらに専念するため、暫く内政省の仕事は休ませていただきます」
「そうしてくれ。引き継ぎだけは頼むぞ」
ハイアットは、ナイアに仕事の引継ぎを頼んだ。ナイアは、
「大変よね。いわれもないことで仕事を取り上げられちゃって」
「ホント、いやになっちゃう。余計なことに巻き込ませないでよって」
「巻き込まれる?」
「うん。……、ほら、このところムーラを飲みこもうっていう拡大派?っていうのがいるじゃない?」
「拡大派。……、聞いたことがあるわね」
「その連中がさ、私をまきこんでいるかもしれないって」
「誰が言ったの?」
「いや、誰とかじゃなくって、噂でね。それにしてもいい迷惑よ」
「本当ね。……、資料はこれでいいの?」
「ええ。後は。……」
ナイアに引継ぎを終えたハイアットは、自宅にはに戻らず、『女神の涙』に向かった。
「どうだった?」
フレデリックが出迎えると、ハイアットはフレデリックが使っているベッドに腰を下ろし、
「ひとまず種は撒いたけど、デ・モンド首席は違うと思う」
「で・もんど殿とは?」
「この国の首席宮廷魔術師という、ムーラで例えるならば、ゴードン卿のような地位にある人ね。まあ、騎士団とか嫌いな人だけど、それなりの哲学は持っている人よ」
「で、そのデ・モンドなる御仁が下手人ではない、というのは何か拠って立つものがある、と?」
「下手人?」
恐らく、犯人の事かと、とアーフェルタインから教えられたハイアットは納得したようにうなずき、
「デ・モンド首席は魔術の技量はレザリアでも屈指の実力だし、私とは接点がある。でも、首席は、私を死霊に使うのは『無駄だ』と言いきったの。そこまで言う人が嘘をつくとは思えない。……、それにしてもさ、狼族」
「エファルと申す」
「エファルだか何だか知らないけど、その口調、何とかならない?勿体ぶったような言い方だし、犯人のことを下手人とかさ。もう訳がわかんない。狼族って、そんなしゃべり方じゃないでしょ?」
「よくいわれ申すが、さりとて長年の癖は簡単に治り申さず」
「……、もういいわ。で、デ・モンド首席はなし。でもそうなると、実力としては、誰もいないことになる」
なるほどね、とフレデリックはハイアットの言い分を納得して飲み込んだようだった。
「確かに死霊魔術はじつに高等な技術だけど、でも、魔術の技量がなくても、出来る方法はある」
「あ。……、巻物か」
「そう。魔術を施した巻物を使えば、少なくとも、魔術の技量に関係なく、死霊魔術を使うことはできる。そうすれば、条件は、ハイアットに接点があって、近しい人たちということになる」
「だとすれば、内政省の人たちということになるけど、仲間を疑うのは気が引けるなぁ」
「でも、そうしなければ、君は疑われたままだ」
ハイアットは黙りこくった。明らかに迷いが表情から出ている。
「どうしますか?ハイアットさん。私たちがこの先を引き受けるという手もありますが?」
「いや、大丈夫。……、私がやらなきゃ誰がやるのよ?」
ハイアットが宿を後にした。
「ずいぶんと、気の強いお嬢さんですね」
「ええ。そこが彼女のいいところであり、時には傷になるのですけどね」
「人間というもの本当に面白い生き物ですね。勉強になります」
「エルフにも気の強いのはいるでしょう?それと同じことですよ」
「いや、エルフの場合は気が強いというより生意気なだけですから。……、それよりも、犯人の事ですが、我々も」
「そうですね、動きましょう。ハイアットのいうことが正しければ、犯人は巻物を使っている。問題は、その巻物をどうやって調達したか、ということになります」
「巻物を買ったか、あるいは作成したか」
「巻物を作成する場合、死霊魔術を使うほどではないにせよ、魔術技量は相当に必要になります。それに、巻物を作る手間は単純ではなく、実に複雑な手順を踏みます」
「そんなに複雑ですか?」
アーフェルタインは意外そうな声をあげたのへ、フレデリックは苦笑した。
まず、手順としては、空の羊皮紙を用意し、専用のペンとインキで魔法陣を描く。そして死霊魔術のような場合は、さらに依代をその上に乗せて、詠唱をすることで使役できる。そして大事なのは、羊皮紙に描く魔法陣は『完全』でなければならない。間違いは言うに及ばず、ほんの少しのカスレ、線の太さの違い、図形の歪みも許されない。エルフは元々そのような図形を得意としているので、さほどの困難はないが、人間にとっては極めて特殊な技能といえるのだ。
「なので、業者に頼んで買ったほうが早くて安上がりになるケースがほとんどです」
「ということは、買い上げた業者を調べればわかるかもしれない、と?」
「まあ、それが遠回りのように見えて、存外近道かもしれませんね」
「では、その業者を探しましょう」
ええ、とフレデリックが答え、三人は市場に繰り出した。
市場は、魚や果物、野菜、肉などが並べて売られていたり、別の路地では武器や防具、魔術師が使う道具の店が軒を並べている。
更に裏路地へと入っていくと、仲が全く見えない店だったり、店主が見るからに怪しそうにみえたりして、不穏な店の通りになっている。
「ほう、商いと申しても、色々とありまするな」
「そうですね。この辺りは、恐らく表で堂々と出来ないのでしょうね」
「その、先程あった、まほうじんの商人は、どのような商いでござろうか?」
「いや、魔法陣の店自体は大丈夫なのですが、今回のような死霊魔術を使うものとなると、やはり表では堂々と商売はできないでしょうね」
「それで、なにか符丁のようなものはありまするか?例えば屋号のような」
「魔法陣の店の場合、羊皮紙をかたどった看板がかかっているはずですが。……」
フレデリックがあたりを探していると、風にあおられた、巻物を模した看板が揺れているのが見えたので、三人はその店に入った。
店の中は何もなく、客もいなかった。店主であろう人物が店の奥に置物のようにして座っていて、その前に日大きな机があり、羊皮紙が広がっている。
店主はフードをかぶっていて顔が見えないが、見るからに小柄だ。
「……、いらっしゃい」
声は女のように聞こえる。
「卒爾ながら尋ねる。商人、死霊魔術を使うまほうじんを作れるか?」
「え、エファルさん」
店主がぎょっとして、固まっているのへ、フレデリックが慌てて止める。
「何か?」
「いや、そのような尋ね方だと向こうも警戒しますよ」
「ああ。……、そうであったな」
作れるよ、店主は答えた。
「うちはちゃんと鑑札を貰った真っ当な商売をしている。だから、気軽に尋ねてくれるといい」
これに戸惑ったのはむしろフレデリックだった。
「あ。いや、死霊魔術は禁忌ではないにせよ、敬遠する人が多いのに、気軽にするものですか?」
店主がニヤリ、と笑ったことが、フレデリックにとってはどうにも薄気味悪いらしい。
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