第40話
バディストン領内に、フレデリックが入るのは生涯で初めてだった。そもそも、ムーラ以外の土地を踏んだこと自体、子供の頃に父に連れられて神聖帝国レザリアに入っただけで、その記憶も殆どない。
「ここが、マクミットの。……」
フレデリックが眺めていると、アレックスが言った。
「存外、普通ですね」
「魔物の国じゃないのだから、当然といえば当然だよ。さて、それよりもこれからどうするかだな」
「ロクレニウスという人物をどうやって探すか、ですね」
「ああ。我々は、この国に伝も何もない。そう考えて行動しよう」
「そうなると、伝を作る所から始めることになりますが、人探しとなると、やはり、宿で依頼を出すのが正攻法になるでしょうね」
「となると、一番大きい宿に依頼を出すのが手っ取り早いな。ここで一番の宿というと、どこだろうか」
「聞いてきましょう」
アレックスが方々に尋ね歩いて聞きだした答えは、『黒い翼』という宿だった。二人は早速『黒い翼』に入った。
宿のあるじはドワーフだった。フレデリックがあるじに、
「人探しを依頼したい」
というと、あるじは羊皮紙を出した。そこに依頼主と依頼内容を書き込め、という。
「ロクレニウスという人物を探しているのか?」
「そうです」
「立ち入ったことを聞かないのがこの手の話だが、報酬はいくら出す」
「金貨で三十枚、でどうだ」
あるじは羊皮紙を睨み付けたまま、動かない。
「少ないのか?」
「……、あんた、本当に人探しか?」
「ああ、そうだ」
「間違いないな?例えば、人探しといっておいて、殺しの依頼とか、そういう手合いじゃないだろうな?」
「なぜ、そんなことを聞く?」
「たかが人探しで、金貨三十枚が褒賞として多すぎるんだよ。この手の話には裏がある。やるならそういう所でやってくれ、うちは真っ当な商売なんだ」
「こちらも真っ当に探しているんだよ。……、実はな、緊急なんだ」
「緊急?」
「人の命がかかっている。そのロクレニウスという奴を確保できれば、人ひとりの命が助かるんだ。だったら、それくらい安いものだろう?」
ああ、そういうことか、とあるじは警戒を解いた様子だ。
「わかった。金貨三十枚というからには、よほど大事な仕事なんだろう。もし、引受人が現れた時、紹介料はレザリア銀貨五枚だが」
「それくらいなら大丈夫だ」
「よし、成立だ。あとは、引受人がでてくるまでいるといい。紹介料はその時もらう」
あるじは宿の掲示板に依頼書を張り付けた。
引受人が来たのは翌日のことで、元盗賊だという女が一人だった。
「狐族のメルダロッサだ。人探しだって?」
「ええ。よろしく頼みます。私は、フレッド。彼は、用心棒でアスラといいます」
アレックスが軽く会釈をする。
「で、あてはあるのかい?」
「いや、どこにいるのか見当がつかないのだが、この出身だと聞いてはいるんだ。もしかしたら、戻っているかもしれないと思ってね」
「なるほど、じゃあ、しばらく探してみるよ。期限は何日だ?」
「十日だ。もし見つからなかったとしても、金貨は五枚出す。悪い話ではないと思うよ?」
「気前がいいんだな、あんた。それで、そいつの特徴は?」
「老人、というくらいかな」
「……、だから金貨三十枚なのか」
「ああ、少し待っても、君しか引受人が現れなかった。難しいかもしれないが、よろしく頼む」
「わかったよ。出来る限りのことはするさ」
フレデリックは、宿で十日、待った。その間、メルダロッサとかいった引受人からの連絡は一切なく、アレックスが、
「来ないと考えるべきでしょう」
といったが、フレデリックは、あくまで待つ、といって譲らなかった。十日の期限がすぐそこまでやって来た、夜も深くなった頃に、メルダロッサが、息を切らし、全身に傷をつけて宿に現れた。
「どうした?それは」
メルダロッサは、フレデリックの胸ぐらをつかみ、
「お、お前。とんでもない依頼を出しやがって」
といったきり、気絶した。フレデリックが逗留している部屋にメルダロッサを運びこんだ時、バディストンの衛兵たちが宿に乗り込んできた。どうやら、賊がヘクナームの館に入り込んだ、という。
「どういう姿だ?」
「狐族か狼族か、そんな連中だ。顔はよくわかっていない。ただ、手傷を負っているのは確かだ」
宿のあるじの顔を見た衛兵たちは、あるじににじり寄ると、フレデリックの逗留している部屋を指さした。フレデリックが衛兵の前に立つ。
「おい、賊を匿っているらしいな、出せば見逃してやる」
「先ほど耳にしたが、手傷を負っているということだったな?」
「ああ、間違いない」
「では、どうぞ」
衛兵が乗り込むと、そこには元気はつらつとして、食事にありついているメルダロッサとアレックスがいた。
「あれで、手傷を負っているように見えますか?」
「しかし、狐族。……」
「ええ、確かに彼女は狐族ですが、それだけで捕まえるとなると、間違っていた場合、どうなるのでしょうか?ましてや狼族かもしれないといったほどのあやふやなことでは、捕まえることはできませんよ?」
衛兵たちはないも言い返すことが出来ないまま、宿を後にした。
「さて、今のうちにここを出ましょう。メルダロッサさん、話と報酬は後です。それと、報酬、少し上乗せさせていただきます」
フレデリックは、あるじに紹介料と宿賃を払い、宿を引き払った。そして外に出、少し郊外に向かって歩いた。
「アレックス、ここからムーラまで飛びますよ」
「『瞬間移動』は本人しか」
「その為に巻物を用意しました。数枚作っておいて正解でした」
フレデリックはアレックスとメルダロッサにそれぞれ一枚ずつ渡し、魔術陣の描いている表を広げて地面に置き、その上に立った。フレデリックは詠唱しつつ、二人の手をそれぞれ握ると、風が隠したように掻き消えた。
「存外早かったな」
というゴードン卿の声が聞こえた。
「本当、魔術って便利ですね」
アレックスがそれまでいた場所から全く違う、しかし身なれたゴードン家の屋敷の風景を見ながら、感心していた。
「やってみるか?アレックス」
「私にはそのような適性がない事くらい、御存じじゃありませんか」
「そうかな?本当に適性のない奴は、巻物すら使えないものだぞ?」
ゴードン卿は意地悪い笑い声でアレックスをからかった。
「で、フレッド。首尾はどうだった?」
「ああ、それで、狐族のお嬢さんに助けてもらいました」
と、メルダロッサをゴードン卿に紹介した時、メルダロッサは、一人の狼族の顔を見るなり、
「おっさん!!」
と、なんとも言えない声をあげた。
「おお、あの時の狐娘か。いや、一瞥以来だったが、健勝そうでなにより。盗っ人稼業はやめたのか?」
「あ、あれからは真っ当な事しかしてねえよ。現にこうやって、人助けをしてだな」
そうそう、とフレデリックが後に続いた。
「ええ、彼女は仕事をしてくれました。……、貴方がエファルさんですね。私はフレデリック・ゴードン。このボールド・ゴードンの息子です」
「おお、御嫡男でござったか。それがし、狼族のエファルと申す。今度とも、よしなにねがいたい」
「……、え。ええ、こちらこそよろしくお願いします」
戸惑うフレデリックに、
「面白い男だろう」
とゴードン卿が大いに笑った。
「さて、話を聞こうか」
ゴードン卿がメルダロッサに尋ねると、メルダロッサは依頼を受けた直後から話し始めた。
「とにかく、探すのが大変だった」
と切り出したメルダロッサは、『黒い翼』を出て、まずはバディストンで知り合った仲間から情報を聞いた。
ところが、その道に明るい仲間であっても、ロクレニウスという老人の名前は聞いたことがなかったらしい。その仲間は、
「もし偽名だとしたら、何か裏があるはずだから、気を付けるべきだ」
と忠告をしてくれたが、依頼の手前、メルダロッサは続行することにした。
「偽名を使っているなら、裏の世界に通じているかもしれないと、俺は思った」
「俺などと、はしたない言葉を使うでない」
「うるせえな、狼男。黙って聞け」
メルダロッサは、裏の世界、つまり元の盗賊の伝を頼った。そこで分かったのは、やはりロクレニウスというのは偽名で、本名はロクサーヌという男だった。
ロクサーヌ、という名前について、エファルは、
「それがしの憶えていることで申さば、たしかろくさーぬなる人物は、ヘクナームと所縁の有る人物であったように思うが」
「ああ、その通りだよ。ロクサーヌってのは、バディストンで権力を振るっているヘクナームの血縁で、方々に旅をしていたらしい」
「恐らく、そのロクサーヌという人物は、旅をしながら、各国にバディストンが有利になるよう工作の種を撒いていたのでしょうね」
フレデリックの考察に、ゴードン卿が頷いた。
「そこから問題だった。俺は、ロクサーヌってやつを調べようと、ヘクナームの館に乗り込んだ」
ずいぶんと無茶をする、とエファルがいうと、
「ああ、だからこっぴどい目に遭ったよ。あそこ、ヘクナーム以外には誰もない様だったが、あれは、誰かいたような気がする」
「ちゃんと見たのか?」
フレデリックの質問に、メルダロッサは頭を振った。
ただ、メルダロッサの嗅覚は、誰かがあの屋敷に居たのは間違いないらしい。
「マクミットかもしれない」
「待て、フレッド。マクミットだと決まったわけじゃない。それに、あの子のことだ、何とか逃げおおせているだろうさ」
「そうだとよいのですが。……、でこれからどうします」
「フレッド、アレックス、それと。……、メルダロッサだったな。ご苦労さんだった」
ゴードン卿は金貨が四十枚ほど入れてある皮の小袋をメルダロッサに渡そうとした。メルダロッサが手を伸ばして受け取ろうとすると、ひょい、と持ち上げてすかした。
「ジジイ!」
「まあ、そう怒るな。どうだ、もう一つ仕事をせんか?もしできれば、もう一つこれと同じ小袋をやる」
「バディストンにはもう行かねえぞ」
「そこに行くことはない。ガストンとサバンスという二人の館に忍び入って、証拠を探してほしい。恐らく、二人はロクサーヌとやり取りをしているはずだ」
「なぜ、そう言えるんですか?父さん」
「そりゃ、ロクサーヌからすれば、ガストンとサバンスは体の良い手下だからな、何かあるにつけ、連絡を取り合っていると考えるのが自然だろう。ましてや今回のような事が起れば、指示を仰いでいるとみて間違いないだろう。あの程度の出来なら、それくらいは考えるだろうよ。……、どうだ狐族の娘、やってみんか?まあ、バディストンに潜り込むことを思えば、寝ている赤子の頬を触るようなものだ」
「本当だろうな」
「割の良い仕事だと思うぞ?」
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