第39話

 本来、魔術研は、相応に適性の高い人物だけが入所できる場所だった。だから、適性試験は、魔術適性の高い入所希望者ににとってさほど難しいものではない。それでも、倍率が二百倍を超える超難関の機関になっているのは、それだけ選別基準が厳しく高いためで、それだけで、この大陸における魔術王国としての優位が確立されている。


 それがいつからこのような事態に堕したのか。

「私が入所する頃にはすでにありましたよ、無論、私はそのような所を使ったことはありませんが」

 ミラージュが言う。


「そのようなところで励まねばならないような、適性の低い者はどうあっても難しいだろう」

「ええ、仰る通り。ですが、適性試験を繰返せば、いずれ対策を講じて、それを元に商売を考える輩が出てくるのは必然でした。サジェル先輩や、ゴードン卿は、そもそも才能が豊かすぎるのです。だから、このようなものは使わなくても入ることはできるでしょう。ですが、そうではない人たちの方が圧倒的多数なのです」

「論争をするつもりはない。だが、それならば、そもそも来るべきではないと思う」

「でもそうすると、いずれ魔術研は消えてなくなります」

「……、あれか」

「あれです」


 魔術研の入所の条件は、『魔術適性が高い』という極めてあいまいな文言が一文、あるだけで、他にはない。それが大前提だからだ。これは種族の如何を問わない、ということの担保でもあった。

 ところが、それでひとつの小さな、極些末な問題が起きた。


 それは、魔術研の殆どがエルフ族に埋め尽くされ、人間は、サジェルや、ゴードン卿といったごくまれに、それこそ突発的突出適性を持った人間以外は入所が出来なくなっていった。魔術研の本来の目的は、この大陸に『常にあるもの』としての魔術を研究し、他の分野に応用をする、あるいは魔術を解明し、立証することで、汎用性を高めることなどだが、それには魔術適性の高い者を採用するという傾向がある。


 そうなったとき、人間の国で、いうなれば国家機密の塊といえる魔術研に、国家に属さないエルフ達が主流となっているのは、喜ばしいことではない、という、サジェルたちにとっては、如何にも突飛な、言葉を選ばずにいえば無知で浅薄な意見が、評議員の中から生まれた。


 無論、当時の王はそれについて最終的には否定し、一旦は収束したが、結局ごり押しともいえる方法で、『人間の種族における』という付帯事項がつき、それに応じてエルフ達は一斉に魔術研を辞し、出て行った。


 その結果、魔術研究はとみに遅れ、同時に、入所できる者が極端に少なくなった。そうなると、魔術研の研究者は更に少なくなり、一方で、適性が高くないのに、その立身や栄誉栄達という、本来とは全く違う目的で入所を志望する者たちが増えた。

 しかしながらそのような連中は当然入所が出来るはずもないのだが、いつのころからか、対策を専門とし、それを生業にする者たちが出始めた。いずれも、入所が叶わなかった者たちによるものだった。


「愚かだ、実に愚かだ」

「ええ、評議員たちのあの意見も、おそらく後ろ盾になっている者たちが、圧力なり金を握らせたりして通したのでしょう。ガストンとサバンスも、その手の入所者です」

ガストンとサバンスの二人は、恐らくその手の、つまり適性試験対策のために家庭教師か、民間の機関を使った可能性がある。



 サジェルは、ガストンとサバンスの二人を自分の執務室に呼んだ。

 上級魔術審問官から呼び出されるのは、たいてい不手際があったか、人事の内々の話かのいずれかが多いので、二人の表情は非常に堅苦しいものになっていた。


「まあ、それほど硬くならず、聞きたいことがあって呼んだまでだ」

「はあ」

「つかぬ事を聞く。嫌味に聞こえたらすまないと思うが、君たちは、その、試験対策のために何か準備をしたのか?例えば、専門の民間の機関で修練をした、とか」

「話がよく見えません」

 サバンス・アイビンが少し不快そうな声を出したのへ、ガストンが窘めた。


「サバンスは分りませんが、私は、親から専門の元魔術研という話の人をつけてもらったことがありました」

「サバンスは?」

「私も、同じです」

「その元魔術研の者とはどこの誰で、種族は?」

「それを、答えなければなりませんか」

「大事なことだ。魔術研究所にとっても、我々魔術審問官にとっても、魔術捜査官にとっても。もっといえば、国家にかかわることといってよいだろう」

 サジェルは、自らの言葉を、随分壮大にけしかたものだ、と心の中で笑った。


「それならば、お答えしますが、私は、サウスという町にいる、ロクレニウスという人間族の老人です」

「え?ガストンもなの?」

 サバンスも同じロクレニウスという老人に教わっていたらしい。

「わかった。さがってよろしい。……、それから、もしかすると、もう一度呼び出すことがあるかもしれないが、その時はよろしく頼む」

 分かりました、と二人は不思議そうな顔をして出て行った。


「ロクレニウス、か」

 ガストンが言うには、元魔術研の人間だということだ。

 サジェルは再び魔術研のミラージュと面会した。

「ロクレニウス?」

 サジェルからその名を聞いたミラージュは、しばらく思い出そうとして考えていたが、

「聞いたことがない」


 と頭を振った。そして、すべての入所者の経歴が載っている名簿を出し、ロクレニウスという名前の人物を調べ上げたが、そのような名前の者は在籍していない、という。


「適性試験に落ちた手合いか」

「それならば、受験名簿にも載っているはずですが、そちらにも名前はありませんね」

「つまり、適性試験を受けたことがない」

「にも拘らず、二人の人間も入所させている。その人物はよほど魔術に長けていて、体系を理解しているということですね」

「そのようなことが出来るのはエルフくらいのものだが、エルフの名前ではないな。なにせ、エルフの名前は特徴的だからな」

「偽名、ということは?」

 ありえるな、とサジェルは頷いた。

「だが、なぜ偽名を使う必要がある?商売自体は真っ当なのだから。……」

 そういいかけて、サジェルは、ゴードン卿の言葉を思い出していた。

「サウスの町に行くしかないな」

「上級魔術審問官殿が、直々に?」

「ええ、それをしなければならないほど、私にとっては重大な任務なのだよ」

「まあ、深くは聞きませんが、お気をつけて」



 サジェルにとってサウスの町は、懐かしさが伴う。

 かつて、サジェルはまだ魔術研に居た頃、この町にいる一人の青年を、魔術研にスカウトするべく派遣された思い出がある。いまからどれほど前の話か、思い出せないほど昔の話だ。


 サジェルにとっては、その青年が、この町での唯一の手掛かりになる。サジェルは青年がいた家を思い出しつつ到着した。

 青年はいなかったが、父親は老齢ながらもまだ住んでいた事が、サジェルにとっては大きな助けになった。


「サジェル様には世話になっていたのに」

 と、青年の父親は事ある毎に申し訳なさそうにしていたが、

「いや、適正と志望は違うものだ。ちなみに……?」

「ああ、あいつは、今は神の森より南で暮らしていますよ。それより、何か?」

「実はな、ロクレニウスという人物を探している。この町で、魔術研入所の手伝いとか何かをしているらしいのだが」

「ロクレニウス?あの怪しい爺さんのことかね」

「爺さん?」

「ええ、もうその爺さんはいないが、確か、バディストンの出だったな。ある日突然いなくなったんで、よくは知らないですがね」

「なるほど、バディストンか」

「それが何か?」

「いや、少し確かめたかったことがあるだけだ、あまり気にしないように」

 そうですか、と父親は特に気にする様子もなかった。

「それでは失礼する。いつまでもお元気で」

「ああ、お気遣いありがとうございます」


 ロクレニウスがバディストンの出身である事の証言を手に入れたことで、ゴードン卿の睨んだことは、ひとまず当たりそうだが、その為にはロクレニウスという人物の正体を知る必要がある。


「バディストンか」

 バディストン、となると、サジェルはこれ以上の捜査は出来ない。上級魔術審問官という立場では、国外に出ることは叶わないからだ。といって、ゴードン卿は被疑者である以上、当然に表に出すことはできない。


「となると、彼しかいないか」

 サジェルはゴードン卿の邸宅に向かった。そしてそれまでの経緯を話し、

「君に行ってもらいたいんだ、フレデリック・ゴードン」

「わ、私ですか」

「ああ、君以外に誰もいないんだ。ロクレニウスという人物の正体を探ってほしい。私が知っている限りの場所は、バディストンだ。あくまで、ロクレニウスの正体を探るんだ。わかったね」

「分かりました。それで父の容疑が晴れるならば」

「頼む。次の審問は十日後を考えているから、そのつもりで」



 フレデリック・ゴードンは、ゴードン卿の護衛をしているアレックス・ライトとともにバディストンに潜入するべく、工作を始めた。身分が露呈しないように身なりを変え、旅の冒険者という事にした。フレデリックはフレッド、アレックス・ライトはアスラ、という偽名にした。


 バディストンに潜入するには、まずヘーゲン砦が大きな障害となる。そのヘーゲン砦はかつてエファルが中央突破を試みて、それが成功したような貧相なものではないことはすでに分かっている。見張りの巡回は密になっていて、バディストンの正規の将校も常駐するほどの要塞になっている。


 ヘーゲン砦を避けるならば、獣道などを踏破しなければならず、大きな回り道になる。

「あえて捕まるという手もなくはないか」

「つ、捕まる?」

 アレックスがそれを聞いて目を白黒させた。捕まれば、間違いなく砦に備え付けられているであろう牢に放り込まれるか、運よくバディストンに入れたとしても、恐らく大きな制限を受けるだけで、とても本来の目的を達成することは難しいだろう。


「僕は、魔術師だよ?」

「そりゃ、あなたはそうだろうけど、俺はそうじゃない」

「二人分ほどならどうにかなるさ。それに、派手にするのはあまりよくないだろ。だったら素直につかまれば印象にも残らないさ」

「ずいぶんと無茶を言う。まあ、それでゴードン卿の命が救えるならやすいものか」

「そういうことさ。さあ、行こう」


 二人は堂々と砦の鉄扉の前に立った。門番が止まれ、と槍を突き出した。

「ここは?」

 フレデリックがとぼけたように尋ねた。門番は、ここはバディストンの領内で、ヘーゲン砦であること、そしてこの街道は封鎖されていることを告げた。


「封鎖?聞いているか?アスラ」

「ああ。……、いや」

「どういう事だ?我々は、東の獣人の町に用があるんだ。そこにいる娘を連れだしてほしい、という話を受けている」

 門番は戸惑いつつも、どういう事情であっても、通すわけにはいかない、といった。


「どうあっても通さない、と?」

「そういうことだ、さっさと帰れ」

 門番の態度を見たフレデリックは、それまでのにやついた顔を一変させ、無表情のまま、門番を殴りとばした。もう一人の門番が襲いかかってくるのへ、今度はアレックスが体当たりで門番を突き飛ばした。

 砦の守衛兵がやって来たのはそれから間もなくのことで、その時には二人は神妙にした。


 二人はそのまま砦の衛兵長の前までひきたてられた。

「こいつらか?門前でなにやら騒ぎを起こしたのは」

 衛兵長は二人の顔を睨み付けるように交互に見つめ、

「ひとまず、牢に送っておけ」

 といった。すると衛兵の一人が、すでに牢は本国から送られてくる反逆者たちで一杯になっていて、入れる余裕がない、といった。衛兵長は、


「しょうがねえ」

 と舌を鳴らして、手の平を二人に出した。

「金貨二十で手を打ってやる。まあ、単なるいさかいらしいからな、それでどうだ。銀貨ならレザリア銀貨で百枚。どっちが得かわかるよな?」

 フレデリックは余裕綽々に金貨を渡した。

「ずいぶんと持っていやがるな」

「依頼の前金だ。これで全財産がなくなった」

「まあ、身から出た錆だ、仕方ないだろ。そrねい、本国でも仕事はあるから、そこで稼ぐことだな」

 衛兵長は衛兵に合図を送ると、衛兵は二人をバディストン領内にまで連行し、解放した。

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