第38話
ボールド・ゴードン卿がムーラに戻らざるを得なかったのは、ムーラの本拠、魔法城で異変があった、という緊急の報せが、逗留している宿にもたらされたからだった。
ゴードン卿は、邸宅に戻ってから城に向かおうとした。だが、それをフレデリックに止められた。
「今、城は危険です」
フレデリックがいうには、以前ゴードン卿たちによって排斥された七名の評議員たちの魔術審問が行なわれたが、その七名のいずれも、審問の結果、無罪という判決が出た。それによって、今度は先の一件の首謀者であるボールド・ゴードンを、国家反逆罪で指名手配することに至ったのだ。
「ですから、父さんは城に行くことはおろか、この国にいる事すら危ないのです」
ゴードン家の邸宅の呼び鈴が鳴った。
「思ったより早かったな」
ゴードン卿が出ると、来訪者は、サジェル・ナイマン上級魔術審問官だった。サジェルはゴードン卿とはムーラ魔術研究所の同窓で、ゴードン卿とは十周期ほど年下になる。サジェルの後ろにはゴードン卿を捕縛するための部隊が数人控えていた。
「サジェルか」
「ゴードン卿、国家反逆罪の嫌疑がかかっています」
「聞いたよ、フレッドからな」
「貴方への審問は私が行いますので」
「わかった。こっちは老人だ、お手柔らかに頼むよ」
サジェルが捕縛を命じると、ゴードン卿は大人しく神妙にして、魔法城の地下牢に入れられた。サジェルがフレデリックに言った。
「厳しいものになるかもしれない。その為の覚悟だけはしておいてくれ」
「わかりました」
魔術審問とは、魔法城内にある審問室と呼ばれる部屋で行われる。審問室には被疑者、魔術審問官、衛兵の三人しか入ることが出来ない。
「ゴードン卿、こちらに座ってください」
魔術陣の中央にある木製の粗末な椅子にゴードン卿が座る。
「で、国家反逆罪とはなんだ?」
「評議員七名を拘束するにあたって、虚偽の犯罪事実を作り上げた、という評議員たちからの告発ですね」
「それで国家反逆罪とはな」
「まあ、この国にとって評議員は、たとえその制度に欠陥があったとしても、国の根幹を形成するものですから、それに対する反逆、ということでしょう」
「馬鹿馬鹿しいことだ」
全く、とサジェルはつぶやきながら、驚く衛兵の顔を見ると、せきをひとつして、
「では、審問を始めます」
と、宣言をした。
サジェルは、拘束された七名の罪状である反逆、正確にいうとこれも国家反逆罪だが、これについて尋ねた。
「なぜ、この七名が国家に仇をなすと言う判断に至ったのか」
「この七名については、バディストンのヘクナームという男と通じている、という情報があったためだ」
魔術陣に反応はない。
「その情報はどこから仕入れましたか」
「情報源の秘匿は基本だぞ、サジェル」
「ですが、それを明かしてもらわなければ、論拠は非常に薄くなります。下手を打てば、貴方自身が体制転覆に動いた、という判断にもなります」
「たとえそのためにこの皺首が飛び、息子が死んでも悔いはない」
ゴードン卿の怖いほどの目力と真向に対峙しているサジェルは、
「それでは、あなた方が永久に不名誉を刻まれることになりますぞ」
といった。
「それでも結構。国が守れるのであればな」
「頑固ですね、相変わらず」
「生まれた時からこんな男さ、だから不器用なやり方しかできない」
「ずるがしこいやり方ができるなら、そもそもこの場にいないでしょう、貴方は」
サジェルは呆れたように笑った。
「どうしても、情報源は明かすことが出来ないと」
「当然だ。向こうにも迷惑をかけたくないからな。それよりも、ひとつこちらからも聞きたいことがあるが、よいか?」
「本来であれば質問は許されませんが、まあいいでしょう。何ですか?」
「なぜ、例の七名が無実に至った?」
「魔術審問の結果です」
「魔術審問の結果は、どのようにして出る?」
「結果は、魔術審問時における魔術陣の反応と、担当した魔術審問官の判断に寄ります」
「その七人を担当し魔術審問官は誰だ」
「担当したのは二人で、ガストン・ホエイルと、サバンス・アイビンですね」
「その二人の経歴を調べたか?」
「二人は生まれてからムーラの地を一度も離れたことがない、生粋のムーラの民ですが」
「出自は」
そう問われたとき、サジェルは、ゴードン卿の意図を、
「まさか、ガストンとサバンスが、バディストン側に与している、と?」
「可能性はある、かもな」
衛兵が信じられない、と首を何度か振った。
「魔術審問とて完全無欠ではない。いくら魔術陣で嘘を見破れるようにしても、審問官の質問の段取り次第では、『嘘をつかぬ嘘』が容易にできる。所詮、人が人を裁くのだ、そこに完璧はない」
「そんなことはない、と信じたいですが」
「信じたいのであれば、それを信ずるに足るまで調べ上げてみろ。もしその時、何も出てこなかったときには、潔く首を落とせばいい」
サジェルは何も言わず、ただ、
「魔術審問はこれで終了です。後は、法の判断が下るまで、屋敷にて謹慎願います」
と、ゴードン卿を審問室から出し、屋敷に戻した。
「よろしいのですか?」
衛兵が汗をかきつつ尋ねると、いいんだ、とサジェルは取り合わず、
「これから少し忙しくなるな」
と愚痴のようにつぶやいた。
サジェル・ナイマンとボールド・ゴードンとの関係は二人が魔術研究所での同窓であることと、年齢としては十ほどサジェルが下であることはすでに述べているが、二人の関係性はそれだけにとどまらない。
サジェルには少し年の離れた姉がいた。この姉は魔術研には入らず、一介の市井の人間として暮らしていた。サジェルにとってこの姉は、早くに亡くした両親の代わりということもあって、唯一の肉親だった。姉はサジェルの魔術適性の高さを知るにつき、魔術研究所へ入所させるために様々な伝を使った。
そのうちの一つが、ボールド・ゴードンだった。それだけではなく、サジェルの姉は、ゴードンに近づき、サジェルが魔術研に入れるように頼んでいた。
ゴードンも、風聞ではサジェルの事を聞き知っていたので、
「私の出来ることでよければ」
ということで、入所に協力した。サジェルがその境遇ながら、魔術研究所といういうなればエリートの道に入ることが出来たのも、ゴードン卿の後ろ盾があればこそで、さらにサジェルの姉は、フレデリック・ゴードンを産んで、程なくして亡くなっている。つまり、サジェルにとってボールド・ゴードンは義兄であり、恩人でもある。
ちなみに、ゴードン卿はそのことについて、サジェルに何らかの便宜を図るよう促したり、あるいは圧力をかける、というようなことはしなかった。むしろ、ゴードン家はナイマン家と距離を置き続け、サジェルとゴードン卿の関係性を知っているのは、リンク王のほかには誰も知らず、フレデリックですら、そのことを知るのはボールド・ゴードンが死の床についた時、というほどに後のことであったから、如何にこの二人の秘密の関係が厳重に秘匿されていたのかがよくわかる。
サジェルにとって、ボールド・ゴードンを魔術審問に掛ける際、通常ではないやり方であったのは、その手心が加えられたのかもしれない。
さて。
サジェルは、ゴードン卿のいうとおり、七名の評議員に魔術審問をかけた二人の審問官、ガストン・ホエイルと、サバンス・アイビンについて調べ始めた。
二人の出生と育ちについてはすでに分かっている通り、生粋のムーラの民である事は明らかだった。そして二人の両親についても調べてみたが、双方の両親については、ガストンの父親がレザリア出身であること以外、どれもムーラの民であることがすぐに分かった。
「どこでバディストンのつながりがあるというんだ?」
二人の経歴書類を、それこそ穴が開くほど読んだサジェルは悩んだ。唯一の手がかりといえるガストンの父親についても、レザリアで商人を生業にしていて、ムーラにうつった、とされている。
「義兄さんの思い過ごしか」
このままでは、ゴードン卿は首を落とされるだろう。そうなれば、ムーラにとってどれほどの損失になるか、想像だにできない。それだけはなんとしても避けなければならない。
といって、例の二人の出自や血縁についてこれ位といった不審な点がない限り、今度は後天的要素、つまり二人のこれまでの歩みに絞るしかない。
魔術研究所へ入所する手段はいくつかあって、例えば一周期に一回行なわれる適性試験に合格する事や、紹介で入ることがある。サジェルの場合がそれにあたるが、その場合でも、事前に魔術の適性の高さが求められるので、ただ縁故で入所出来るほど甘くはない。裏口という事もなくはないが、そのような形で入所をしても、いずれ実力のほどが知れて、すぐに退所することになって、長続きをしたためしはない。
もう一つあるのが、ごく一部にスカウト、という形がある。これは国中に魔術師たちを派遣し、芽の有りそうな者を魔術研に誘うのだが、それについても、事前に有望そうな者については、ある程度各地から寄せられた報告をもとに研究所の者が調査に出向き、報告の通りであれば所定の手続きと適性の検査を経て入所となる。
ただ、この方法で入所したのはこれまでの数百周期の歴史でたった数人で、ボールド・ゴードンですらも、適性試験を経ての入所になっている。
ましてや、このガストンとサバンスの二人がそのような方法で入所できるはずもなく、実際この二人は適性試験を受けて入所している。
適性試験の倍率は二百倍で、その周期の入所者が全くない、ということも珍しくないほど厳しいものだが、『奇妙な』ことに、ガストンとサバンスは同周期に入所できている。ちなみに、この周期で、この二人以外に入所者はいない。
魔術適性試験の内容は三つの部門に分かれ、魔術理論、元素学、歴史学で、この三つのどれかが足きりにかかればその時点で入所不可となる。
ガストンとサバンスはその三つの部門のどれもが足きりにかろうじて外れるほどの、サジェルから見れば明らかに入所は見送るべきだろう試験結果だった。
「これだけでは、不正とは言い難いな」
サジェルはさらに二人の、魔術研における評価を調べてみたところ、やはり二人は魔術に対する適性は限りなく低い、と断じるべきだった。
その二人が、最難関といえる試験だけには通っている。そのことが、どうにもサジェルには不思議なことこの上ない。
「何かあったには違いないだろうが」
それが、ゴードン卿のいう二人の『不正疑惑』にまで発展するか、というとそういうわけでもない。
「何かはある。だがそれが何かが分からない」
サジェル・ナイマンは魔術研究所に数十年ぶりに向かった。原罪入所している者たちはサジェル・ナイマンがここの出身者であることは知っているが、それは本で得たような知識であって、実際にサジェルがやってくると、皆は有名人を見つけたようなちょっとした騒ぎになった。
「ここの所長に会いたいのだが」
サジェルは研究生の一人を捕まえて頼んだ。今、ここの所長となっているのはミラージュという女性で、サジェルは彼女が入所する前にすでにここを離れて魔術審問官の道に足を踏み入れていた時だった。
研究生に伴われて、サジェルはミラージュにあった。
「これは、上級魔術審問官様がどのようなご用件で?」
「知りたいことがあって来たのだが、適性試験を受ける際に、何か、他の手段をつかってはいることはあるのか?」
「他の手段?裏口の事ですか」
「いや、そうではなく、例えば適性試験に落ちないような手段を講じて受験する者がいるのかどうか」
「ああ、適性試験の対策ですか。たしかに、その手の商売があるのは知っています。例えば家庭教師とか」
「そういうものを利用するものなのか?」
「それ、他の者が聞けば嫌味にしか聞こえませんよ?」
ミラージュの言葉を聞いて、おぼろげながら、サジェルは何かをつかんだような気分になった。
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