第37話

 ヴァレンタインの目的は、一つの思考実験だったらしい。

「不死王である自らと、永遠の生命を司るエルフとの間で生まれる者は何か」

 というもので、生と死を極限まで高めた場合、何が起るのか、その身で確かめたかったらしい。ヴァレンタインは、アーデルファルの様子を見て、

「その実験も最早できないだろう」

 といった。


「物の怪殿に伺いたいことがあるが、よろしいか」

「なんだ」

「あの娘御をどうされた?かどわかしたわけではあるまい」

「私が骸骨を使役していることはすでに分かっているだろう。そのうちの一体が、倒れているあの娘を私に報せてきた。そこで私は、娘を拾い上げたのだ」

「なるほど。それで、何らかの外法を使って、惑わせたわけでござるか」

「初めは娘は泣いてばかりだった。話にならなかったので、私は読心の法を使って、娘の身の上を知った。森の外に出たがっていたこともな。だから、その心を解放させたまでだ」


 聞いていたニーアフェルトとファーレンタイトがアーデルファルの方を見ると、アーデルファルは申し訳なさそうに小さくなっている。

「アーデルは、外に出たかったのかい?」


 アーデルファルは頷き、アーフェルタインが森の外に出て行くのを何度か見ているので、外に出たくなった、といった。アーフェルタインはやれやれ、という顔をして、

「私は。……」

 と言いかけたが、どういってもいいわけになると思ったのか、それ以上は何も言わず、アーデルファルの頭を撫でた。


「そういう所はまだ子供ですね、あなた」

 アーデルファルは撫でる手を解こうとするが、結局何もしなかった。


「まあ、娘御の経緯についてはこちらも了解した。ただ、気になることがござる。何故、そなたは物の怪になっておる?みたところ、人間ではあるようだが、定命の者であれば、すでに死しておるのでは?」

「私はイヴァリシア最後の公爵なのだよ、狼族。私は、このイヴァリシアを統べ、守る義務がある」

「すでに亡者の国になっていてもか?」

「そうだ」

「だがそれは執着ではないか?すでに亡者となってこの世に未練を残し、尚も国を案じるは立派な心掛けなれど、すでにこのいばりしあが亡者の集まりになっているというに、それでもなお執着されるか」


 エファルは、ヴァレンタインの言葉に、なんとも言えない気持ちになっていた。主家としての責務を果さなければならないその責任に、人吉の領主であり、主家であった相良壱岐守のことを思い出していた。


 壱岐守は、エファルが榊陽之助であったころの相良家の君主であり、また陽之助が命を落とした『お下の乱』の当事者でもある。

 陽之助から見た壱岐守は、主家と領地の運営のために、自らが責任を負うべく、親政政治の如き体制を作ろうとしていた。その上で邪魔になったのが、お下の乱のきっかけになった、犬童兵部の排斥で、そのために幕府に訴え出た。結果、陽之助ことエファルは燃えゆくお下屋敷で死ぬことになるが、相良壱岐守の心情がどうだったのか。ということを、今更ながらに思い返していた。


「どうした?狼族」

「いや、今更ながら、それがしの主家の事を思い出していた。まあ、詮無い事であるが」

「お前は不思議だ。狼族ながら、狼族ではない」

「よう言われまする」

「とにかく、さっさと帰れ。そして、二度とこの地に足を踏み入れるな」

「分かった。では、退散仕るとしよう」



 エファルたち一行は、イヴァリシアを出て、神の森へ戻った。

 御大以下、一部の老エルフ達を除いて、アーデルファルの帰還を喜んだことは言うまでもない。そして、アーデルファルが両親にこれ以上ないほどに怒られ、また還ってきたことに安堵したことも。


 御大が、老エルフ達を屋敷に呼び寄せたのは、それから間もなくのことだった。屋敷の中で、誰も知らない、それこそニーアフェルトも知らない秘密の部屋に皆が集まった。


 集められた老エルフ達は六人で、御大のそばに仕えながら、一定の区域の統治を任されている者ばかりだ。いうなればこの秘密の部屋と、七人の老エルフたちは、神の森の最終意思を決める場になっている。


「さて」

 御大は、普段では誰にも見せたことの無い、冷静で厳しい顔つきになって、

「この森の末の事だが」

 といったとき、席についている六人の老エルフ達は、静かに御大の顔を見た。

「この森が今、人間の国によって狙われ、同じ人間の国から共に戦うように誘われている。本来であれば、私が神の森の意思として、二つの国に話をしなければならない」


 御大はここで一つ間を置いた。

「だが、これまでの経緯を考えて、今回に限っては、その役目を、エファルに任せようと思うがどうだろうか」

 六人のエルフがざわついた。それまでどうあっても、御大がになってきた役目を、他者に、しかもエルフですらない狼族の余所者に、託そうというのだから、当然のことだ。


「待て、御大」

 老エルフの一人が手を上げた。そして、

「これまでの長い掟を考えれば、今の決断はそれに背くことになるぞ」

 といった。


「その通りだ。そしてその長い掟を考えたのは、誰あろうこの私だ。その私が、掟を破るというのだ」

「納得ができないな。なぜ、自ら課した掟を破る」

「エファルという男をこれまで見て来たが、やつほど、この森のために動いてくれた者はいなかった。魔獣の子供たちの件、アーデルファル、そして、鉄盤だ」

「……」

「この森の中で、これほどまでにこの森のために身をささげてくれた者はほかにあったであろうか?」

 老エルフ達は黙った。


「エファルは、あの狼族は、我々がとうの昔に忘れてしまったものを持っているのではないか。長く生きることは、時に守りに入ってしまうものだ」

「御大、我々があの狼族を認めるとして、我々のいうことを聞くとは思えないが」

「私は、全てをエファルにゆだねようとも思っている」


 それを聞いた老エルフ達は明らかに狼狽している。御大のいうことは、エファルという余所者に、この森のすべてを任せるという。

 それはできない、と血相を変えた一人が口を開くと、堰を切ったように次々と御大に再考を促し始めた。


「それではそれまでのエルフ族の尊厳が失われる」

「そのような決断をすればエルフ族の団結がなくなる」

「余所者にどれだけのエルフがついて行くのか」

「従わない、という者が出た時はどうするのか」

「無闇に掟を破るものではない」

「そもそも、人間同士の争いにわざわざ入り込む必要があるのか」


 というのが、老エルフ達の意見だった。御大は、

「では、このままでよいというのか。大陸の争乱に巻き込まれても、ただこの森にこもり、何も見ず、知らぬふりのままでよいというのか?」

「しかし、御大」

「失われた鉄盤もこの森に戻し、アーデルファルをこの森に連れて戻ってきた。ここにいる我々が誰も出来なかった、いや、しなかったことを、あの狼族は成し遂げてくれた。それに報いるのに何の不都合があるか」

「……」

「なにも永遠にあの狼族のいう事を聞く、というわけではない。この度の、あの魔獣の子供たちを奪ったあの連中との戦いが終わるまでだ。それくらいは、よかろう?」

 老エルフの一人が立ち上った。


「どこへいく」

「私はどうしても、余所者に自らの全てを預けるということはできない。私はこの森を出て行こうと思う」

 一人の老エルフが責を蹴って立ち上った。待て、と他の老エルフが立ち上って止めようとするのを、その老エルフはふり切った。そして、

「私は、名前を戻すつもりだ」

 と、自らの名前であるミューミストを取り戻した。


「御大、よろしいのか」

「私が決めたことに譲れないことがあるのならば、出て行くのも仕方のないことだ。ただミューミスト、この森がお前の故郷である事だけは忘れてくれるなよ」

「……、二度と戻ってくることはないだろう」

 ミューミストは秘密の部屋を出た。そのまま自らの屋敷に戻り、旅支度を整えて森を出ていったことがわかったのは、それから間もなくのことだった。


「他の者はどうだ?ミューミストに続くか。それとも、私のいうことに従うか」

 五人の老エルフは、それぞれ席に着き、

「我々は、御大のいうことに従い、ここに盟約をする」

 と口々に言い、御大の提案は了承された。


 秘密の部屋から出てきた御大は、エファルに自らの部屋に来るように言った。何事か、とエファルは不思議そうにしながら御大の待つ部屋へと向かった。

「いきなりだが、この森をお前に任せたい、と思う」

 という言葉を聞いたエファルは、

「はて、面妖な」

 といったのは、以前エファルがエルフ達を前にして演説した折には、誰も耳を傾けることがなかったためだ。


「以前とは少し状況は変わった。お前の、度重なる、我々に対する誠意について、我々も考えるところとなった。特に、アーデルファルをイヴァリシアの不死王から救ってくれたことは、我々にとっても十分な恩になる。それに報いたいだけだ」

「しかし、余所者たるそれがしがここの領主になるというのは、ちと」

「勘違いするな、狼族。お前にゆだねるのは、この度の事だけだ。それが終れば、いつものとおりに戻る」

「その方がよろしかろうと存ずる。で、そのことは、皆々方には?」

「今頃、話は皆に回っているだろう。どれほどの反対が出るか分らん。現に、一人の老エルフはこれに異を唱えて森を出て行った」

「さきほどの、あの方でござったか」

「そうだ。この森とてひとつではない。それでも、私はお前に賭けた。この度の一件をお前に任せようとな」

「それほどまでの決意でござれば、けっして無駄には致しませぬ。死力を尽くして、この森のために尽くしましょうぞ」

「そうしてくれ。それで、これからどうする」

「宿におられるであろう、ごーどん殿と話をしなければなりませぬ。この度は、先方も聞き入れて下さるやもしれませぬでな」

「そうか。……、アーフェルを頼むぞ」

「はっ、アーフェルタイン殿はそれがしにとっても頼りになる友垣でござる。……、ハンナ殿のことこそ、よろしくお願い申す」

「心得ている」


 エファルは森を抜け、ゴードン卿のいる宿に向かった。

 ところが、ゴードン卿はすでにムーラへ出立した後だった。

「追いかけるしかありませんね、エファルさん」

「左様」

 エファルはアケビに、アーフェルタインはお気に入りの駿馬に跨り、ムーラへと急いだ。



 ベラグラハムが、ヘーゲン砦から自分の根城に戻ってきた時、手下の不甲斐なさに、珍しく感情をあらわして激昂した。

「たかが小娘一人にいいようにやられやがって」

 手下の一人が説明をしようとも、ベラグラハムは聞く耳を持たなかったが、狼族の男がやって来た、ということを告げると、多少の落ち着きを取り戻した。


「あの野郎か」

「ええ、あの時の野郎です」

「そいつがエルフを掻っ攫ったのか」

「いや、その時はもう。……」

 ベラグラハムは心得たように何度か頷くと、

「神の森を襲うぞ」

 といった。手下たちは気勢をあげて支度に向かう。

「あの狼野郎」

 ベラグラハムは陰険な笑みを浮かべていた。

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