第36話

 アーデルファルの装いは、まるで神の森の中心にある始原の木を支える賢の湖にいる妖精、ニンフのように透き通った白いドレスのみで、他には何もつけていない。

 アーデルファルは自らのいでたちに戸惑うどころか、気にも留めていない様子で、もっといえば、目はうつろにあって、正気もうしなっているように見える。


「少女よ、こちらに」

 声の主は玉座のような椅子に座っている、いかにも紳士風の長身の人間で、青白い肌と赤い目に気が引かれる。服装も貴族が着る、見るからに高級そうな外套の下には、シルク地の白い品の良いシャツが覗いている。


 アーデルファルは『紳士』に言われるがままに近づき、『紳士』の膝に頭を預けた。どことなく幸せそうな顔をして。『紳士』はアーデルファルの夕陽に光る小麦の穂のような金髪の頭をゆっくりと撫でている。


 何かに気付いたのか、『紳士』は、あらぬ方を見て、

「君を迎えに来たようだ」

 といった。アーデルファルは顔を上げ、嫌がるように頭を振った。

「それが、君の答えなのだね?」

 アーデルファルは『紳士』の問いに、満足そうに頷いた。



 小人鬼が教えてくれた、イヴァリシアの屋敷の近くで様子を探っているエファルは、

「何としても、助けねばならない」

 というようなことを、事ある毎に、言い聞かせるようにつぶやいていた。

 エファルの脳裏にあるには、魔獣の子供たちを見捨てざるを得なかった、あのバディストンでのことだった。


「魔獣の子供たちを救い出す」

 という使命を自ら課しておきながら、それを果すことが出来ず、それどころかおめおめと逃げ帰った。結果、それがアーフェルタインたちをたすけることにはなったものの、使命を果せなかったことは、エファルの、いや『榊陽之助』としての、武士の矜持にもとることだった。


 せめて、アーデルファルは助け出したい。それはエファルにとっては一種の自己満足には違いない。しかし、同じ親として、アーデルファルの両親の、娘を案じる思いは痛いほどわかる。もし小太郎が、何者かによって連れ去られり、あるいは神隠しにあった、となれば地の果てまでも探すだろうし、叶わぬとあれば、昼夜問わず、小太郎を案じるだろう。


 アーデルファルの両親も同じような心持に違いない。そう考えると、エファルは居ても立っていもいられなくなる。

「まずは、落ちつきましょう。アーデルが屋敷にいる事は確実でしょうから、ここは慎重に行きましょう」

 アーフェルタインがエファルの顔を覗き込んだ。


「そのように見えまするか」

「ええ、日頃のあなたらしくない、随分と焦っている様子が分かりますよ」

「……。娘御の親殿の事を考えておった。さぞかし辛かろう、とな」

「ええ。ですから、我々はこうしてここにいる。ですが、夜を待ちましょう。夜を待って、それからです」

「心得た」

 イヴァリシアの夜が更けると、どうにも不気味な雰囲気へと変貌する。


「どうにも変な感じだな」

 ニーアフェルトがいうには、夜になってからは、このイヴァリシアに人の気配を全く感じないという。それは他の二人も同じで、ここの住民の生命の匂いを感じられない、という。

 エファルは近くの民家を覗いてみた。家の住人は、人型の骸骨だった。


「しゃれこうべでござるな」

「しゃれこうべ?」

「骨の躯でござる。まさか、とは思うが」

「どうした?狼族」

「このいばりしあなる場所自体が、大いなる墓場であるとすれば、どうであろうか」

「墓場?墓地の事か」

「左様、つまり、この民自体が、すでに生きておらず、亡者の集まりだとしたら、どうでござろうか」

「ありえるな。そしてそれをおさめているのが、不死王か。考えられるな」


 四人の後ろで、歯が鳴るような音がした。振り返ると、骸骨が立っていた。骸骨はこちらに危害を加えようというような気配はなく、佇むようにして立っているだけだった。エファルたちは周囲を見渡した。この骸骨以外には骸骨の姿は見当たらない。

 骸骨は、気味悪いほどに、四人を『凝視』している。骸骨なので無論目玉はなく、目玉が入っていた窪みがこちらを向いているだけなのだが、それが、凝視をしているようにどうにも感じられる。


 骸骨の口が動き始めた。

「少女を、迎えに来たのであろう?」

「左様。あーでるふぁると申す娘御を連れ戻しに参った、エファルと申す。して、そこもとの姓名を承りたい」

「なまえのことか?」

「左様」

「私の名は、ヴァレンタイン・イヴァリシア。ここの領主だ。金髪の少女はこちらが丁寧にもてなしている。ただ、少女は、家に帰りたくない、といっているのだ」

「そのことは、娘御の口から直にききとうござる。貴殿のすまいは」


 エファルは例の屋敷を指さし、

「あれなる屋敷に相違なかりせば、参上仕らんとぞ思うが如何に」

「来られるならそれもいいだろう。では、待っている」

 声が消えた途端に、骸骨は崩れ落ち、骨の山となった。

「行くしかあるまいな」

 屋敷は存外に近い。



『紳士』は、玉座に尻もちをつくように座った。額から、間欠泉のように汗が噴き出て、何度か背中を膨らませるような深呼吸をした。そして大きく息をつくと、

「何度やっても慣れるものではないな」

 と、苦笑した。アーデルファルが心配そうに見つめる。


「どうということはない、少し疲れただけだ。少女のお迎えがすぐそこまで来ている」

 アーデルファルの顔に反応はない。ただ、無表情に一点を見つめているだけだ。

「招待をした以上、案内はしなければならない」

『紳士』が屋敷のなかの骸骨たちに魔術を仕込むと、骸骨たちが一斉に立ち上がった。


「客人をお出迎えしろ」

 骸骨たちは無言のまま、屋敷の外へと出て行きはじめた。

 エファルたちが屋敷の門の前に立った時、骸骨たちが徐に扉を開けた。

「これはかたじけない」

 エファルが律儀に挨拶をした。


「さて、どうしましょうかね」

 アーフェルタインがいうと、ファーレンタイトとニーアフェルトは真直ぐに向かうべきだ、と答えた。

「エファルさんも同じですか?」

「それしかあるまい。不死王という者がいかなるものか、早くみたい、ということもあり申す」

「では、一直線に向かいましょう」

 四人は骸骨たちの案内を受けて、『紳士』のいる部屋の前に立った。ひとりでに扉が開いた。


「あれが、不死王でござるか。みたところ、人間とさほど変わらぬように見受けまするがな。貴殿が、このいばりしあなる場所の領主で相違ござらぬか」

「そうだ。私は、この国の王である、ヴァレンタイン・イヴァリシアだ」

「お初にお目にかかる。それがし、狼族のエファルと申す。エルフの娘御を返してもらいに罷り越したが、娘御はいずこに」

 ヴァレンタインは、部屋の隅を指さした。アーデルファルが、魂の抜けたようにして立っている。ファーレンタイトとニーアフェルトがアーデルファルに近づくと、アーデルファルは『気弾』の魔術を使って、二人に襲い掛かった。


「私は構わないがな、あの少女が、帰りたがらないのだ」

 ヴァレンタインは余裕をもって言った。アーデルファルの様子を見たファーレンタイトは、

「アーデルは操られているかもしれない」

 といった。


「アーデルに何をしたのですか!」

 アーフェルタインが叫んだ。

「少女の心の中を少し覗いただけだ」

「覗いただと?」

 ファーレンタイトが怪訝そうな顔をした。


「そうだ。あの娘は、森に帰ることを嫌がっているようだ。たとえお前達が連れ戻そうとしても、あの娘はまた、森を出ることになるだろう」

「ファーレン、信じることはありません。たしかにアーデルは正気を失っていはいますが、それはこの男に操られているだけです」

「そう思いたければ思うがよい」

「ファーレンとニーアは、アーデルを連れて直ぐにこの屋敷を出てください。私とエファルさんで、この男を食い止めます」


 ファーレンタイトとニーアフェルトは、アーデルファルに『意識断絶』の魔術をそれぞれ使うが、アーデルファルの天性の魔術の高さがそれを阻む。ならば、と今度はファーレンタイトが剣でもってアーデルファルを追込み、直に気絶させようとした。ところが体格としても、技量としても、子供であるはずのアーデルファルが、ファーレンタイトの仕掛けをことごとく打ち破り、逆にファーレンタイトが追い詰められはじめた。


「無駄だ。その娘は無意識に押し留めていた自らの能力を解放している。なまじのことでは娘を止められんぞ」

 ヴァレンタインが高笑いをしている途端に、ヴァレンタインの首が飛び、床に転がった。


「戦場において油断は、このように自らの首を絞めることになる。よく覚えておかれよ、物の怪殿」

 彦四郎の切っ先から、赤黒い血が滴って落ちていく。転がった首から、ヴァレンタインの高笑いが続いた。

「確かに、これは油断だったな」

 ヴァレンタインの首が胴体に収まる。


 ヴァレンタインの戦闘技量は、徒手空拳でエファルとアーフェルタインの二人を同時に相手をしてもなお十分に成立し、それどころか、ヴァレンタインはどこか物足りなさそうにしているほどだった。エファルの斬撃をかわし、あるいは指で受け止め、アーフェルタインの魔術は気合でかき消し、どうにも二人には分が悪い。


 一方のアーデルファルと戦っている二人も、エファルたちほどではないにせよ、エルフとしては格段に幼いはずのアーデルファルに手こずっている。

 四人は、じりじり、と追い詰められていった。


 ヴァレンタインは高笑いが止まらない。エファルとアーフェルタインが同時に仕掛けても難なく受け止める。エファルがヴァレンタインの両腕を斬り落とせば、今度はその腕がヴァレンタインに従属して二人をかく乱する。アーデルファルの力の強さは、ニーアフェルトが舌を巻くほどで、

「もう、アーデルは子供じゃないな」

 と、冷や汗を流しながらファーレンタイトに話しかけるほどだった。


 異変が起きたのは、アーデルファルだった。それまで何の遠慮もなく、躊躇が見えなかった攻めが、少しずつ鈍りを感じられるようになった。同時に、アーデルファルの焦点の定まらない両目が、次第にはっきりとしていくのが見るからにわかってきた。


「アーデル。私だ、ニーアフェルトだ」

 そう呼びかけた時、アーデルファルははっきりと自我を取り戻した。

「ニーアなの?」

「ああ、君を助けに来た。いや、連れ帰りに来た、といったほうがいいかな。君の父さんも母さんも、心配している」

 アーデルファルは攻撃をやめ、ニーアフェルトに抱き着いた。ファーレンタイトがアーデルファルの髪を優しくなでた。ヴァレンタインがそれを呆然と見ていた時、

「エファルさん」

 アーフェルタインが呼びかけ、エファルは頷いて彦四郎を構えた。掏る途端に、ヴァレンタインは何もかも止めた。


「どうした、物の怪殿よ」

「……、やめだ。何もかも」

「左様か、ならば、娘御は返していただくが、如何に」

「連れていくがよい。神の森に帰ればよいではないか」

 ヴァレンタインの表情を見たエファルは、

「随分といじけておる様子。外法が解けたことが悔しいのか」

 といぶかしんだ。ヴァレンタインは、

「いくら心の中を覗いて、分かった気になっていても、いざとなれば心変わりをするのはどれも同じだったということだ」

「他人の心はその者にしかわからぬ事だ、無闇に覗くは野暮というもの。ただ、一つ聞きたい。なにゆえ、娘御をこのように致した?」

 ヴァレンタインは、自らの目的をぽつぽつと語り始めた。

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