第35話
神の森に帰ったファーレンタイトは、神の森のエルフ達から歓待を受けた。
「よく戻ってきたな」
事態を聞いた御大は珍しく感情をあらわにして、ファーレンタイトを労った。
「御大、アーデルファルの件ですが」
「ああ、分かっている。エファルたちが手を尽くして探していたのだ。見つかったのがアーデルではなくお前だったわけだが」
「あの狼族の男は何なんですか?」
「面白い男だろう。元は別の者であったらしいが、なんとも不思議な男だ。そのくせ腕も立つ。アーフェルがえらく気に入ってな、そのためにここにいる」
「不思議な男であることは認めます、小人鬼たちを手懐けたわけですから」
と、井戸と畑作の一件を話すと、御大はこれも珍しく声を上げて笑った。
「奴らしいといえば、らしいな」
「面白い、というか変な奴ですよ」
「まあ、そういうな。あれでも森のために色々とやってくれているのだ。実際、トーアパティを助け出してくれたりしているわけだしな」
「それよりも休め。まだお前の家は残っているのだからな」
ファーレンタイトは家に戻り暫くの休養をとることになった。
それからしばらくは、行方が分かっていないアーデルファルの行方をあれこれと四方手を尽くして調べたが、結局手がかりになるものはなく、ただ時間が過ぎていくだけだった。
数日ほどたったころ、以前、シーフ=ロードのラルミゴ・ラスフェンを案内したエルフのフェーンストが小人鬼を連れてやって来た。神の森はフェースンストを、
「不浄な生き物を入れるな」
などと詰った。フェーンストは、
「狼族の男に話があるらしい。呼んでくれ」
エファルは直ぐにやって来た。
「おお、ごぶりん殿、一瞥以来でござる。何か」
小人鬼は羊皮紙の手紙をエファルに渡した。エファルはこの世界の文字は読めないので、ハンナに任せると、ハンナが読み上げ始めた。内容はこうである。
アーデルファルらしいエルフの少女を、イヴァリシアという小さな集落で見た、という小人鬼の報せを受けたので書いた、というものである。
「イヴァリシア?」
当然、エファルは聞いたことがない。だが、ハンナはそれを聞いて身震いするほど怯えていた。
「ハンナ殿?」
「イヴァリシアは、恐ろしいところです。おとぎ話とかに聞いていました」
それによると、イヴァリシアというのはイヴァリシア城とその城下町のみ、という小さな都市国家で、それ自体はイセルやアルセールといった国があるので、特筆するべきことではなく、それだけならば、ハンナも怖がることはない。
ハンナが怖がっているのは、そのイヴァリシアの城主である、ヴァレンタイン・イヴァリシアで、この人間は、気に入ったものは何があっても手に入れようとする、強欲の持ち主らしい。抵抗する者はその命を奪い、体をはく製にしたり、物体であれば所有者を殺すなどしてまで奪いとる、という。
「強欲な領主というものはどこの世にもいるものだな」
「だから怖いのです」
「しかし、ハンナ殿はさきほど、おとぎ話で聞いていると申された。だとすれば、すでにそのばれんたいんなる人物は、この世におらぬのではないか?」
「確かに、そうですね。でも、怖いところだと聞いています。親の言うことを聞かない子は、イヴァリシアに連れ去られる、と」
話を聞いた御大が、
「ヴァレンタインとは懐かしい名前だな」
といった。
「御大様は、御存じなのですか?」
「無論だ、少女。確か、ヴァレンタインは、人間でいうところの千年も昔に、すでに死んでいるはずだ。そのヴァレンタインという男には男児が一人いて、その命脈を保っているはずだが、はてさてどうなっている事やらな。エファル、どうするのだ?」
「無論、そのいばりしあなる場所に参り、確かめまする。ここまで来た以上、最早見捨てること罷りなりませぬでな」
「そうか。……、アーフェル、小人鬼に、種を分けておあげ。それと、頭小人鬼に、作物が育つための巻物をいくつか渡しておいてくれ。これほどのことが出来るのだから、ある程度の知能は備わっているだろう」
「わかりました。そのことを手紙に沿えて」
「そうしてくれ。エファル、気を付けていけよ。たしかに、ハンナのいう通り、イヴァリシアはあまり良いうわさを聞かないところだ。もしそこに、アーデルが捕らわれているとすれば、どのような目にあわされているか分からぬ。アーデルもそうだが、お前にも生きて戻ってほしい」
「お気遣い、いたみいる。かならず、娘御は取りもどしてみましょうぞ」
エファルがアケビと共に神の森を出ようとしたとき、
「置いていくのか?」
という声がした。正体は、アーフェルタインとファーレンタイト、ニーアフェルトの三人だった。
「ここまで来たら一緒ですよ、エファルさん」
アーフェルタインの言葉に、エファルは
「御助力、誠にいたみいる。ファーレンタイト殿は、もう体はよろしいのか?」
「別段疲れているわけじゃない。体は大丈夫だ。それこそ、ニーアはここを留守にしていいのか?」
「今更だよ。それに、御大もエファルのことを案じておられるから、エファルを守るためにも、ね」
「狼族、慕われているんだな」
ファーレンタイトは面白くなさそうにいった。
「そは、望外の僥倖と申すものにて、それがしには恐悦の至りでござる」
「ホント、つくづく変な奴だ、言い回しといい、考え方といい」
「いやなら、来なくていいんですよ?私とニーアでもなんとかなりますから」
アーフェルタインがわざとらしくいうと、ファーレンタイトは、
「そういうことじゃない。すくなくともアーデルファルを見つけるまでの話だ。その後は、手を貸すつもりはない」
といった。
四人は、それぞれ騎乗して、ヘーゲンの町に続く街道の途中から南に折れ、イヴァリシアまで直行した。
イヴァリシアのおとぎ話、というのはその国々や地方等で多少の差異はあるが、概ね次のような話で構成されている。
イヴァリシアを治めている統治者は、自らを王、と名乗ることはせず、いつとも知れない昔から、公爵という地位称号で呼ばれていたらしい。
なぜ、公爵なのか。ということについては諸説紛々としてあって定まっていないが、なにせ昔から公爵、というのが、このイヴァリシアの代々の名乗りになっている。
その歴代の公爵の中に、ヴァレンタイン・イヴァリシアという者がいた。人間族の男である。このヴァレンタインという名前も襲名なのか、特定の個人であるのかも分からないが、このヴァレンタインという公爵は、強欲であった、といわれている。
強欲とは、己の命についてで、このヴァレンタイン公爵は、自らの命をエルフのように永続させようとした。それ自体はよくある話なのだが、特筆すべきは、その強欲さに忠実だったことだ。
例えば、長命に必要な薬草があれば、配下を大陸中に派遣して探索させたり、高名な呪術師を読んで祈祷させたりなどしていた。
その程度であればまだかわいいものだったが、ヴァレンタインは、長命に必要なのが処女の血と知ると、国中から処女、つまりまだ通じていない少女たちを集めて血を採って飲んだり、赤ん坊の脳が要ると知ると、赤ん坊を殺してその脳を食べるなど、常軌を逸しはじめた。果てには男の一物がよい、という話を聞けば実際に男性の一物を切り取ってそれを汁ものにして食べた、などとここまでくると真偽不明としか言いようのない話にまで及んでいる。
その常軌を逸した挿話は、子供たちに恐怖を持たせるのに十分で、中には、
「親の言うことを聞かない子は、ヴァレンタインに食べられてしまう」
という、一種の脅し文句にまで使われている。
「天狗さらいでござるな」
ニーアフェルトから話を聞いたエファルはそう言って笑った。
「なんだ?」
「いや、昔、それがしの親父殿からよく、『悪い事をすると天狗様が連れ去って、二度と帰ってこれなくなるぞ』などといって、それがしをよく怖ら出せたものでござる。もっとも、それがしも小太郎には何度かその手を使い申したが」
「なるほど」
「ニーアフェルト殿、そのばれんたいんなる御仁は、まことに長命で?」
「いや、そもそも人間には我々や貴方のように命の時間が長い因子が備わっていない。おそらく、この大陸の中で一番命の時間が短いのが人間だ。その次がグランドランナー、そして貴方のような獣人族、ドワーフ、エルフ、となる」
「つまり、なにかの儀式や作業などで命を伸ばすことはできない、ということでござるか」
「ああ。だから、そのヴァレンタイン・イヴァリシアはとっくに死んでいる、と考えるのが普通だろう」
「ニーア、一つ、忘れていませんか?」
アーフェルタインがニーアフェルトに促す。
「何を忘れている?」
「人間が、不死になる方法ですよ」
「……、まさか」
「ええ、そのまさか、です。少女の生き血を啜ったり、あるいは赤ちゃんの脳を食べる、というのは一つの共通した特徴があります。それは。……」
「『
ニーアフェルトの出した答えに、アーフェルタインが頷いた。
「りっち?」
「エファルさんは知らないのは当然です。不死王とは、必要な材料と呪術儀式とを組み合わせ、生きながらにして死ぬことを拒絶した、
「もしそこに、娘御が居れば、どのような目に遭うか分かりませぬな」
「ええ。ですので、早く助けなければなりません」
「だが、これ以上無理をすると馬たちが先にへばってしまうぞ」
「分かっていますよ、ファーレンタイト。可能な限り、急ぎましょう」
イヴァリシアに到着した時、この時期に珍しく、雨がしとしとと降り始めていた。
「これは困る」
エファルがそう言ったのは、アーデルファルの匂いが、雨でかき消されてしまうことだった。案の定、すでにアーデルファルの匂いは消えてしまって、嗅ぐことが出来ない。
「仕方あるまい、地道に探すより他はござらぬ」
「時間はかかりますが、仕方ありませんね」
アーフェルタインは耳をそばだてた。かすかに、何かすれるような音が聞こえてくる、という。
エファルも耳を立てて聞いてみると、たしかにどこかで聞いたような音だった。音のする方向に目を何度かむけると、小さな影があった。
「おお、あれはごぶりん殿ではないか?」
「小人鬼ですか?でも、なぜこんなところに」
エファルが小人鬼に近づくと、小人鬼は、身振り手振りで色々話しかけてくる。
「なにかあったのか?」
小人鬼は、まず近く家の壁を指さした。その壁の色は水で薄めた土のような色で、ついでその屋根を指さした。白みのかかった薄黄色だった。
その上で、小人鬼が指さした先は、イヴァリシアの中で最も大きな屋敷で、イヴァリシアの象徴といえるその名もそのまま、イヴァリシアだった。
エファルは小人鬼の仕草について暫く思案して、
「もしかして、娘御がそこにいる、と申しておるのか?」
と答えると、小人鬼は手を打ち、小躍りして頷いた。
「よくわかりましたね」
「壁の色は肌、屋根の色を髪に見立てたのでござろう。よくぞ報せてくれた。ささ、早う集落のほうへ帰られよ。ここにおっては色々と面倒もあろう」
小人鬼は何度か頷いて、その場を離れていった。
「手懐けたな、狼族」
「いや、ファーレンタイト殿、胸襟を開き、至誠一貫すれば、通じるものでござる」
「それよりも、急ごう。アーデルが心配だ」
ニーアフェルトに促されて、四人はイヴァリシアに向かった。
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