第29話
ビッチ・ビッチがなぜこの鉄盤をもっていたのか。アーフェルタインが鉄盤を取上げて調べながら尋ねた。
「拾ったんだ」
「どこで拾ったんです?」
「前の集落の場所」
「それはどこですか?」
スキュラから西にある小さな湖だったという。
「銅鏡、のように見受けられるが」
エファルの指摘に、アーフェルタインは少し戸惑いながら、
「銅鏡?」
と尋ねた。
「銅鏡とは、祭祀に使われる道具でござる。元は、八咫鏡という、古来の神話から継がれてきたものでござる。ここにそのようなものがある、ということはなんぞ祭祀でもあったか」
「えーと、祭祀、というのは司祭が行なう、祈祷とかのことですか?」
「無論、祈祷も祭祀の一つでござる。祭祀とは、五穀豊穣を願いあるいは感謝するために神をまつる儀式そのものでござるゆえ」
「祈祷ですか」
アーフェルタインはその湖に行くべきだ、ということを言った。
「しかし、ここで寄り道をしては」
「気になりませんか?これが」
「確かに。……、ぐらんどらんなー殿、案内を願いたいが」
ビッチ・ビッチはまだ体力が戻っていない、といって嫌がった。
「ハンナ殿、精のつくものを作ってはもらえぬかな?」
「は、はい」
ハンナは調理道具を借りながら、即席で料理を三品ばかり作り上げ、ビッチ・ビッチの前に差し出した。
「お召し上がりくださいませ」
ビッチ・ビッチが口にした途端、次々と口にし、あっという間に平らげた。
「これで、案内できるな?ビッチ」
集落の長の有無を言わさぬような鋭い目つきに、ビッチ・ビッチは頷かざるを得ない。
「では、案内ぶて」
「わかりました、わかりましたよ」
前の集落地である湖までは三日ほどの行程らしい。食糧を貰い受け、エファルたちはその湖に向かった。
この名もなき湖は、湖というより池に近いほどの大きさで、対岸がはっきりに見えるほどだ。
ビッチ・ビッチがいうには、鉄盤は、この湖の底に沈んでいて、見つけたのは水浴びをしていた時だったという。
「なるほど。他には?なにかござったか?」
「いや、何もなかったよ」
エファルは暫く湖を眺めていたが、徐に脱ぎ始め、湖に潜った。暫くして対岸から顔を出した。
「どうでしたか?」
アーフェルタインが尋ねた。
「これといって、何があるわけでもござらぬな。偶さか見つけたとしか」
「そうですか、戻って来てもらえませんか」
エファルはもう一度潜り、皆の前に現れて陸地に上がるや、犬よろしく全身を振るわせて水気を取ろうとする。
「何なる鉄の板、なのでしょうか」
言葉と裏腹に、アーフェルタインの顔は疑わしく思っているようだ。
「刻まれているこの文字。どこかで。……」
どうしても、アーフェルタインは思い出せないでいる。すると、
「やっぱり、隠し持っていやがったか」
ベラグラハム達だった。
「後ろをつけていたか」
「そうだ、狼族。その鉄盤を渡せばこの場を見逃してやる。この場はな」
「ならば、一つ伺いたい。この鉄盤はなんだ?それにこたえるならば、おぬしに引き渡してもよい」
「それに答える義理はない。さっさと渡せ」
「ならば、渡すわけにはいかぬ。欲しければ、力ずくで奪い取るがよろしかろう」
ベラグラハムはそれを合図にして、エファルたちに襲い掛かった。アケビはハンナとビッチ・ビッチを守るようにして立ちはだかり、竜族たちを後脚蹴で防ぎ、エファルはバラグラハムと干戈を交える。あの時以来だが、あらためてベラグラハムの力量は並ではないことがわかる。数合打ち合って、どちらもかすり傷程度でしかない。
アーフェルタインは他の竜族たちを相手にしているが、こちらは魔術を使えるため、一方的になった。元々竜族は魔術適性が低いため、面白いように魔術が当たる。
「ベラグラハム!!退こう」
竜族の一人が言った。
「預けておくぞ、必ずな」
ベラグラハムは引き下がった。
「存外にあっさりと引き下がりおったな」
彦四郎をおさめつつ、エファルは意外そうな顔をした。
「まあ、これで重要なものだということは分かりました。ですが、私はこれが何なのか思い出せませんので、御大に頼もうかと思います」
「その方がよろしかろう」
一行は少し休んで、ビッチ・ビッチを集落に戻してから、神の森への帰路を急いだ。
神の森に到着した時、エファルにとっては意外な人物に出くわした。
「ああ、確か、むーらの。……、宰相殿でござったか」
「おお、狼族。エファルとかいったな」
「過日の事で世話になり申した。して、この度は如何なる御用で?」
「そこのエルフの長老に、手を組むよう進言してみたのだが、エルフ達の感情を考えて、手を組むことはできない、と言われてな。心変わりを待っているのだよ。随分と前からな」
「ひとまず、森に入りましょう。どうですか、ご一緒に」
「お言葉に甘えよう」
一向に、ゴードン卿を加えて、神の森に戻った。アーフェルタインは例の鉄盤を御大に見せた。御大の顔色ががらり、と青ざめた。
「この鉄版はどこに?」
「スキュラの西にある小さな池のような湖にあったようです。それをグランドランナーが引き揚げていたのです」
「そうか。……、ここに」
「御大殿、そは如何なるものにて候」
うむ、と御大がつらつら、と話し始めた。
「これは、『神』を呼び出す、とされる魔鏡だ」
「神仏でござるか。そは、阿弥陀仏か天照大御神か」
「そのような神の名は聞いたことがないが、確かにこれは、神を呼び出すもの、とされておる」
御大がいうには、かつての大昔、それこそこの大陸がまだ『大いなる一』であった頃にまでさかのぼるらしい。
『大いなる一』というのは、原始神話よりはるか昔の頃だそうで、伝聞によると、東側の大国と西側の大国がそれぞれ文明をつくり、それがぶつかって戦争になった。戦争はどちらも主とまで攻めることが出来ず、決定力を欠いたものになっていったらしく、戦争は泥沼のようになったらしい。
そう思われた矢先、突如として、大陸中央部より陸地が盛り上がり、果てない山脈となった。
「それが、『天の山脈』」
「ああ、そうだ」
御大がアーフェルタインの言葉に答えると、さらに続ける。
なぜ、天の山脈が出来たのか、それもある日突然。それは長らく誰にも分からなかったが、後になって、一人の男が『神』を呼び出したからだ、という説が生まれた。伝聞では、その者が魔鏡を使って、戦争を止め、その代りに自らの命を失った、とされる。
「されど、二つほど疑念がござる」
「そうだな。この鉄盤がそれなのかどうか。それと、なぜそのようなものが打ち捨てられていたのか」
「それを加えるならば、三つになりまするな」
「なんだ?」
「その伝聞が、誠であるや否や。その場を見たものが今まで生きていたのであれば、それはいささか信ずるに値しましょう。されど、それに値するものがない限りにおいて、それは眉唾物と疑わざるを得ませぬ」
「狼族のくせに、迷信事は好かぬか」
「個人の性分なれば」
御大はひとしきり笑うと、
「確かに、この話には信憑性はない。だが、もし見たものがあるとしたら?」
「……、御大が?」
「私の命は尽きぬぞ、狼族の男」
「これは、失礼いたした」
御大は、唯一の目撃者だった。というより、その男の唯一の仲間だった。魔鏡の男は、名もなき、どこにでもいるような平凡な人間の男だった。御大がまだ名を名乗っていた若い頃に、その人間と出会い、旅をした。どこに行っても戦争の痕が深く、困窮する者たちがそこかしこに居た。
人間は、これを憂えた。すべてが絶滅するのではないか、と。
魔鏡は、とある洞窟にあった。誰が、どういう目的で作られたのか。それは御大も分からない。ただ、偶然はいった洞窟の中にあり、近くにドワーフと思しき骸骨が転がっていたことだけは憶えている。
「その男と私は、この魔鏡を洞窟から持ち出した。共通語でも種族語でもない、この謎の文字列を解読するのに苦労した」
「この魔鏡には何と彫られておりました」
「起動の呪文だったよ。これを読める者は、私一人だけだろう」
「何故、御大殿は読めたのでござろうか?」
「確かに文字は見たことがないものだった。が、似ている文字は知っていた。古代共通語だった。そこから、まるで手足を縛られたような思いをしながら解読を続けたのだ」
「確かに、我らとて蘭語を読むのに苦労したことはあり申した。同じ思いを禁じ得ませぬ」
「まあ、そうであるならばそれでよい。さて、この魔鏡をどうするか」
「壊すことはできませぬか?鉄であれば、割れましょう」
「では、やってみるか」
御大は先ず、魔術を用いた。魔鏡は多少赤くなったように見えたが、それでもこわれることはなかった。ついで、鉄槌等を使ったが、跳ね返るだけで、衝撃を与えられない。エファルが彦四郎を使ったが、彦四郎とは触れ合うことすらない。
「やはり、何らかの魔術が施されているのは間違いないようだな」
「では、この魔鏡については、御大殿が預かっておいてもらませぬか?べらぐらはむがこれを探しているということは、よからぬことをたくらんでいる、と考えるのが妥当なところでござりましょう」
「確かにな。では、これについては私が預かろう。して、人間の魔術師がここにいる、ということは、またしても説得にきたのか」
「はい、何度でも」
ゴードン卿は、引き下がろうとしない。
「なぜだ」
「存亡がかかっておりますので」
「国のか?」
「いえ、大陸全土の、です」
御大は、少し態度を柔らかくした。
「御大殿、人間に思う所があるのは分かり申す。されど、その人間とて、えふるとて、他の種族であれ、この大陸に生きとし生ける者でござりましょう。さすれば、ここは恩讐を越え、手を結ぶべきかと」
「……、皆と話をして諮るしかない」
「ならば、それがしに、話をさせてもらいとう存ずる」
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