第22話
ヘーゲンの町からだいぶ離れているのに、エファルが突破しようとしているこの砦の名前はヘーゲンという。
急ごしらえの砦よろしく、およそ壁らしい壁もなければ、門扉らしい門扉も設置されておらず、要するに、関所に、天幕を備え付けたほどの粗末なものだった。
当然、部屋らしい部屋もなく、この砦を守っているダイセンは、
「これではだれも止められないな」
とぼやくほどだった。
「これだと国境の警備をしているほどがよほどましだったな」
とはいえ、今の任務を軽く見るわけにもいかず、ダイセンの表情はやや鬱屈したものになっていた。
「異常はないな」
ダイセンが兵士たちに尋ねると、兵士たちは口をそろえて、異常がないことを報告してくる。周辺の警備でも、変わった様子はない、ということだった。
「では、手の空いたものから休憩しろ。交代の者は、引き継ぎをしておくように」
出来た一瞬の隙をめがけて、黒い暴風が飛び込んできた。兵士たちが混乱する中、ダイセンだけは冷静だった。
「私の武器を取って来てくれ」
近くの兵士から長剣と盾を受取、構えたダイセンは馬上の人となって暴風の後をつけていく。
「そこの馬、とまれ!!」
ダイセンが呼ばわると、馬は徐々に速度を落とし、ついに止まる。その馬の正体をみたダイセンは、
「エ、エファル」
と、喜びとも驚きとも、あるいは怒りとも取れない、なんとも言いようのない顔をしている。
「い、生きていたのか」
「この通り、息災でござる。ダイセン殿もお変わりなく、重畳至極」
「なぜ、戻ってきた」
「神の森から奪われたものを取り返しにやって来たまで。返してもらえれば、すぐに立ち去り申す」
「魔獣の子供のことか」
左様、とエファルが頷くと、ダイセンは、顔を伏せた。
「ダイセン殿、魔獣の子供たちはどこにおるか、御存じあるや」
「分からないし、たとえ知っていても、貴方に話すことはない。それよりも、貴方には国家反逆者として、手配が回っている」
「それがしが謀反人とは、笑止千万。へくなーむこそが、公王陛下に取り入りし獅子身中の虫ではないか」
「どうあろうとも、貴方が反逆者であることに間違いはない。もし、私の言うことに従っていただけるなら、陛下にとりなして命は助ける」
「それを断れば?」
「ここで、貴方を倒すしかない」
エファルはアケビから降り、一礼して、剣を構えた。そして兵士たちには、一切手を出さないように命じた。
「それが、答えだな」
ダイセンも、切っ先を天に向けながら胸元に置き、盾と共に構えた。
エファルの剣と、ダイセンの剣は対極にある、といってよい。エファルの剣捌きをダイセンは盾で防ぐのに対して、ダイセンの剣を、エファルは完全に見切っていた。ダイセンはさらに何度か突きを入れ、あるいは薙ぎ、はたまた振り下ろすが、そのいずれもエファルは受け流す。
唯一剣と剣が交わったのは、エファルの振り下ろしに合わせて、ダイセンも同じく振り振り下ろした時で、その時に、ダイセンの剣の根本とエファルの剣の根本から、鈍い金属音が響いた。
二人が交わした数十合の対決は、どちらも決め手を欠いていた。両者の手が一度止まったとき、
「思ったより、ダイセン殿はやる」
エファルはそう言い残すと、剣をおさめつつひらり、と軽やかにアケビの背に跨った。
「逃げるか」
「このような事をするために参ったのではない故、勝負はひとまず預け申す。いずれ、決着をつける時が来よう。それまで、御身を大事にされよ」
バディストンの兵士たちがアケビを取囲もうとするが、ダイセンはそれを止めた。
「ダイセン殿、かたじけない。かたじけないついでに、魔獣の子供たちの居場所を教えてもらえまいか」
「それを教えることはできない。……、ただ、今回のことについては、私やマクミットは関知していないことだけは、伝えておく」
なるほど、とエファルは頷き、アケビの腹を蹴った。アケビはまたしても黒い暴風となってバディストンの領内に突撃していった。
「ダイセン様」
ダイセン様、と警備の兵士たちが詰るようにダイセンを呼ばわると、
「責任は、俺がとる」
というだけだった。
どこから捜索するか、ということを考えていることはなかった。ダイセンの言葉の通りならば、ヘクナームが絡んでいるに違いない。となると、ヘクナームの館か、それに近いボーンズの屋敷になる。あるいは、城。
もし城ならば、最早手出しは出来ない。警備は厳重であり、捕まりに行くようなものだからだ。一方、ヘクナームの館か、ボーンズの屋敷であれば、まだ目はある。ヘクナームの館の警備が手薄なのは、バディストンの人間であれば有名な話であるし、ボーンズの屋敷の者と一度手合わせをしたことがあるが、エファルからすれば全く物足りない相手だった。
エファルは、ヘクナームの館に目をつけた。そしてもし、ヘクナームの首をとることが出来れば、それだけで事態は大きく変わり、バディストンの愚行を止められるかもしれない。ヘクナームの館は、城から一日ほど離れた所にある。
エファルは、かつてハーロルトの供でヘクナームの館に出向いたことがある。館は質素で、警備も殆ど置くこともせず、隙だらけのように見えるが、かえってそれが不気味さを醸し出し、それまで、用もなく近づいたり、侵入したりする者はいなかった。
それをエファルが初めて破る。さしものエファルも、身震いした。
「ここで待っておれ。もし何かあったれば、その時は、お前だけでも逃げろ、よいな」
アケビに伝えて、エファルはヘクナームの館に正面から入った。ヘクナームはメイドや執事といった家の用事を司る者を雇わない、という話を聞いたことがある。なぜかは分からない。そのため、ヘクナームが城へ行ってしまえば、ここは無人の館になり、エファルが侵入した時は、正にその時だった。
「まこと、人を雇わぬとは不用心な男よの」
ハーロルトの場合は、エファルといういうなれば用心棒がいたために、他の警備を雇うことはしなかったが、ヘクナームの場合は、そのような用心棒すらいない。全く不用心というエファルの言葉が当てはまる。
エファルは平屋の館の部屋をすべて調べた。隠し通路のようなものもなければ、隠し部屋の類もないように思われる。
「ボーンズの屋敷か、あるいは城か」
そう考えた時、エファルの鼻を何かがくすぐった。血の匂いだった。エファルは鼻を鳴らしながら、あらためて調べ直すことにした。
血の匂いは、屋敷の奥の角部屋の壁からする。エファルは手を壁につけて沿わせ、叩きながら慎重に調べていく。匂いがきつくなってくる。エファルは少し吐き気をおぼえたが、それでも続けた。
一番匂いが強いところに辿りついたとき、エファルは徐に壁を押してみた。すると、壁が回転した。
「伊賀の忍びの屋敷にこのような仕掛け扉があるとは聞いていたが、まさかここでも見られるとはな」
エファルは驚きながらも、扉の向うへ進んでいく。
緩やかな下り坂になっている先から、むせ返るような独特の匂いがやってくる。エファルは手で鼻を被いながら行くと、中々に広い部屋に出た。
「三十畳はあるか」
エファルはそう目算した。部屋は暗く、とても普通の人間では見えないが、狼族は夜目が利き、光のないところでもある程度の視力は確保される。
「なんと。……」
エファルは絶句した。
部屋の中央に大きな紫の血だまりが出来ていた。魔獣の子供たちの姿は見えなかったが、おそらく、ここで何かが行われていたのは間違いない。それも、大量の出血を伴うことだ。
「もしや、すでに。……」
子供たちの屍がないところから確信を得ることはできないが、魔獣の子供たちの命は奪われているか、そうでなくとも瀕死になっていることは間違いないだろう。
だとすると、子供たちの体はどこにあるのか。ここにあるのは大量の血、それだけだ。ここで『何か』を行ない、『それ』を別の場所に運び込んだことは十分に考えられる。そしてそれを運べるだけの場所は、バディストン城以外にはない。
「やはり、城か」
エファルはこの血生臭い部屋を抜け出、屋敷の外に出た。ヘクナームのいる気配は、感じられない。ただ、エファルの鼻は、少し鈍くなっている。
エファルはアケビの背に乗り、城へ向かおうとしたが、すでにエファルが入り込んでいることが知らされているためか、捜索部隊が次々と動いているのが屋敷の外から見えた。このままではいずれ、捕まることは目に見えている。といって、むざむざ子供たちを見捨てることもできない。
エファルは城に目をつけた。
「こうなれば、討死覚悟で参るしかあるまい」
エファルの肚は定まり、城に向かって悠然と進んでいく。その途中、
「エファル様、でございますか?」
何とも可愛らしい声だった。エファルはその姿を探すのに、さほどの時間を要しなかった。
「たしかに、それがしはエファルと申すが、メイド殿、いかがされた?」
「こちらにおいで下さいますよう、お願い申し上げます」
「そうしたいのはやまやまなれど、それがし、急用がある故、城に行かねばならぬ。お誘い下さるのはかたじけないが」
「我が主が、是非とも、お話したい、ということでございますので、どうしても来ていただかねば困ります」
アケビは、城へ行くのに躊躇っているようだった。エファルが言い聞かせても、アケビは、メイドの後について行くようだった。
「どうしてもというのであれば、致し方ない。案内していただこう」
「ありがとうございます。ここからすこし寒い所に行くことになりますが、よろしいですか?」
「狼は寒冷地でもさほど大事ないが、馬の方がいささか心許ない。何か、かけるものはあるか」
「でしたら、このように致しましょう」
メイドは短い詠唱を唱えただけで、何も起こらない。
「何をされた?」
「そのお馬さんには、寒さに強くなる魔術を施しました。一時的なものですが、この程度であれば、大丈夫かと思います」
「そうか。ならば、参るとしよう。貴殿の名を承りたい。それと、それがしと会いたい、というあるじの名もな」
「私は、フェルナといいます。そして、あるじの名は、マクミット・ゴードン」
マクミット、という名を聞いて、エファルは知らないはずはない。ハーロルトと同じ円卓の者の一人だからだ。
マクミットの屋敷は、片道で二日ほどの距離にあって、極寒冷地にあるため、一周期中寒さから逃れられない。何度か休息や休憩を挟みながら、マクミットの屋敷に到着した。
「では、こちらでございます」
フェルナはアケビを屋敷裏の馬小屋に連れていき、飼い葉と水をそれぞれ運んだ。アケビは嬉しそうな鳴き声を上げると、貪り始めた。
「これ、行儀の悪い事をするでない」
エファルが窘めても、アケビは止めようとしなかった。
「では、エファル様はこちらへ」
フェルナに連れられて、客間に通されたエファルは、目の前にいる女性の姿を見て、
「長らくの無沙汰をしておりますれば、息災そうで何よりでござる、まくみっと殿」
「その話し方、物腰、相変わらずね、エファル」
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