第21話
エファルの背中の傷は確かに疼くが、といって行動が出来ないほどではなくなっている。アケビの背に乗って、いうなればもと来た道を戻って行かねばならないことに、エファルは鬱屈さを禁じ得ない。
アケビは時折、見るからに心配そうな顔をエファルに向けると、
「これも役儀故、致し方あるまい。早う役目を終えて戻りたいものだ」
といって、アケビの首を撫でる。アケビはなんとも言えない複雑な顔をして前を向き直した。
とはいえ、神の森の魔獣の子供たちを助けなければならない。エファルはバディストンにつながる街道を進んでいく。
いくつかの宿を経て、ヘーゲンという町に着いた。バディストンまではまだ遠いはずなのだが、ちらほら、とバディストンの兵士の姿が見える。エファルはそれを見て隠れるようなことはせず、宿をとって馬を小屋につなげようとした。
「エファルさん、ですね」
バディストンの兵士がエファルの姿を見つけて駆け寄ってきた。
「左様。されど、人の名を聞く前に己の名を名乗るのが礼儀であろう」
兵士は、コブランドと名乗り、これより先は、すでにバディストン公国による制圧が始まっていて、ここにいるのは先遣部隊だといった。コブランドはエファルを人目があまりない場所まで連れて行き、
「ので、早く立ち退かれることをお勧めします」
とささやいた。
「何故、それがしを逃がそうとする?」
「私は、昔ハーロルト様の御屋敷を警備していたことがありました。エファルさんが来られる前です」
「そうであったか」
「ええ、ですから、この度の外征、特にヘクナームのやり方には思う所がありますが、これも任務ですので」
「いや、役目大儀。役儀によってそのようなこともせねばならぬのは、宮仕えはじつにすまじきもの。心にとどめおこう。されど、我らも故国に戻らねばならぬわけがあるのだ」
「誰か、バディストンに捕らわれているのですか?」
「誰、ではなく、色々な」
「あくまでバディストンに向かわれるならば、我々は貴方を拘束しなければなりません」
「貴殿の役目はよう存じているつもりだが、こればかりはどうにもいかぬ。……、申し訳ないが」
エファルはだしぬけにコブランドの側頭部を手刀で素早く打つと、呻き声をあげる間もなく、コブランドは倒れた。エファルはつなげていたアケビの手綱を外し、少しばかりの水を与えただけで、ヘーゲンを後にした。
「アケビ、疲れるだろうが辛抱してくれ」
アケビは健気に長い首を上下させた。
とはいえ、このままでよいはずもなく、暫くは野宿や廃屋などをつかって休息していたが、それで疲れが取れるはずもなく、食糧は底をつき、飲み水を入れていた革袋の水筒がからになったのは、ヘーゲンから出発して五日、神の森から数えると二十日ほど経っていた。
「ここまでか、実に無念だ」
エファルはアケビに何度もあやまると、アケビは青水晶のような透き通った目に涙をためながらエファルを見つめている。
「おぬしだけでもなんとか生きながらえさせたいが、どうにも難しいようだ」
エファルはそう言って気を失った。アケビの絶叫のいななきが、重く小さく聞きながら。
「中山様がすでにお待ちでございますのに」
あけびは陽之助の体を揺り動かしている。陽之助はようやく目をこすりながら半身を起こした。
「ああ、よう寝たわい」
「実にお疲れでございましたのね。中山様が先ほどからお待ちでございますよ」
「ああ、そうか。実に待たせておったか、申し訳ない」
陽之助が立ち上ると、あけびはすでに小袖や肩衣や袴などを用意していた。
「登城の太鼓でも鳴っておったか?」
「ええ、先程らいより」
「それはすまなかった。小太郎、彦四郎殿には、今しばらくお待ちしてもらうよう掛け合うてくれ」
「もうすでに、伝えております。中山様は、客間にてお待ちしております」
陽之助はいそいそと支度を急いでいた。
エファルが気がついたのは、山小屋の中だった。見渡せば、寝台の他に、暖炉が備わっていて、一人暮らしのようだ。
「目が覚めたか」
声をかけてきたのは人間の男で、弓矢があったりするところから見ると、どうやらここに住んでいる狩人らしい。
「これは、申し訳ない。命を拾い申した。それがしのちかくに黒い牝馬がいたかと思うが、如何に」
「その黒馬なら、裏でぐっすり眠っているよ。……、あの馬は賢い馬だ、たった一頭でここまでやって来てな、首を振りながら、お前のところまで連れて行ってくれたよ、背中には乗せなかったがな」
「そうでござったか」
「それで、倒れているお前を見つけて、ここまで連れてきた、というわけだ」
「はあ、誠にかたじけない。お礼の言葉も見つからぬ」
「礼ならあの馬にでもいうんだな。心配そうにしていたよ。自分も疲れているだろうに、よほどお前の事が気にかかったらしい」
「返す返すも、礼を言うほかござらぬ。それがし、エファルと申す。貴殿のご姓名を承りたい」
「姓名?名を知りたいのか」
「左様。命の恩人の名を知らぬは武士のなおれでござる」
「ブシ?……、このあたりで狩りをしている、エファームという。人間に見えるかもしれないが、エルフと人間の間、ハーフエルフだ」
「はーふえるふ?父君か母君が、えるふでござるか」
「親父がエルフで、母親が人間だ。たまにいるんだよ、そういうのがな」
「お父上は、元々狩りを生業にしておられたか」
「……」
「これは、立ち入ったことを聞いたやもしれぬ。忘れて下され」
「あんた、おもしろい話し方をするな。狼族なのに」
「よう言われまする。昔の癖が抜けぬようで」
エファームは軽く笑うと、
「まあいいさ。……、それよりも、あんなところで何をしていた?襲われたのか」
「いや、情けない話でござる。実は、ばでぃすとんに用向きがあり向かおうとしたが、思ったよりバディストンの兵が警戒しており、街道筋には出られなんだまま、食糧も底をつき、難渋を致した」
「ん?……、エファル、とかいったな」
「左様、エファルと申す」
エファームはしばらく考え込んでいたが、
「もしかして、バディストンで賞金首になっている狼族の男、というのはお前か。たしか、エファルとか言っていたな」
「手配書でも出ており申したか。まあ、至極当然のことでござろうな」
「ああ、バディストンの連中が、何度か。……」
エファームは急に黙ると、エファルに寝台の下に隠れるようにいうと、エファルは寝台の下へ転がった。
戸を叩く音がする。何だ、とエファームの声に、戸が開いた音がした。
「誰かここにいるのか?」
「いや、見てもらえればいいが、誰もいないぞ」
「声がしたような気がしたが?」
まさか、という声と共に、寝台の隙間が少し狭くなると同時にエファームの足がエファルの前に現れた。
「何か隠しているようだな」
「なんなら、覗いてもらっても構わないぞ。どうする?」
「……、前にもいったように、もし見つけたら金貨で百枚だ。居場所を教えるだけで三十枚だ。悪い話じゃないからな」
戸の閉まる音が聞こえた。隙が広がると、
「出ていいぞ」
エファームの声がしたので出ると、エファーム以外に人はいない。
「賞金首になっていたか。金貨百枚とは、随分と買い被られたものだが、なにゆえ突き出さなんだ?賞金が思いのままに手に入ろうに」
「そこまで腐っちゃいないさ。それに、バディストンの連中がここいらあたりを荒らしまわって、ろくに獲物も取れない。正直、腹を立てているのさ」
「これで、貴殿には多大なる恩義を得申した。重ね重ね、かたじけのう存ずる」
「それよりも、あんた、なにやらかしたんだ」
「さあ。……、ただ、ばでぃすとんの者どもにとって、邪魔ものになっていることは間違いなかろう、それゆえ、手配が回っておるのでござろうな」
「気を付けなよ。……、ちなみに、ここから神の森へ行くにしても、バディストンに行くにしても、同じくらいかかるぞ」
「なるほど。では、そろそろお暇するといたそう。……、貴殿を信じて、一つお願いがござる」
「何だ?」
「あの黒馬を、貴殿で預かってもらいたい。よくいって聞かすゆえ、暫く頼めまいか?必ず、迎えに参る故」
「俺は構わないが、あの黒馬はそんなことを聞くとは思えないぜ」
と言いながら、二人はアケビがいる小屋に向かった。
「アケビ」
エファルは、ここから一人で行くから、待っていてほしい、からなず迎えに行く、ということを噛み砕くように伝えた。
それに対して、アケビは何度も首を横に振って、話を聞こうとしない。それどころか、蒼水晶のような目がだんだんと据わってきて、今にもかみつきそうなほどに鋭くなっていき、鼻息も荒くなっていった。
「ほらみろ、この馬はお前と一緒にいたいのさ。……、羨ましいもんだ、そこまで心が通じ合っているとな」
エファルは大きなため息をついたが、アケビは顔を一変させて、憐れむような顔をして、何度もエファルの胸元に鼻をすりつけてきた。
「連れて行ってやれ。それに、ここを占拠されたら、獲物を置く場所がないんだ、もしかすると、この馬をばらばらにするかもしれないぞ」
「……、仕方あるまいな。どこまでもわがままな奴め」
エファルは苦笑しながら、アケビの鼻を撫でてやると、アケビは表情を少しやわらげてすり寄ってきた。
「では、もう少しだけ飼い葉を分けていただけぬか?ここからばでぃすとんまでは相当に時もかかり申そうゆえに」
「ああ、いいだろう。適当なのでいいか?」
「贅沢は申さぬ」
エファームから飼い葉を分けてもらい、エファルたちはエファームの山小屋を出た。
獣道から出て、バディストンの兵士たちの見回りの隙をつきながら、バディストンの領内へと向かう。バディストンまでの道はまだ遠い。街道筋を避けながら、しかし見えるほどの距離を保ちながら、道なき道を行く。
バディストンの兵士の士気は、エファルが思ったほど高くはないように見受けられる。その原因が何であるのか、エファルはなんとなく考えつくが、といって、それに確固たる確信を持ち合わせることはできない。
ただ、この程度の士気であれば、もしかすれば、突破は出来るのではないか、というほどに考えを持ち始めた。
幸いにも、エファームの山小屋での休息は、エファルとアケビの体力を戻すには十分だった。それだけではない、靄がかかっていたような感覚はなく、頭も、まるで少し先の未来が見えるほどにさえている、と言ってよかった。
「アケビ、少々無茶をするがよいか?」
アケビは不安そうな顔をエファルに向ける。
「出来ねば、それでよい。このまま隠れ進むだけだ」
アケビは長い首と鼻先で、背中を指した。
「乗ってよいか?」
アケビは、ぶるる、と鳴きながら首を上下に振る。エファルはやおら馬上となり、
「やることは一つだ。力の限り、走り抜けるのだ。決して恐れてはならぬ。勢いに任せて突き進めば、向こうはひるむ。暴れ馬は、誰しも怖いものなのだ」
エファルがアケビの首筋を何度か撫でると、アケビの目から恐怖の色は消えているように見えた。
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