第15話

 キリィはドノバンに先ほどの出来事を話した。

「マクミットさまが?」

「ええ、来るように言われました」

「言われた以上は行かなけれならない。……、私が案内しよう。なに、円卓の方の御屋敷は全て知っている」


 マクミットの屋敷はバディストン公国の中でもとりわけ北にあって、炎の期においてもふぶくほどではないにせよ、冷気の力が勝っていて、易々と人が行けるような場所ではない。キリィはドノバンから防寒用の装備一式を借り受け、兵舎の騎士に事情を話すと、臨時雇いを受け容れることで代用させると、ドノバンと共に一マクミットの館に向かった。城から館までは片道で二日ほどの所にある。


 館に近づけば近づくほど冷気が強くなって、キリィは常に体を震わせている。ところが、ドノバンはその様子は全くなく、むしろ体が火照っているようにさえ見えた。

「なんで、そんなに顔が赤いのですか」

「ああ、これだ」

 といって出してきたのは火酒スピリッツの入った酒瓶だった。飲むか、とキリィに渡すと、キリィは少し喉を鳴らして飲んだ。


「一気に飲むからだ」

 ドノバンは笑いながら咳込むキリィの背中を軽く叩いた。

「あれ、ですか」

 遠くに二階建ての建物が見えた。一見すると氷の神殿のようにも見える。

「ああ、あれだ。あれがマクミットさまの御屋敷だ。それにしても、なんでマクミットさまがお前を呼んだのかね」

 それはキリィにとっても疑問だった。マクミットの目的が、キリィには分かりかねた。



 マクミットの屋敷に到着すると、ドノバンが屋敷の扉をたたいた。屋敷の広さは十数人ほどであれば余裕をもって住めるほどの大きさで、マクミットの権勢の程が伺えた。

「ドノバンです。マクミットさま、キリィを連れてきました」

 扉が徐に開くと、メイドらしい少女が立っていた。

「やあ、マリナ」

「お久しぶりでございます、ドノバン様」

「マクミットさまはおられるかな」

「はい。こちらに」


 マリナに案内された二人はマクミットの書斎に到着した。マリナが中に入ってしばらくすると、

「マクミットさまが入るように、と。ただし、キリィ様という御方だけでございます」

「私は?」

「ドノバン様は、ベルーニアの蜜で作ったお菓子をご用意していますので、別室でお待ちください」

「ベルーニアか。このところ食べてないからの、有難く頂戴する」

 ドノバンがマリナと共に別室に向かった。

「キリィ、入りなさい」


 マクミットの声がしたので、キリィは警戒しつつ中に入った。

 マクミットが自宅用なのだろう薄手のローブを着ていた。マクミットの肢体のラインが微かに出ていて、なんとも色気のあるいでたちだった。

「あ、あの」

「別に気にしないで、別に欲情することもないでしょう」

「しかし、目のやり場に困ります」

「じゃあ、少し着替えて来るわね」

 少し待って、出てきたマクミットの姿は、今度は体のラインを覆い隠すほどのゆるめのローブだった。


「それで、あなたを呼んだのは、少し知りたいことがあったからなのだけどね」

「はい」

「あなた。……、バディストンの人間ではないわね」

 キリィは途端にあからさまに警戒を激しくした。

「そこまで構えなくてもいいわよ、私だって、他国の人間なのだから」

「やはり、ムーラですか」

「……、やっぱり名前で分かるか」

 マクミットは天井を見上げて笑った。


「そう。私の元義父はボールド・ゴードン。元夫が、フレデリック・ゴードン」

「なるほど、ムーラの重鎮中の重鎮であり、事実上、国を動かしていると言われている『ムーラを指し示す者』というあのゴードン一家」

「指し示すなんて、買い被りね。とはいえ、それくらいの力量は親子ともどもあるとは思うけど」

「……、あなたは、ムーラの密命でも帯びてここに」

「工作員のあなたと一緒にしないで」

「私が工作員?何でそう思う?」

「そりゃ、兵舎の管理人なんて、誰もやりたがらないもの。事情を分かっていない者か、あるいは何か目的があるか。そのどちらかでしかない」

「それだけですか」

「あと、何かと用事をつけては城のほうへ来たりね。他の者はともかく、私の目はごまかせない。一体、あなたはどこから来た?ムーラ?それともレザリア?」


 キリィは無言のまま微動だにしない。マクミットがキリィに向けて手をかざすと、キリィは頭を抱え始めた。

「こういうのはあまり好まないのだけれどね。……、シーフ=ロードか」

「し、知らないな」

「素直に吐きなさい。別に、貴方を突き出そうなんて思っちゃいない」

 キリィはそれでも無言のままで何も言おうとはしない。マクミットはさらに力を強めたが、キリィの口の堅さを見て、魔術をかけるのをやめた。キリィが何度も肩で息をする。


「まあ、シーフ=ロードの『鷹の目』がそう簡単に口を割るわけがないか。……、私と取引をしない?」

「取引?」

「ええ、一人の男を探ってほしい。名前はヘクナーム。この国の筆頭文官をしている男」

 その名前は、事前に仲間から聞いている。噂では、間接的に、ラグランスの古参の配下だったハーロルトとかいう人物を排除した、とされている。

「ヘクナームが何をたくらんでいるのか、それを知りたい」

「それは、貴女がおこなえばよいのでは?」

「それが出来るなら苦労はしないわよ」

 マクミットは鼻で笑った。


「ヘクナームはね、小狡い知恵だけが回る、スネイプルのような男なの。だから、常に警戒している。それをかいくぐるには、腕のいい工作員か、よほどの間抜けを使わないと無理ね」

「俺は間抜けか」

「この際間抜けでも工作員でもいい。私と組んでほしい。この国がたった一人の男のために滅亡するのを防ぐためにも」


「拒否をしたらどうなる?」

「私が首を斬られて終わり。そして、バディストンは滅亡する」

 マクミットの目は全く動じない。キリィは、

「わかったよ。ただ、条件がある」

 キリィは、城と城下への通行を自由にさせてほしい、といった。ようするに兵舎の泊まり込みをやめて、通いにしてほしい、ということだった。


「ドノバンにそう言えばいいだけだから、構わない。他には?」

「それだけだ」

「話は決まりね。じゃあ、早速お願い。報告はこの屋敷で聞くわ」

「わかった。あまり期待はするなよ」

 マクミットはキリィの言葉に反応しなかった。

 キリィがドノバンがいる来客用の部屋に向かった時、ドノバンは腹を膨らませてすっかり眠っていた。


「ドノバンさん、帰りますよ」

「お。……、話は終わったかね」

「ええ。そのことで、お願いがあります。泊まり込みだった仕事を、通いにしてほしいのです。マクミットさんが、私に頼みごとがあるらしくて、それで」

「マクミットさまの頼み事?」

「ええ、実は、マクミットさんは、独身でしょう?」

「昔に一度、そのようなことはあったらしいが、今は独り身だと聞いているな」

「それで、良い男を探してほしい、と。それで」

「だったら、なにもあんたじゃなくても、私に頼めば済む話じゃないかね、水臭い」

「ええ、私もそう思うのですが、マクミットさんは、どうしても私でないとだめらしいのです」

「よくわからんが、まあいいだろう。昼間は今まで通りに仕事をしてくれ」

「わかりました。では、戻りましょうか」

「そうだな。……、マリナ、マクミットさまによろしくな」

「はい」

 二人は再び寒い中を城に向かって進まねばならない。


 キリィはマクミットの言いつけの通り、ヘクナームについてそれとなく調べていた。シーフ=ロードの工作員たちもヘクナームについては前々から目をつけていたらしく、ある程度のことは分かった。


 例えば、筆頭文官であり、ラグランスのムーラ侵攻について何度か献言をしたことがあること、元々は下層生れで、城に上がったのは、ラグランスに取り入ったらしいこと、政敵には容赦なく、常に陰湿で、蛇のように評されているなど、表層的な情報はいくつも入ってきている。


 ただ、キリィにとっては、これはささいなことだった。キリィにしてみれば、このような表向きの情報には核心の部分は隠されているものだ、と考えている。ヘクナームの深層に迫り、それに触れるには、はやりヘクナームに近づかねばならない。


「ヘクナームの屋敷に入るか」

 キリィが言ったとき、工作員たちは次々と止めに回った。

 城から一日の所にあるヘクナームの屋敷を探ったことがある者がいたが、そのものは未だに戻ってきていない、という。


「だからキリィ、お前が招集されたんだよ」

 という。つまり、ヘクナームに近づけば、死がすぐ近くに迫ってくる、ということらしい。だから、あまり近づかない方がいい、と皆が言う。


「だが、今度は違う。マクミットが後ろ盾になってくれているんだ」

「マクミット?……、円卓の一人か」

「ああ、まだ信用できないが、利用する価値はあるだろう」

「マクミットは、俺達の事を知っているのか?」

「気付いているだろうな、実際、屋敷に呼び出されたわけだからな。ただ、それでも取引を仕掛けてくるくらいだから、ヘクナームに何か考えでもあるのだろう。俺は、それに乗ろうと思っている」

「……、そこまでいうなら、お前のいうことを信じよう。ただ、もし少しでも危険を察知したら、すぐに逃げろ。そして、国に戻れ。いいな」

「わかったよ。何かあったらその時は頼む」


 キリィは兵舎での仕事を行ないつつ、ヘクナームの動向を注意深く見ていた。ヘクナームの行動そのものは平凡で、何か特別なことをたくらんでいる様子はない。ただ、この男が外征を献策し、神の森を襲撃させた張本人である事はすでに分かっている。


 キリィはヘクナームを尾行した。ヘクナームは城と自身の屋敷の往復のみで、他にどこかへ行く様子はなかった。

 むしろ、一旦屋敷に入ると滅多に外に出ることはない。それ自体は何ら不思議ではないが、ヘクナームの屋敷は、ヘクナームがいるはずであるのに、人の気配が全く感じられない。夜になっても、屋敷から明かり一つ、洩れることがない。


「どこへ行った?」

 キリィは屋敷の周辺を念入りに調べるが、ヘクナームの屋敷は人っ子一人いないようにも思える。ヘクナームには妻子が表向きいないが、確か女を囲っている、というような噂話は聞いたことがある。だとしても、これほどまでに人気がないのは、やはり不自然だ。


「中に入るか」

 キリィたちシーフ=ロードの工作員は、常に鍵明けの道具などを隠し持っている。キリィは一階の適当な部屋を見つけると、ケガキ用のナイフを取り出した。辛抱強くガラスに傷をつけていくうちに、ガラスの切片が部屋の中に入る。そこから腕を入れ、鍵をあけて窓を開け、中に入った。


 すでに日が落ちて辺りが暗いというのに、部屋はおろか廊下にいたるまでまるで光源というものが見つからない。一階の部屋をくまなく見て回ったが、メイドすらいない屋敷に不気味さをおぼえたキリィだった。


「本当にいないのか?」

 そんなはずはない。ヘクナームは確かに屋敷に戻り、そこから出ていない。目を離したわけではないから、それは間違いない。屋敷は平屋なので、二階は当然になく、となると一階のどこかにいる。


 キリィは老獪の燭台を一つとり、火をつけた。微かに炎が揺れている。その方向に進んでいくと、ヘクナームが使っているのであろう寝室に辿りついた。

「ここは調べたはずだが、何かあるのか」

 周辺の壁をそれとなく触ると、空洞があるような感触をおぼえた。その壁を押すと、その先に地下に続く階段が見えた。


「なるほど、地下室か」

 そこに、ヘクナームの『何か』があるように思えてならなかった。

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