第16話

 地下室へと続く階段は、足の爪先から先が見えないほど暗い。その階段を降りようとしたときだった。

 頭に何かの衝撃が走った。倒れゆくなかで、キリィはいないはずのヘクナームの姿を、確かに見た。

 キリィの顔に冷水が投げつけられた。キリィが顔を左右に振りながら意識を取り戻すと、目の前にヘクナームがいた。キリィの体は縄で手と足を縛られて、地面に転がされている。


 隣にはぐったりとして全く反応がないエルフが壁から吊るされている。腕に虫に刺されたような痕がいくつもついている。ヘクナームはそれに構わない。

「近頃こそこそと嗅ぎまわっている奴がいるとは思っていたが、兵舎の管理人じゃないか。なぜ、私を嗅ぎまわる?」

「あんたに興味があったからだよ」

 ヘクナームのこぶしがキリィの顔にめり込む。ヘクナームのこぶしは軽く、痛くもかゆくもない。


「嘘を言うな。誰に頼まれたか。あるいは別の国から来たか。……、ムーラかシーフ=ロードの工作員ということも考えられるが、どうだ」

「それを聞いて、本当のことを言うと思うか?筆頭文官はもう少し賢い奴だとおもっていたが、どうやらそうでもないらしい」

 黙れ、とヘクナームが再び殴る。はやり、いたくない。


「まあいい。お前にはいずれ、話してもらうことが山のようにある。まずは」

 ヘクナームは見るからに怪しげな薬をキリィの口に押し込んだ。キリィが途端に喉が割れうほどの嗚咽をあげて吐きだそうとするが、出る気配は微塵もない。

「薬を一滴飲ませただけだ」

「何を飲ませた」

「まあ、今に分かる。とりあえずはそこで大人しくしておけ」

 ヘクナームはそう言って光源になっている手持ちの燭台を持って、地下室を出ていった。重苦しい扉の閉じる音と同時に、光が消えた。


 キリィは手の関節を外した。そうすることで隙間が生まれて、縄が緩むからだ。闇の中で関節の鳴る音が不気味に響く。両手が自由になった所で、関節を戻し、足の縄を解いて自由になると、縄を持ちつつ、地面を手探りした。手頃な意思を見つけると、石壁にぶつけて火花を作り、縄に火をつけた。

 エルフはだらり、として意識がない。


「……、おい」

 キリィがエルフに声をかけるが、エルフは目を閉じたままで反応を示さない。それでもキリィは声をかけ続ける。

「お前は、どこのエルフだ?なぜ、ここに捕まっている?」

「……」

「何があった?」

「……」

 エルフは反応する体力すら残っていないようだった。腕を吊り下げられている手錠の鍵穴に、持っている道具で手錠を外そうとしたとき、

「……、とんでもないことを」

 エルフが譫言のように言う。


「とんでもないこと?」

 エルフはまた黙った。キリィはエルフの両腕を自由にすると、火のついた縄を隠し道具のナイフに絡ませた。

 地下室を出る扉はこちらからからは開けられないような仕組みになっているらしい。


 助けを待つか、もしくはヘクナームが来る隙を見つけるか。このどちらかしか方法はないらしい。

「腹、減ったな」

 キリィはぼそりとつぶやいた。ライナ手作りのメルガ芋のスープを思い出していた。薄味ながらメルガ芋の甘さが引き立つ、すこし熱めのスープは、キリィの腹に染みわたって心地よい気分にさせられる。


 ライナの事、生まれてくる子供のことを考えると、何としてもここを脱しなければならない。

 キリィは会談を降り、ナイフをいたるところにかざした。縄の火が揺れることはなく、ここは完全に密封された空間のように見える。

(本当に密封か?)

 もし本当に密封空間であれば、このエルフはここまで長く持ちこたえるはずがない、エルフでも人間でも、風の精霊の停滞は緩慢な死を招くからだ。


 キリィは地下室の天井にナイフをかざした。縄の火が揺らぐ場所を見つけると、部屋の片隅にあった木製の椅子に上った。ぎちぎちと椅子が悲鳴を上げるが、それに構わず、キリィは天井の一部分をこじ開けようとした。途端に椅子が大きな音を立てて潰れてしまった。ヘクナームがやってくる気配はない。


「う。……、ううん」

 エルフの呻き声がした。ようやく目覚めたエルフだったが、まだ視線の焦点が定まっていないようで、また

「……、とんでもないことを」

 と繰り返していた。キリィはエルフの様子を見つつ、

「大丈夫か?」

 と何度か声をかけた。そうしていくうちに、エルフの意識が定まってきたようで、目の力も強くなっていくのが分かる。


「ここは、ヘクナームの地下室ですね」

「ようやく気がついたか。あんた、ずっと気を失っていたり、なにやらうなされていたりしてたぜ」

「そうですよね。……、わたしはとんでもないことをしてしまったのですね」

「その、とんでもないことっていうのはなんだ?」

「私は、旅のエルフで、トーアパティといいます。あなたは?」

「俺は、キリィ・ランバートだ。シーフ=ロードの『鷹の目』と呼ばれる工作員だ」

 といったところで、キリィは口を押えた。明かしてはいけないはずの身分をぺらぺらと話していることに驚いた。


「その様子ですと、おそらくエドランドラの液体を飲まされたのでしょうね」

「エドランドラ。……、自白に使う毒草だったな」

 と、キリィはヘクナームに飲まされた液体を思い出した。自白用だとすれば、キリィが全てを話す為に呑ませたのだろう。

「ヘクナームも手の込んだ真似をする」

「ええ、私も何度もこうして」

 と、トーアパティが腕を見せる。


「これは?」

「おそらく、マクーニを煎じて煮詰めたものを、私の体の中に入れたのでしょう。はじめは私は抵抗していましたが、結局それに打ち勝つことはできませんでした」

「確か、マクーニは、他人を操るためにつかう毒草だったな。ヘクナームはあんたに何をさせようとしていたんだ」

「ヘクナームは、人間の悪しき意思を集めて作り上げられたような男です。ヘクナームは、神の森の魔獣の子供たちを捕獲し、それを、分解してつなぎ合わせようとしたのです」

 キリィは暫く黙って考え込んだ。そして閃くように、

「まさか、合成獣」

 そうです、とトーアパティは答えた。


「何かを運び入れていたのは、材料ってことか」

「ええ。他に有翼人の子供も使う予定だったらしいのですが、有翼人の子供はこちらに来ていません」

「なるほどね」

「それで、すでに来ていた魔獣の子供たちを、バディストンの兵士たちが次々とばらばらにして行き、それをつなぎ合わせたのです」

「でも、なんであんたが」

「私は、自然にあらざるものに生命を吹きこむことが出来るのです。ですが、この力は危険なのです。なぜなら、これを行なうと神々の摂理から離れた、異形の者が増えていくことになります。そうすると、それまでの神々の加護が薄れてしまい、ついに闇の時代にはいってしまうからです」

「ところが、あんたはそれをやってしまった。……、でも、マクーニを使われていたんだ、あんたは悪くないさ。悪いのは、ヘクナームだ」

「でも、私は、とんでもないことを。……」

「それ以上自分を責めるな、責めるよりも、次をどうするか考えたほうがいい」

 トーアパティは力なくうなずくと、ひとまず、ここを脱出したい、といった。キリィも脱出する術を探しているが、どうにも八方ふさがりになっている。


「天井の一部はどうにかなるかもしれない」

「ならば、私が」

 キリィは、トーアパティが繋がれている鎖外した後、四つん這いになった。トーアパティが背中に載って、天井を調べ始めた。

 確実に風の抜け道がある。


「どうだ?」

「ここから風の精霊がやってくる気配はあるみたい。でも」

「その天井の石壁を壊せば部屋がつぶれておしまい、か」

 トーアパティはキリィの背から降りると。少しふらついた。まだ薬の効果が残っているようだった。

「よくもまあ、こんな部屋を作ったもんだな、あいつは」

「助けが来るのを待つしかない」

「いや。……、まだあるさ」

 キリィが地下室の扉を叩き始めた。


 どれほどたたき続けたのか分からない。手は皮膚が裂けて血がにじんでいる。だが、これしか抜け出る方法はない。

「それ以上は、手が」

 トーアパティが止めさせて手に治癒魔術を施すが、体力が弱まっているから満足に傷を癒すことが出来ない。それをふり切ってまた扉を叩くものだから、キリィの手は皮膚にとどまらず、肉が見え始めている。


 不規則な足音が聞こえてきた。二人が階段の死角に逃げ込むと、扉が開いて入って来たのはヘクナームと屋敷の警備兵がなだれ込んで来た。キリィはトーアパティを担ぎ、階段に飛上って、ヘクナームの背後を取る形になった。


「捕まえろ!」

 ヘクナームは振り向いたが、すでにキリィは扉の向こう側にあって、ニヤリ、と笑みを浮かべて扉を閉めた。


「これで、時間が稼げるだろう。まあ、バカじゃない限りはどうにか脱出するだろうがね。あるいは誰かがやってきて助けるかもしれないが、ひとまずは安心だ」

「あの、神の森へ行きたいのですが」

「いや、今のあんたの体じゃ、神の森へ行くのは難しいだろう。とりあえずは、俺の拠点に連れていく。そこでひとまず休もう」

「……、よろしくお願いします」


 トーアパティは気を失った。ヘクナームの屋敷を脱するのはさほど難しくはなかった。入り込む時といい、今といい、ヘクナームはそういうところにはあまり知恵が回らない性質らしい。


 キリィはトーアパティを担ぎ、夜陰に紛れて工作員たちがいる拠点に戻った。

「エルフを監禁していたのか、それもマクーニ中毒にして」

 工作員たちはキリィからの報告を聞いて驚愕していた。


「問題は、合成獣だ。バディストンが運び込んでいたのは、神の森の魔獣たちをバラバラにして、合成獣を創ったことだ。この存在が表に出れば、ムーラは愚か、我が国も無事では済まなくなる。この事は早く王に伝えるべきだ」

「わかった。この事は、キリィ、お前が伝えに帰れ。後は俺達がやる」

「しかし」

「お前は先に帰れ、子供も生まれたことだろうに。それにエルフ一人くらいどうとでもなるさ」

「わかった」


 キリィはひとまず拠点にある寝台に入り込む途端に、泥のように眠った。

 次第に外が明るくなり始めた頃、聞いたことの無い叫び声が聞こえた。トーアパティの声に違いない。


 キリィが声の所に向かうと、トーアパティが寝ているはずの部屋から工作員たちが次々と慌てて飛び出して来た。


「何があった?」

「あ、あのエルフ、急に暴れ出しやがった」

 飛出してきた工作員を追いかけて、トーアパティが工作員の頭をつかんでずるずると引きずりながら現れた。

「おい、どうした?」

 トーアパティに、キリィの声が届いてない。トーアパティは明らかに正気を失っていた。

「誰かに操られているのか?」

 だとしたら、ヘクナームの仕業ということになるが、キリィの見る限りでは、ヘクナームにそのような高度なことが出来るとは思えなかった。


 だとするとマクーニの中毒症状が出た可能性も考えられる。が、確信はない。

「ひとまず逃げるぞ」

 キリィの声で皆が玄関まで走りだした。玄関の扉を開けた時、キリィたちは二人のエルフに捕まった。

「先ほどの叫び声を聞いて、もしかして、と思ったのですが、やはり、トーアパティでしたか」

「知ってるのか、あのエルフを」

「ええ、トーアパティといいます。私と同じ、旅のエルフですよ」

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