第14話

 キリィは地図を頭に叩き込み、バディストンの町の様子を探ることから始めた。

 町は一見すると平穏無事のように見え、とても侵攻をしようとしているようには見えない。侵攻する国には特有の、一種の熱病のような浮かれ具合がみえるが、ここに関してはそのようなものは感じ取れない。


「何かに怯えているか、あるいは嫌がっているような気配すらあったな」

 拠点に戻ったキリィが、仲間に尋ねられて最初に言った言葉だ。


「嫌がっている?」

「ああ、なにかこう、ラグランスの方向性について行けてない、というのか、一種の厭戦的な空気があったように思う」

「やっぱり、お前もか」

「ということは、ほかのみんなも?」

 ああ、と仲間たちはうなずく。


「来て早々そこが分かるとは、優秀な潜入工作員は違うな」

「おだてたって無駄さ」

「そうかい、飯の一つでも奢ってもらおうと思ったが」

 というと皆はひとしきり笑った。


「これからどうする」

 真顔になったキリィが尋ねると、

「ひとまずは様子見だな。目立つ必要もない」

 ということになった。キリィはもう少し町の様子を詳しく知るべく、何度か町をまわった。数日かけて分かったことは、やはり今回の、ムーラ侵攻については必ずしも理解が得られていないこと、そしてそれについて、取締りがあまり熱心ではない、ということだった。


 その印象は他の仲間たちも同じようだった。

「ちぐはぐだ」

 という言葉が全てを集約している、といってよかった。バディストンという国の方向性が分からない。

「もう少し詳し探るか」

「詳しく?」

「城の中に入る」

 キリィが言ったとき、他の工作員たちが、

「やめておけ」


 と一斉に止めてきた。先ず、城に潜入するとしても、警備が厳重で足先すら入れられるのは難しい。よしんば潜入することが出来たとしても、情報を手に入れるには城の中枢にまで食い込む必要がある。そして公王のラグランスはそこのしれない男であり、そこから情報を取るのは困難を極める。


「大体、子供が生まれるんだろ?無茶はするな」

「子供のためにも、そうしたいのさ」

「しかしなぁ。警備が厳重、中枢に入るとなればなおさらだ。それに、入れたとしても、帰ってこれるかどうか。危険だな」

「でも、そうでもしなければ情報を得られないだろう」

 工作員たちは誰もが黙った。


 キリィは、

「俺達の仕事は、このバディストンが何をしようとしているのか。そして何を考えているのか。それを知ることだ。そしてそれを王に伝える。伝えることはここの誰かがやればいい。だが、誰も中に入ろうとしないのならば、俺が行くしかないだろう」

「……、わかった。ならば、手筈は俺達が整えてやる」

 工作員たちはキリィの身分を偽るための工作、特に身分証明について、偽の証書を作り始めた。


 偽の証書が出来上ると、工作員のうちの一人が魔法陣の描かれた机の上に置き、詠唱する。証書が光ったかと思うと、暫くしてから光は収まった。

「これでが出来た。俺がこれまで見たところだと、この国の魔術の程度はさほど高くない、これくらいであれば、まずは打ち破られることはないだろう」


 キリィは証書を手渡されて、

「わがままを言ってすまない」

 と、頭を下げた。

「本来だったら俺達がいかなきゃいけないんだ、むしろ俺達が申し訳なく思う。とにかく、生きて帰ってこい」

「ああ」


 キリィは、町の宿屋の掲示板を見て回った。基本的に宿屋には求人の掲示板が貼ってあり、中には城に出入りする仕事も載っている。町にあるおよそ十軒ある宿屋の掲示板を見て探し回ったが、中々見つからない。


 数日回って、ようやく見つけたのは、城に併設している兵舎の掃除の仕事だった。兵舎といっても、城に常駐する近衛兵のための兵舎で、規模としてはさほど大きくない。報酬は、一日の手当てがバディストンの銀貨で一枚。キリィは宿屋のあるじにこの仕事への仲介を頼んだ。


「じゃあ、身分の証書を出しな」

 あるじが手を出すと、キリィは身分証書を手渡す。あるじはカウンタ下においてある証書真偽の魔術器械にかけた。

「……、大丈夫そうだな。お前さんの身分はこれで証明された。じゃあ、この仕事の担当をしている近衛兵のバトラーさんに話をつけるから、明日また来てくれ」

「頼んだよ」


 キリィは宿を出て、ようやく息を大きくついた。いかに高い障壁の魔術であっても、何かの拍子に破られるかもしれず、絶対はまずない。キリィは早速拠点に戻り、事の次第を報せた。


「ひとまず、一歩前進だな」

 工作員の誰かが言うと、

「まだ始まったばかりだ。むしろここからが本番だ。俺達は、城を見張りつつ、キリィからの報告を待つ。交代してもいいが、常にだれかが兵舎に張り付くんだ」

 翌朝、キリィは宿屋のあるじのところへ向かった。


「近衛兵舎は城の中にあって、黒の旗が上がっているところだ。城の中では、兵舎以外に旗を立てるところはないから、直ぐに分かるだろう」

 キリィは言われて、城を目指した。門番にわけを話すと、門番は素直に中に入るよう言ってきたので、キリィはわざとらしくゆっくりと歩いてはいった。


 城の中に入ると、はやりバディストンの兵士たちが溢れかえっている。そこかしこで戦争の準備をしているようで、やはり、ムーラを侵攻するという話は間違いないようだ。旗が立っている建物を見つけたのは、城の表とは反対の裏側の建物だった。普通共通語で、『兵舎』と書かれた木の看板がかかっていた。


「すいません」

 応対したのは、この兵舎の管理人で、ドノバンといった。

「宿屋から聞いているよ、新しく入る人だね」

「よろしくお願いします」

 ドノバンはキリィの腰ほどの背の高さに樽のような体格の男で、兵舎にいる近衛騎士たちの古参より服るこの兵舎を管理しているドワーフだ。ドワーフもエルフほどではないが長命の部族で、ドノバンはまだ若者の部類だという。


 兵舎は三階建ての、石造りを基本としながら、鉄の鋲なども使った、頑丈そうな建物だ。

 一階は騎士たちの休息場兼待機所で、この時は二人ばかり、鎧を脱いだ近衛騎士がくつろいでいた。こっちだ、とドノバンは奥へとキリィを連れていく。

 そこは、机と椅子がそれぞれ二脚並べられてあり、羊皮紙の書類が積まれていた。その後ろは布で間仕切りがしてあった。


「ここが、私と君が使う場所だ。細かいことは追々いうが、仕事は簡単だ、この兵舎の掃除と、食事を運ぶこと。それ以外は自由にしてもらっていい。ただし、兵舎を離れる時は、私に一言伝える事」

「わかりました」

「今日は掃除の方は終わっているから、明日からになる。掃除の方法と場所は、明日教える。それから、寝泊まりをする場所は、こっちにある」

 ドノバンが布を外すと、二段式の寝台があった。


「基本としては、近衛騎士たちがいつ食事をとり、いつ出ていくか不規則になっている。それだけではなく、このところ少し不穏な様子になっているようでな、出入りも激しくなっていて、ここを離れるわけにはいかんのだ。もし荷物があるのなら、今のうちに持ち込んできてくれ。では、よろしくな」


 ドノバンが部屋を出ていくと、キリィも後に続いて、一旦は拠点の方に戻った。

 キリィが身支度を整えていく中、他の工作員たちが様子を見にやってくる。キリィは兵舎の場所、仕事の内容などを伝え、ここに戻ってくることはないことも話した。


「だとすると、連絡手段が取れなくなるな」

「それに、城の裏となると忍びこむのも容易ではないだろう」

「転移魔術はどうだ?」

 などと口々に話していると、

「当面は、連絡は取らないつもりだ」

 キリィはそう言った。

「なぜだ。それじゃ情報が分からないじゃないか」

「暫くは、真面目に仕事をするさ。信用を勝ち取らないといけないからな」

「……、いいだろう。ただし、念のためにこれは持って行っておけ」


 とキリィに渡されたのは、手のひらほどの小さな杖だった。いざという時に、空に放り投げれば、それが合図になるというもので、その時はこの拠点にいる工作員たちが手助けをして逃がしてくれる、という。

「じゃあ、手順を確かめるぞ」

 工作員たちは手作りの地図を元にキリィを助けるための手順を確認した。



 ドノバンはキリィの姿が見えないことに少し不安を感じていたが、それも杞憂に終わった。

「来ないのかと思っていたぞ」

「いや、そのようなことはありません。よろしくお願いします」

「ああ、こちらこそ」

「では、仕事の内容をもう少し詳しく話そう」


 三階建ての兵舎のうち、掃除をする絵場所は一階全般、近衛騎士たちが寝泊まりをする二階、三階の宿直の共有部分になる。それだけではなく、時には周囲の草を引いたり、武器や防具を磨いたりすることもあるらしい。


「武器の修繕は、できるかね?」

「それは、やったことがありません」

「ならば、それはやらなくて結構。あとは。……、ひとまずそんなものかな」

 キリィは早速掃除道具をもちだして、一階の掃除を始めた。ゴミは殆どなく、大抵は近衛騎士が運んでくる土を吐き出す作業に終始する。二階、三階も似たようなもので、掃除自体はさほど時間はかからない。ただ、ひっきりなしに近衛騎士たちが出入りするので、一日に数回、頃合いを見計らって掃除をすることになる。その上で、食事の運び出しも行わねばならず、作業量そのものは少し多い。


 キリィがそうしていくうちに分かったことは、近衛騎士たちが存外に若者が多い、ということと、この近衛騎士たちは、今回の侵攻にさほど興味を持っていないことであった。


 一階の食事場で数人の近衛騎士たちが一緒にあることがあるが、その時は大抵が、どこの娘がきれいかどうか、とか、あるいは、自身の体を鍛えるために稽古をつける相手を探したり、はたまた世間話をしたりして、とても、戦時下にある国とは思えないようなのどかさだった。


 といって、キリィから話しかけることもせず、ただ黙々と仕事に集中している。何度か解放されるときに食事をとったり、積まれている資料や記録などから情報を抜きとったりするが、中身は事務的な者がほとんどだった。例えば、剣の研磨に必要なものだったり、鎧を磨くための油など、侵攻や戦争を連想させるような備品の注文や持ち出しなどはなかった。


「戦争をする気じゃないのか?」

 しかし、物々しい空気は明らかに戦争を、ムーラへの侵攻にすすんでいるわけで、国民も渋々受けて入れているように見える。

「ラグランスは何を考えている。……?」

 具体的な指示は出ていないのか。とすれば、この戦争はラグランスが主導をしたものではないことになる。だがそれには無理がある。


「もう少し調べるか」

 ドノバンに兵舎の外へ出て草を引くことを告げて、キリィは草引きを装いつつ、少しずつ城の方へ向かっていった。

 その途中であった。

「新人さん、かしら」

「あ、はい。キリィと言います」

「私は円卓の者、マクミット・ゴードン」

 ゴードンといえば、ムーラの中で王の次に権力を持ち、英名の誉れ高いボールドとその息子であるフレデリックが有名だが、その血筋の者であろうか。


「兵舎の管理人は、城の中まで草引きをするものかしらね」

「ああ、これは失礼しました。つい」

「仕事熱心なのね」

 マクミットの笑顔は少し不器用に見えた。

「まあいいわ、ドノバンに言って、私の館に来なさい。場所はそこいらの者に聞けばわかるでしょうから」

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