第10話

 ヘクナームが、バディストン公国城下の自らの邸宅の地下室へと向かっている。石造りの階段は全部で六段。カンテラがなければ足の爪先の先が分からないほど暗い。

 ヘクナームはカンテラに木片を突っ込んで火を分け、壁に掛けてある燭台に灯していく。次第に地下室に明かりが入り全貌が見えた。


 石壁につけられた鎖に、両腕が繋がれた一人のエルフが繋がれている。頬はこけ、長い金髪はくすんでほつれて顔にかかっている。腕に小さな刺された痕がいくつもついている。


「どうだ、やる気になったか」

 項垂れているエルフの顔を、ヘクナームは強引に持ち上げた。エルフがヘクナームを睨み返している。


「まだのようだな。ならば、もう少しここで頭を冷やすことだな」


「私も色々な人間を見てきたが、貴方ほど残酷で、卑怯な者を見たことがありません」


「どうとでもいえ。いずれ、お前にはやってもらうことになるのだからな」


「いくら旅をしていても、故郷を裏切るようなことはしたくない。例え、その為に私の命が消えてしまうことになっても、構わない」


「そうはいかん、貴様にはどうにかやってもらわねばならん」


 ヘクナームが懐から取り出したのは液体の入った注射器で、嫌がるエルフの腕をつかんで液体を注入すると、エルフは意識を失ってまた項垂れた。ヘクナームは燭台の火を消して、地下室を出ると、扉を閉めた。


「この屋敷に地下があったとはね」


 ヘクナームが振り返った。同じ円卓の一人である、マクミットだった。


「どうされました?」


「この屋敷には使用人はいないのか、もしくは仕事を放棄しているか。何度も声をかけたのだけどね」


「これは失礼しました。後で、きつく言い聞かせておきます」


「地下室で何をしていた?」


「別に、何も」


「かすかに誰かの声が聞こえていた。貴方だけではない、他に誰か。誰かを地下に閉じ込めているのか?」


「独り言ですよ、探し物をしていたものですから」


「見つかった?」


「いえ、もしかしたら他の所にあるかもしれません。……、そんなことを聞きにわざわざ?」


「いえ。魔獣を使って外征をするという話だけれど、本当に出来るの?」


「どういう事でしょうか?」


「神の森の魔獣は、エルフ達にとっていい仲間であり、魔獣たちにとっては主人みたいなもの。そのような絆をどうやって切り裂くのか」


「あなたも、随分と心配性ですね」


 ヘクナームが見下したように笑った。


「ええ、心配ですもの。戦をしたことがなく、城の中でただ文献を漁っていただけの貴方に何ができるのか」


「確かに、私は戦争の経験はありません。ですが、そのようなささいな事はどうでもよいのです。圧倒的な力があれば、戦略も戦術も意味をなさくなりますからね」


 マクミットが怪訝な顔をしていると、ヘクナームはまた笑った。


「まだ計画の途中ではありますからね、全貌をお見せすることは出来ません。お引き取りを」


 マクミットは大人しく引き下がって、ヘクナームの屋敷を出た。

 ヘクナームの計画がどういうものか調べるつもりだったが、ヘクナームは尻尾を出さなかった。ただ、ヘクナームの計画が底知れない、とんでもないものらしいことは察することはできた。


 マクミットはヘクナームの屋敷から、ダイセン卿の所に向かった。ダイセン卿は国境周辺の警備の任についているからだ。


 ダイセン卿は国境の門の詰所にいた。

「マクミット女史、どうしました」

「二人になれないかしら」

「わかりました」

 ダイセンは暫く詰所に誰も来ないように兵士たちに通達すると、マクミットと膝を突き合わせた。


「話とは」

「ヘクナームの事よ」

「例の魔獣の話ですか」

「それだけじゃない、ヘクナームは地下に何かを隠している。恐らく、誰かを監禁していると思われる」

「監禁?」

「ええ、今までの彼の言動からして、恐らく魔獣に関することに間違いないでしょう。となると、監禁されているのはエルフかもしれない」

「救い出しますか」

「いや、そのつもりはない。ヘクナームが何を『しでかす』のか見届けなければならないからね」

「では、ヘクナームの監視を」

「難しいと思うけど、お願いできるかしら」

 ええ、とダイセンは頷いた。


「マクミット女史は?」

「もう少し調べたいことがある。できれば、ヘクナームに見つからないように」

「わかりました。では、私の配下の者で、信頼できる者をつけさせましょう。で、何を調べるつもりなんですか?」


「そこまで、貴方に教えるつもりはないわ。ただ、貴方が本当に信頼に足る人間で、ヘクナームが何を考えているのか分かったら、教えるかもしれない」

「そこまで信用有ませんか、私は」


 ダイセンが苦笑するのを、マクミットが言った。


「ええ、はっきり言ってね。いくら味方だとしても、妻子が人質に取られている以上、裏切らないと言いう保証はどこにもない。でも、貴方という人物は見込める。今はそのせめぎ合い、というところかしらね」


「そうですよね、妻子が人質に取られていて身動きが取れない人間に何もかも話す訳には行きませんね」


 悪く思わないでね、とマクミットは詰所を出ようとした。


「気を付けてください、ヘクナームはいたるところに間諜を入れていますから、足を掬われないように、慎重に」


「無論そのつもりよ」


 マクミットは詰所を出て、自らの屋敷に戻った。

 マクミットの書斎は、壁が棚そのものになっていて、そこにははちきれんばかりの本が並んでいる。順番に法則性はなく、どこにどの本があるのか、初めて見たものには全く分からない。が、マクミットにとってはこれが最善の並び方で、この書斎には誰も入らせないようにしている。


 マクミットは魔術を使って本を数冊選び、それを書斎の中央にある読書用の椅子の脇にある机に平積みにすると、マクミットは椅子に座って読み始めた。最初の本の題名は、

「魔獣の扱い方」というものだった。マクミットはさらに数冊の本を読み漁り、最後の本に手をかけた。そしてそれを丁度中ほどまで読んだ時、ある頁だけが破られていた。そこの項目を、マクミットは思い出した。


「……、ヘクナームめ」

 マクミットは屋敷を飛び出していた。



 ムーラのゴードン卿は、正式な名前はボールド・ゴードンという。この時で八十歳に近く、すでに後継者は息子のフレデリックに譲っている。が、リンク王のたっての願いで、魔法城に入っては、リンク王の顧問のような役目についている。


「で、神の森で何があったというのだ」


 ゴードン卿がエファルに尋ねた。


「バディストンの軍勢が、神の森を荒らしまわり候、その際、子供の魔獣をかどわかしたる段有之これあり


「ようするに、バディストンの連中が、神の森で事を起こして魔獣の子供をさらったのか」


「御意」

「随分と厄介な事をしてくれたな、やつらも」

「どういうことだ?ゴードン」

「王、これは一大事になるかもしれません。直ぐに主だった者を召集されるべきかと」

「そのようにしよう」


 リンク王の名で、魔法城一階の講堂と国会を兼ねた広間に、評議員三十名がすぐに招集された。ゴードンはそこで今回の事を伝え、


「バディストンが攻めてくることは間違いないと考えられる。ましてや、魔獣を使っての襲撃、侵攻ということになれば犠牲が出るのは間違いないだろう。そこで、王の名のもとに緊急事態宣言を発令し、有事に備えるべきかと思うがどうか」


 評議員の反応は様々で、鈍いものもあれば、意味の分かっていない者、頭を抱える者、動じていないように見える者など、一つにまとまっていなかった。

 ゴードンは無表情でそれを見つめている。言葉を尽くして説明をしたりせず、ただ黙って見ている。


「なぜ、バディストンが我らを襲うのか」


 という質問が何処からか飛んだ。ゴードンがエファルに促すと、エファルはそれまでの経緯を話した。そこからは押し問答のような形になったが、エファルはそれでも説諭した。あげくには一部の評議員から罵倒に近い批判が出始め、さらに投げられた物がエファルの頭にぶつかったりしたが、エファルは動かなかった。


「卒爾ながらお尋ねもうす」


 エファルの気迫と剣幕に、評議員たちの動きが止まった。


「貴殿らは、この国をどうされたいのか、お聞かせ願いたい」


「それはこの国を守り、繁栄させることだ」


「ならば、何故侵攻してくる事が明らかにも拘らず、それを防ぎ、国を守ろうとなさらぬのか」


「お前の言っている事が正しいとは思わないからだ。バディストンがこのムーラに侵攻するなど考えられないことだ。あるわけがない」


 ゴードンが再び口を開き、

「実際に神の森を襲い、魔獣の子供たちを攫っているのだぞ。そうでなくとも、神の森を襲っていること自体、危機の入り口に立っているではないか」


「バディストンが魔獣を攫ったとして、そもそも、ムーラに攻める理由がないではないか。そこの狼族はラグランスが外征を決めたのが理由だと言ったが、それだけで攻めて来るとは思えない。……、はっきり言って、その話自体が信じられない」


 その言葉に、次々と評議員たちが同意していった。無論、危機感を覚えている評議員たちもそれに反論していたが、結局批判派が大勢を占めていった。ゴードン卿は、顔を伏せて左右に振るばかりだった。


「ごーどん殿、お手を煩わせてしまい、申し訳なく存ずる」

「いや、この国の評議員どもの阿呆さ加減に愛想が尽きた。とはいえ、評議員の評決で決まるため、おそらくお前さんの思う通りにはならないだろう。……、一度、この国は痛い目を見たほうがいいかもしれん」


 ゴードン卿は荒れ狂っている評議員たちをどうする事もせずに、エファルを連れだして講堂を後にした。

 リンク王は話を聞いて、

「愚か、としか言いようがないな」

 という他に何もできない。王とはいえ、王はあくまで評議員の評決を王として認め、発布することがその機能になっているので、この国の制度上、ある意味では無力ともいえた。


「いや、御国の評議員の方々の申されるお気持ちもよくわかり申す。その目で見ることの無い者にとっては、夢物語のように思われるのでござろう」


「戦争が身近にないのも結構だが、それは時にこうも感覚を鈍らせてしまうものか。……、実にレザリアが羨ましい」


「れざりあ?」


「この国の隣にある神聖帝国だ。ここは『地にあって乱を忘れず』を地で行くような所だからな」


「なるほど、この大陸も、様々な大名家がそろっておるのでござるな」


「国の事ならば、その通りだ。……、神の森を抜けて南東へ行くと、お前さんに似た連中がいる『ウルフ=アイ』という国もある。一方で滅んだ国もある。この大陸も、歴史を刻んでいるのさ」


「……、よい見聞を広めることが出来申した。では、これから神の森に戻りまする」

「そうか、なら気を付けていけ。力になれず、すまなかった」


「ゴードン殿が謝られることはありませぬ。いうなればこれも定めでござる」


 エファルはアケビの背に乗ってバーストを後にした。

 エファルはバーストを出て暫く街道を歩いていたが、歩みを止め、振り返った。当然に、バーストは変わらない。暫くエファルが見つめていると、アケビが首を振った。


「おお、すまなんだな」

 アケビの首を何度か撫でると、アケビは歩み出した。目線のその先には、遠くに神の森が見えた。

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