第11話

 ゴードン卿は、魔法城近くにある小高い丘の上の屋敷に戻って以来、城に上がらずにいた。ただ、自分の書斎に閉じこもっているばかりだ。息子のフレデリック・ゴードンが書斎の扉をたたき、入って来た。


「父さん、どうしたんですか」

「何がだ」

「何がって。……いつもは寝込んでいても城に上がろうとするくせに、このところはここに閉じこもってばかりじゃないですか」

「調べものだ」

「何を調べているのです?」

「さあな」

 いつもと違う、生気を失ったゴードン卿の顔を、フレデリックがまじまじと見つめる。


「なんだ」

「いつもの、憂国病ですね」

「……、ああ、そうだ。この国の行く末を考えれば考えるほど、どうにも気鬱になってな」

「今度の原因は何ですか?」

「実はな、バディストンから亡命したエファルとかいう狼族の面白い男がいてな、魔法城に、あることを知らせてくれた」


 バディストン、という言葉を聞いたフレデリックは表情が硬くなった。

「そうだよ、マクミットのいる、バディストン公国だ」

「……、で、その狼族は何と」

「バディストンがこちらに侵攻してくるらしい。それも、神の森の魔獣を使ってな」

「……、随分と派手なことをしますね、バディストンも」

「ああ。……、ラグランスのやつめ、この西大陸を支配するつもりらしい」

 ゴードン卿が吐き捨てた。


「しかし、ラグランス公王はそれまでそのような動きは見せませんでした。それがなぜ今になって」

「それは本人に聞くしかないだろう。それよりも、忌々しいのは、それでも評議会は動かん、という現実だ。このままでは本当に国は亡びるぞ、たかが一人の若造のためにな」


「……、ラグランス公王は、たしかまだ三十にもなっていなかったでしょう、実に野心溢れる方ですね」

「褒めている場合か。早い事抑え込まんことには、この大陸が大混乱のるつぼに落ちてしまうのだぞ」

「ええ。父さんは、どうするおつもりですか?まさか、評議会の説得をしないわけではないでしょう」

「緊急事態宣言を、発令するつもりだ」


「一時的に、王の権力を集中させるのですね。たしかに、そうすれば事態には早く対応できますが、それには評議会の承認が必要ではないのですか?」

 フレデリックのいうように、ムーラでは緊急事態宣言は、評議会の賛成多数による決議を経なければならない。


 だがゴードン卿は、そんな暇はない、と切り捨てた。

「そのような悠長なことをしている間に、バディストンは力を蓄えるだろう。そして満を持して攻めて来た時、今のままで戦えると思うか?バディストンが小国だと考えて侮っていれば、いずれ痛い目を見るのだ」

「だから、その前に評議会を出し抜いてまで、態勢をととのえたい、と」」

「それ以外に何がある」

「ですが、そんな裏道のような方法があるのですか?」

「あるではないか、一つだけ」


 フレデリックは暫く考えていたが、ある特殊な場合を思い出した。

「評議会の解散」

 ゴードン卿がにこやかに頷いた。

「評議会を解散させた後に緊急事態宣言を発令する。そうすれば一時的に王に権力が集まる。それを利用するのだ」

「しかし、それでは」

「後のことは後で考えればよい。今は、今だけに集中するのだ」


 ゴードン卿はそういうと、フレデリックと、護衛のアレックス・ライトをともなって魔法城に上ろうとした。

 いつもならば開いているはずの城の表の鉄門が、この時は壁のようになって閉まっていて、門番が立っていた。

「おかしいですね、これは」

「……、まさか」

 ゴードン卿が表門を開けさせようと扉を叩公としたとき、門番がゴードン卿の前に立った。


「どけ」

「どけません、ゴードン卿、あなたを城に入れるな、という連絡が入っています」

「だれがそう言った?王か」

「リンク王は、ゴードン卿の身の安全を確保したい、ということでした。そして、評議会は開催されません」

「何ぃ?」


 気色ばむゴードン卿に、門番は戸惑いつつ、評議員の三分の一をこえる十一名が、今度一切の評議に応じない、という声明を出すという。評議会では三分の一を超える評議員が開催を拒否すると、評議会そのものが開かれなくなる、という制度としての欠陥を突いた形だ。そして、評議員の権限は、何かしらの犯罪が発覚したりして、その身分を剥奪されない限り、評議会が変わることはない。


「ですので、今はお引き取りください。ミシェル宮廷魔術師が、王のそばにおられますので」

「おい、門番。何か動きがあれば、すぐに儂の所に報せろよ、よいな?」

「承知しました。情報は、逐一ゴードン卿にお伝えします」

 頼んだぞ、と意外にもあっさと、ゴードン卿は退いた。



 エファルは神の森へと向かう中途にあって、名もない村に立ち寄った。宿があるわけでなく、店もないこの小さな村に到着した時、折あしく日が傾いて星がちらほらと見え始めていた。


 ここを通り過ぎて次の町で宿を、と考えたが、このまま夜通し歩くのは体力が難しい。エファルは馬から降りてアケビの様子を見ると、アケビは少し疲れている様子であった。


「どこぞで野宿をするかそれとも、一宿一飯の恩義を貰うか、せねばいかんな」

 アケビは嬉しそうに鼻をエファルの胸にこすりつけてくる。

「よし、どこぞで宿を借り受けよう。いざとなれば馬小屋でもよいのだからな」

 エファルは近くの家の者を訪ねた。そこは、老人が一人で住んでいるようだった。

「家でよければ泊まっていきなさい」


 という親切な老人が裏手の馬小屋を貸してくれるという。

「これはかたじけのうござる。では、貴殿のお言葉に甘えさせていただきまする」

「まあ、持ちつ持たれつだ、ゆっくりしなされ」

 馬小屋には十分な藁が敷かれてあった。新鮮な飼い葉も中に入っていて、まるでここに泊まることを予見しているような用意の周到さだった。

「……、どうにもおかしい」


 ここまで都合よくあるわけがない、エファルはそうつぶやいて、周辺を警戒した。アケビが目を輝かせて飼い葉の桶に首を突っ込もうとした。

「アケビ、それは食べるでないぞ」


 不満そうな目を向けてくるアケビに、エファルは同じように目で諭した。残念そうな顔をしたアケビはそのまま藁の中に体を沈めた。エファルは鼻を聞かせながら馬小屋の辺りをそれとなく探ったが、特におかしな点はなかった。

「もしや、別の馬小屋に馬を置いているのか」


 そう考えると、この藁にしても、飼い葉にしても、理屈が通らないわけではない。疲れていうのだろうな、とエファルは自分に言い聞かせると、アケビの隣で同じように藁の中に身を沈めた。


 馬小屋の戸が開いた音がした。途端にエファルの耳が動いた。

「ご老体か?」

 目を閉じて体を沈めたまま、エファルが声をかけたが、反応はない。目を開け、長剣をとって構えようとした。

「おっと、そこまでだ、狼野郎」

 先ほどの様子と全く違う老人だった。老人はエフファルの首筋に刃を当てている。それだけではない、恐らく村の者たちであろう数人の男女が、アケビを取囲んでいる。アケビはまだ寝ている。


「馬泥棒か」

「察しがいいな、狼野郎。ひとまず、武器を渡してもらおうか」

 エファルが長剣を捨てると、老人が、

「この牝馬は中々上玉だな。え?それに毛並みもいいし、高く売れるぜ、こりゃ」

 と、下卑た笑い声をあげると、泥棒仲間がアケビを起こし、アケビに轡をかました。アケビが混乱気味に暴れまわると、一人が鞭をしならせてアケビの背をしたたかに叩いた。乾いた破裂音が馬小屋に響く。アケビは涙を浮かべて大人しくなった。

「狼野郎はここでおねんねしておけ、永遠にな」


 老人が首を振ると、屈強な男が二人、エファルの前に立ちはだかった。一人がエファルの首を掴んで締めあげながら持ち上げる。エファルの意識が次第に遠のいていく。ばたつかせていた足もだらり、と力なくぶらさがっているだけになっていった。

「さて、とどめだな」


 とますます締め上げようとするのへ、エファルは意識と力を振り絞って、爪を立て、男の顔に傷をつけた。思わず手を放す男。咳込みながらも覚醒したエファルは、相手の喉笛に爪を突き立て、貫いた。相手が隙間風のような息をしながらどう、と倒れて絶命した。野郎、ともう一人がおそいかかってくるが、エファルの前では歯が立たなかった。エファルは先ほどとおなじように、今度は頸動脈を裂くように爪で切ると、馬小屋の壁や天井が地で赤く塗れた。


 エファルは長剣をとってアケビを探し回った。とおくでアケビのいななきが聞こえてくるのを、たよりにして、エファルは村から南へ進路を取った。

 人間の走り方から、四つ足での走り方に変わる途端に、エファルの速度が上がっていく。馬泥棒の一行を追いかけていくうちに、周囲を高い壁で囲ったみるからに身分の高そうな屋敷に辿りついた。


 表の鉄扉は頑丈に閉まっていて、門番も立っていない。

 エファルは鼻を嗅いだ。やはり、アケビがここにいることは確実だった。

「お尋ね申す!!」

 エファルの朗々とした声が、夜空に響き渡った。が、屋敷からの反応はない。扉を無理にこじ開けることもできそうになく、エファルは屋敷の周りをぐるり、と一巡した。


 表以外に出入りする場所がなく、一度入ってしまうと、出るのは困難になる。

「吉原のようなものか」

 エファルが榊陽之助であった頃、参勤交代で江戸に出てきたことがあった。その時、日本橋の葦屋町という所に吉原という遊郭があった。この吉原は後に浅草裏に移転することになるが、エファルは一度だけ葦屋の吉原に付き合ったことがあった。その時のつくりが、今のこの屋敷のように大門と呼ばれる出入り口の他に繋がる場所はなく、周囲は柵で張り巡らされていたのだが、エファルはそれを思い出していた。

 壁の高さはエファルが飛びついても全く届かないほど高い。正面切って入るしかなかった。


「頼もう!!」

 もう一度門の前で声をかけたが、それでも誰かが出てくる気配はない。エファルは扉をたたき始めた。気の遠くなるほどに叩き続け、扉にはエファルの手の形をした血の痕がいくつもついた。夜があけはじめ、地平線の向うから太陽が上がり始めた頃になって、ようやく扉が開いた。

「何の用だ」

 男が面倒そうな声で尋ねてきた。

「卒爾ながらお尋ねいたす。昨夜、この屋敷に黒い牝馬が運び込まれたはずだが、その牝馬をそれがしにお返し願いたい」

「馬?知らねえな」


「知らぬはずがあるまい、それがしの馬が昨夜馬泥棒によってこちら五運び込まれた事は火を見るより明らか。直ぐに引き渡し願いたい」

 男はかたくなに拒否をしてくる。エファルと男が押し問答をしていると、奥からさらに数人の男達がやってきた。その中に、馬泥棒の連中もいた。

「そこの者が、それがしの馬を奪い取り申した」

 指を差された連中は、さも知らない、という体でとぼけた。

「知らないと言っているんだから、さっさと帰れ」

 などと言われたとき、大きないななきが聞こえた。


「あのいななきは何かな」

「あ、あれは、この屋敷の馬だ」

「……、検分仕る」

 エファルが中に入ろうとしたとき、男達が次々と武器を構えだした。エファルは長剣をゆっくりと抜くか、と思うと次の瞬間には男の首を刎ねていた。男の首が驚いた顔をしたまま天高く飛んだ。


 野郎、と屋敷の連中がエファルにおどりかかってきた。エファルはそれを受け流し、あるいは躱して、そして受け止める。さすがに複数の不規則な攻撃はエファルにとってせわしなかった。が、エファルは確実に一人一人の戦闘力を削いで奪い、一人、また一人と斃していく。


 最後の一人になったとき、

「馬はどこだ」

 と凄む顔は、返り血でさらに壮絶さが増していた。

「う、馬は。……、や、屋敷の、裏」

 にある、という声は出てこず、首が刎ねられて飛上ったときに多少動いただけだった。


 屋敷の馬小屋には、アケビだけではなく、数頭の馬が同じように繋がれていた。どれも一目でわかるほどの駿馬だった。

「もう、心配は要らぬぞ」

 エファルが長剣をおさめて、馬小屋から馬たちを解放させようとしたとき、

「そういうことをやられると困るんだがな」

 という、聞き取りにくいしゃがれた声がした。

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