第5話

 神の森の中は、その外見と違って意外なほどに明るかった。太陽の照りが木々の葉にあたって、若緑の光になって、木々の根に映っている。

 ハンナは目を輝かせて見まわしている。


「初めて、ですか?ハンナさん」


 アーフェルタインに尋ねられて、ハンナは気持よくはい、と答えた。


「あの、神の森へ入れないと、永遠にさまようという話を聞いたことがあるのですが」

「ええ、まあ、そういう人もいるでしょう。でもそういうのは大抵良からぬ下心を持っていたりしています。この森は生きていますからね。ハンナさんも、嫌な人には会いたくないでしょう?」

「ええ」

「それと同じですよ。だから、嫌な異物は入れない。よしんば入れたとしても、魔獣たちによって跡形もなく食われてしまいますがね」


 魔獣、という言葉を聞いて、ハンナはエファルの後ろに隠れた。途端に、遠くで怪鳥音が聞こえた。


「あの鳴き声は、鷲であろうか」

 エファルがそう推量すると、

「あれは、鷲獅子です」

 と答えた。

「鷲と獅子が合わさった、ということでござろうか」

「ええ。頭が鷲で胴体が獅子の魔獣です。魔獣といっても、鷲獅子や神狼といった、古来の獣たちで、人間が作った合成獣キメラとは違いますよ。『彼ら』は見た目こそ怖いかもしれませんが、心を許せば、いいお友達になりますがね」


 ハンナはまだ怖がっている。

「そうだといいのですが。……」

 アーフェルタインはハンナの鼻先につきそうなほど顔を近づけ、

「貴女なら大丈夫。きっと喜んでお友達になってくれると思いますよ」

 といって、頭を撫でると、ハンナはにっこりと頷いた。


「さて、このまま先に進めば、集落に着きますよ」

 神の森の集落は、それ自体が一つの町として成立している。町の様子も、エルフであるということ以外には外の町、それこそバディストン城下の町の賑わいと何ら変わらない。


「おい、アーフェルタインか」

 一人のエルフが声をかけてきた。

「ああ、ニーアフェルトですか」

「どうした、何か忘れものか」

「いえ、実はそこの二人が、森を抜けてムーラに行きたい、ということですので、それで」


 エファルとハンナがそれぞれ挨拶をすると、ニーアフェルトと呼ばれたエルフは丁寧にあいさつを返した。

「私は、この森を抜けるのは構わないが、御大がどう仰るかな」


「にーあふぇると殿、それがしとこのハンナ殿は、バディストン公国より逃げてまいった者ゆえ、できればこの森抜けることを許し願うよう、御大と申される方に口添えを賜りたい」


「……、狼族にしては、面白い話し方ですね」


「それがしは至って普通と思うておりまするが、やはりおかしゅうござるか」


「ええ、少なくとも、狼族の者では今まで聞いたことがありませんねえ」


「左様か、以後肝に銘じまする」


「いえいえ、そのようなことはせずともそれが貴方の特徴なのですから、わざわざ直す必要はないと思いますがね」


「そのお言葉、痛み入る」


「……、まあ、そんなに堅苦しくなくてもよいですよ。それよりも、御大に会わせましょう。その方が話は早いでしょう」



 ニーアフェルトの案内で、御大のいる神の森の中央、始原の木傍の屋敷に向かった。

 御大は、アーフェルタインやニーアフェルトと違って、なにやら神々しさがにじみ出ているようだった。ただ、それは神などの存在とは違った、歴史上の偉人をみるような心地だった。


「狼族がやってくるのは珍しいな。いつ以来かな、あれは確か。……」

 御大は思い出そうとするのを、ニーアフェルトが止めた。


「それよりも御大、この二人に森を抜ける許可をいただきたいのですが、よろしいですか」


「そういうことならばよかろう。特にそこの人間の女はここにいればいるほど時を失うことになる。早く出るがよい」


 御大が話していた時、エルフの一人が駆けこんできた。

「人間の軍勢がこちらに攻めよせております」

「おそらく、バディストン公国の軍勢でござろう」

「狼族、なぜ分かる」


 エファルはバディストン公国での外征の話を御大に話した。それをきいた御大はとんがった長耳まで真っ赤にした。

「人間如きが何を考えておるのか」

「御大殿、お怒りは御尤もなれど、ここはいち早く策を講じませぬと、戦火は広がるばかり。ひとまずそれがしが、外に出まするがよろしいか」

「狼族一人ではどうにもなるまい。ニーア、アーフェ、何人か連れて手伝ってやりなさい」


 御大にハンナを頼んだエファルとアーフェルタイン、ニーアフェルトは他のエルフ達と外に出た。すると、バディストン公国の国旗である漆黒の無地の旗が風に大きくゆれていた。


「確かにバディストンの軍勢のようですね」

 アーフェルタインのことばにエファルが頷く。

「軍勢自体は小勢でござる。とは申せ、向こうは集団で押して参りましょう。そうなると、数の差で我らはいささか旗色が悪うござる」

「あの程度ならば、私たちだけで十分ですよ、エファルさん」


 ニーアフェルトがにっこりとほほ笑む。


「しかし、我らはほんの数人。数では。……」

「ええ、それも十分に把握していますよ」

 バディストンの軍勢が喚声を上げて突撃してくると、ニーアフェルトとアーフェルタインは何やらぶつぶつと唱え始めた。そして、構えた手の先から火の玉を作り出すと、火の玉は一直線に軍勢に飛んでいき、爆ぜた。


「まさか、鉄砲を隠し持っていたとは、驚きでござる」

「テッポウ?」

「左様、雷の如き轟音を上げながら相手の軍勢を蹴散らすのは鉄砲以外にあり得ぬ。にーあ殿、鉄砲はいずこにありましょうや。是非とも、それがしも」

「ああ、これは、魔術ですよ」

「魔術?それはどういうものでござろうか」

「……、エファルさんは、この大陸の住人ですよね?」

「左様」

「……、魔術を、御存じない?」


 ござらぬ、とエファルが頷いたとき、ニーアフェルトは、信じられませんね、とつぶやきつつ、アーフェルタインの方を見た。アーフェルタインはただ頭を振るばかりだった。


 バディストンの軍勢はそれでもなお突撃をゆるめない。エファルは長剣を抜き、兵士を一人屠ると、またたくまに数人の兵士を倒した。その動きの様は、舞を舞っているようで、兵士たちはエファルの革鎧に傷一つすらつけられなかった。


「遠くにある者は、ようく聞くがよい!!神の森にこれ以上の乱暴狼藉を働く者であらば、根絶やしにするまでの事であるがよいか!!」


 エファルが遠吠えのように叫んだ時、兵士たちは一気にひるみ、戦線が崩壊していくのが手にとるように分かった。


 この部隊を指揮していたのは、円卓の一人の、ボーンズという人間の騎士の男で、派閥でいえばヘクナームに近い男だった。


「エファルか、あれは」

 ボーンズは弓を近くの兵士に持って来させると、矢をつがえ、エファルに向けて放った。長剣でこれを落すと、落ちていた槍を広い、ボーンズに向け投げ槍のように放った。槍はボーンズの馬の足元に刺さり、馬は一時的に暴れ回った。

「静まれ!!」

 ボーンズの喝で、馬は途端におとなしくなった。兵士の一人が何事かボーンズに報せると、

「エファル!!勝負は預けておく!!」

 と言い残して、馬首を返して、退いていった。


「やけに、あっさりと引き下がりましたね」

 アーフェルタインがいうと、エファルは匂いを嗅ぐような仕草をした。

「エファルさん?」

「あの者、何を考えておるのか、皆目見当がつき申さず」

「あっさりと下がる前、何やら話していた様子でしたね」

「なんぞ目的があってのことでござろう。退いたのは、諦めたか、あるいは、目的が達せられたかのどちらか」

「諦めた、と思いたいところですが、そうではないでしょうね。だとすれば、目的は何か。……、ここで考えても始まりません。一旦森戻りましょう」


 エファルたちは御大がいる始原の木そばの屋敷に向かった。

 御大はハンナに何かを教えているようであった。

「この子は筋がよいぞ」


「ハンナ殿に、どのような筋がある、と御大は申されるや」


「魔術の適性だ。我らエルフほどではないがな、多少ここで学んでいけば、腕は上がるであろう」


「ああ、鉄砲のことでござるな。さきほどは中々におおきな大筒の如き鉄砲を見せてもらったが、あれは尋常なものではござらなんだ。もしハンナ殿が、鉄砲を使えることになるのであれば、確かに心強い。願わくば、雑賀孫市の如き腕前にまで磨いてもらいとうござる」


 御大は、ニーアフェルトを呼び寄せ、

「あの狼族は一体何を言っているのだ、テッポウとはなんだ?」


「さあ。……、まあ、エファルさんの中で納得していただけているのであれば、さほど気にすることはないかと」


「よう分らん奴だ。……、まあ、それが魅力でもあるかもしれんが」


「では、ハンナさんはこちらで?」


「それは本人に決めさせよう。本人がどうするかを決めるのが一番大事だ」

 そして御大は、ハンナにこれからどうするか、と尋ねた。


「聞けば、お前はムーラの故郷に帰ること望んでいるそうだが」


「ええ、一度町に戻ろうかと思います。家族にも会いたいですし」


「ならば、無理強いはすまい。戻ってきたければいつでもおいで」

 御大はそういって、神の森の木で作った首飾りを渡した。これを持っていれば、いつでも来られることを伝えた。


 ハンナが首を通すと、エファルは、

「よく似合っておる」

 と何度も頷いた。エファルとハンナは支度を終え、アーフェルタインとともに神の森を北側から出た。


「ハンナ殿の町はどこにござる?」

「私の生まれ育ったビシャの町はここから西へ行きます」

「どのくらいかかる?」

「たしか、三十日くらいだったかと」

 存外近くですね、とアーフェルタインは言った。

「食糧は足りそうにあるか?」

「その辺は、御大様に沢山分けてもらいましたから、なんとか持たせます」

「良しなに頼む」


 三人の、ビシャへの旅は順調で、時に雨が降れば岩陰にかくれ、野宿するなどしていた。ハンナの顔は日に焼けて真っ黒になる一方で、エファルとアーフェルタインは飄々として変わることがなかった。


 ビシャの町に着いたのはちょうど三十日後、ハンナにとっては二年ぶりの故郷になった。ハンナの足取りは、町に近づくにつれて軽やかになり、遂には走りだすほどだった。


 エファルは、アーフェルタインとともにその後を慎重な足取りで進んでいく。その途中、エファルが鼻先を動かした。

「どうしました」

「あーふぇるたいん殿、びしゃとか申す町に異変あるやもしれず」

「異変ですか」

「左様。なにやら不穏な影これあり、気を付けて進むが上策かと」

「では、私はハンナさんを追いかけますよ」

 アーフェルタインがハンナを追いかけて程なく、ハンナは立ち止っていた。

「アーフェルさん」


 ハンナはアーフェルタインの方を向いて泣いていた。アーフェルタインがビシャの町の光景を見た時、思わず、

「何ですか、これは?!」

 と叫んだ。

 ビシャの町のいたるところに死体が、散乱していたのだった。老人から、子供にいたるまで、町の人間がすべて殺されているように見えた。エファルがこの光景を見て、

「何かに襲われたと考えるのが妥当であろう。ひとまず、生者を探すほかあるまい、手分けして探すのだ」

 ハンナは涙をこらえて必死に生残りの捜索を始めた。無論、アーフェルタインもエファルも同じように探している。


 町の規模はさほど大きくなく、取立てて特徴のない田舎町だったため、探し回ること自体はさほど苦にならなかったが、生残りを見つけるには困難だった。

 エファルが一人の老婆を抱えて、町の中央の広場にやって来た時には、すでに日は暮れかかっていた。


「ジェシカばあちゃん!!」

「これは、ちょっと厄介かもしれません」

 傷を見たアーフェルタインが額の脂汗を光らせている。

「回復魔術で行けるかどうか」

「回復魔術とは、如何なるもので」

「文字通り、人の傷を治したりする魔術ですよ」


 アーフェルタインは詠唱し、回復魔術を試みた。夜通しの魔術で、老婆は絶え絶えだった意識を取り戻した。

「何があったの?ジェシカばあちゃん」

 老婆は意を決して、話し始めた。

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