幼少期

 また、ここだ。


「……やっぱり、ここに戻ってくるのね」


 自分が持っている切り札であり、神より与えられた力である調伏。

 それは本来、人ならざるものを使役するための術ではなく、荒ぶる神を鎮め、自分の中に抑えつけておくための術なのだ。

 僕の持つ切り札とは、その調伏により、自分の中へと抑えつけている荒ぶる神を解放することだ。


「懐かしい」


 そうして、自分の体に荒ぶる神を降ろし、その神格に弾かれるようにして、意識を暗転させた僕は今、自分の神社の中に立っていた。

 神社の中。

 社殿の最奥に広がっている広大な空間。


『───』


 そこに立っている僕の前に鎮座しているのはその全容を把握することの出来ない、巨大で異様な存在。

 眠りについている一柱の神。

 空間を捻じ曲げ、本来であればこの広い空間であっても完全に入ることの出来ない巨体を収めている神さまがそこにはいた。


「……よし」


 僕はその神さまへと少しばかりの祈りを捧げた後、視線を外す。

 そして、神さまには背を向け、ゆっくりと歩き始める。

 

「……いた」


 少し歩けば、すぐに見えてくる。

 この広い空間の中心部に置かれた四辺を透明な壁に囲まれた一畳ばかりの狭い空間。

 そこに座っている一人の少年───過去の僕が。


「三歳、くらいかな?」


 前に荒ぶる神を解放し、ここに来たとき、この空間の中にいたのは二歳の僕だった。

 それから一年成長し、三歳となった姿で、過去の僕が狭い空間の中で座っていた。


「……何も成長していないけど」


 とはいえ、一年の時が経って体の方は大きくなっているが、それ以外の部分は何も変わっていない。

 何もすることなく、ただ虚空を見つめて呆然としている。

 

「ずるずる」


 そして、時折神さまの肉より流れてくる透明な液体をすするだけ。

 神さまより流れる液体は、ありとあらゆる栄養素を多く含み、これをすするだけで人として問題なく動くことが出来た。


「……ずっと、こうだった」


 今でも、たまに、聞かれることがある。

 

『千夜くんはどんな教育を受けてきたの?』

 

 小学生の頃はもっと聞かれていた。

 だけど、それに対して僕が答えられることは何もない。

 だって、何の教育も受けていないのだから。

 物心ついたときから僕はずっと、この透明な壁に覆われた一畳ばかりの空間にずっと座っていた。

 何もするでも、誰かと会話するでもなく、ずっと……本当にずっと、僕はこの中で座り続けていた。本能のままに透明な液体をすすって生きてきた。


「と、思うと酷い境遇だよね」


 育児放棄の最高潮。

 何もせずに、僕はそこに放置されていたのだ。

 神さまに捧げられた、一つの生贄として。


「まぁ、良いけど」


 とはいえ、そこらへんについて僕は何か、特に恨んだりとかはしていなかったけど。

 

「……今回もあるかな?」


 そんな僕がこの透明な空間より出ることになったきっかけはずっとその場に存在していた神さまの姿が消えてなくなり、代わりに神社のダンジョンへと入るための入り口が出来たことだ。

 僕は何となく、ダンジョンに吸い寄せられるように、透明な壁を突き破って、これまでいた一畳ばかりの空間から抜け出してダンジョンの中へと入っていた。

 これが、僕の人生における始まりだった。

 

「ふんふんふーん」


 過去のことを思い出し、懐かしむ僕は、過去の自分と神様のいるこの広い空間から出て、社殿の外へと出ていく。

 神社のダンジョン。

 そこへと入るための入り口は二つ。一つ目は神さまがいた場所。そして、もう一つは裏手にある小さな祠から入れる。

 僕は社殿を出て、その祠に向かって歩いていく。

 

「あった」


 僕が三歳の時と言えば、時期的にはまだ、神社のダンジョンはないはずだ。

 しかし、祠へとやってきた僕の前には神社のダンジョンに入るための入り口があった。


「補充しないとね」


 僕が調伏を使うのは、荒ぶる神を解放しているときだけ。

 下手に調伏を始めると、荒ぶる神を抑えている鎖が緩んでしまうからね。普段は、調伏の力を全力で荒ぶる神を鎮めるのに使っているのだ。


「生まれて、一番最初に会話をしたのは確か、甘夏だったな」


 神社のダンジョンに入っていく僕は過去を思い出すのと共に、甘夏との初接触の時も思い出す。

 ダンジョンに潜って、死にかけの傷を負って、逃げてきて、ダンジョンに入ってきた入り口の方に戻っていったら、僕は祠の方から出ていたのだ。

 初めて僕が出てきた外。

 そこにいたのが、神社へとお参りしに来ていた傷だらけの甘夏だった。

 初対面の僕と甘夏は共に傷だらけの状態で、色々な会話をしたものだ。小さな子供二人がボロボロの状態でいたあの場は、傍から見ると異常だったと思う。

 それでも、僕はちゃんと甘夏と会話を行ったのだ。

 それで、ふと思った。


「……そういえば、何で、僕は誰とも会話せずに生きてきて、何の教育も受けずに生きてきたのに、日本語を喋れたんだろう?」

 

 それに、だいぶ歪んでいたとはいえ、ちゃんと生命としての最低限のことは出来ていたし。

 本当に何も教えてもらっていないのなら、もっと変なことになっていたのではないだろうか?不思議だ。

 なんてことを考えながら、僕は神社のダンジョンを進んでいくのだった。

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