【私だっているんだってこと、忘れないでよね……?】
姫子のサービスで第二ゲームが始まる。
放たれたロングサーブを、大越さんのボディにドライブで押し戻す。
小柄な大越さんはボディ周りの対応に強い。難なく打ち返してくるがそれは想定内。コースを読み、カウンター気味にプッシュした。
お互いに、手の内を探り合うようなラリーが始まった。
こちらの陣形を崩したいので、相手はネット際にシャトル落としたい。こちらとしては落とされたくないので、なるべくコートの奥に速いシャトルを返したい。
向こうはシャトルを上げさせたい。こちらは上げたくない。
息が詰まるような探り合いが続く。
ドライブやドリブンクリアなど、低めの球が何度もコートを行き交った。
ドリブンクリアを、やや強引に姫子がドロップで落としてきた。
届く――が、これはロブでしか返せない。高くシャトルを打ち上げた。
姫子が落下点に入る。
これまで、スマッシュに対してさえ変則のトップアンドバックで対応してきたあたしたちが、一転ここでサイドバイサイドになる。突然変わった陣形に、姫子が困惑顔になる。
嫌な気配でも察したのか、姫子が放ったのはカットスマッシュだ。沈んでくるシャトルをあたしがレシーブすると、今度は足元に速いスマッシュがきた。
間に合わない――と見せかけて、体の後ろでインパクトし、股抜きショットでロブを上げた。
ふざけるな!
姫子の顔にそう書いてあった。
突然された曲芸打ちに、姫子が熱くなる。打ってこいよ、と目線で挑発する。
雷鳴のごとき爆発音。打点の高い姫子のダンクスマッシュが向かってくる。
ラケットの面を立てて構え――レシーブする瞬間に、だがスッと身を引いて避けた。
レシーブせずスルーしたシャトルは白線のやや外側へ。
「アウト」
「くそっ」
「どんまい」
うな垂れた姫子に大越さんが声をかけた。
姫子は勝気なプレイヤーなので、焦りが出てくるとミスが増える。こっちに打てとライン際で挑発することで、アウトを誘ったのだ。
よし。タイミングも、感覚も、だいたいの確認は終わった。心配していたボディ周りのショットには、まだ多少の不安が残っているが、問題になるレベルではなさそうだ。
さあて、ギアを一段上げようか!
「サービスオーバー。一対〇(ワン、ラブ)」
さて、あたしのサーブだ。得意のショートサーブが最高のラインで決まる。
ネットにかすめるようにして沈んだシャトルを、それでも姫子があたしの頭上に運ぶ。
あたしを、
何度でも繰り返される、セオリー通りの攻め。
そうだよね。その勝負、受けて立つよ。もう、逃げも隠れもしないから。
落下点に入ってドリブンクリアで押し戻す。
大越さんがここでクロスにドロップを打った。心の正面。彼女を
心が追いつきストレートへのロブ。
姫子が落下点に入って――ここでスマッシュではなく、クロスへのハイクリアを打った。
あたしを、後方に下げるため
つまんないねえ、姫子。あんたのバドミントンって、そういう『型にはまったやつだったっけ?』
とんとん……とステップを刻む。
高く跳躍するための筋肉と言えば? 普通は下半身の筋肉を予想するだろう。
だが、腹筋と背筋、お尻や股関節周りの筋肉など、体幹の強さもとても重要なのだ。
身を屈めて軸足に全体重を乗せる。爆発させるタイミングをうかがう。
左手のラケットを右手に持ち替え、大きく跳躍した。
重力から体が解放された。
ぐんぐん体が上昇し、天井の照明がみるみる近くなる。眩しさに目を眇めたくなる。
……いいね。……この感覚、久々だよ。
やっぱり
――風が、吹いた気がした。
上体を弓みたいにしならせる。左右対称のイメージを頭の中でかたち作る。
腰、背筋、肩、肘、そして手首へと、順番にパワーを伝達していく。
鞭のように右手を振って、
公式戦で一年ぶりにあたしが放つ――。
――ダンクスマッシュ!
パアン! と子気味良い音を響かせて、天空から降ってくる槍のごとくシャトルが相手コートに突き刺さる。
姫子も大越さんも一歩も動けない。鋭角なシャトルの軌道を、ただ見守るだけだ。
「ポイント。二対〇(ツー、ゼロ)」
ラケットを逆手に持ち替え、驚異的な跳躍力を持って放たれたあたしのスマッシュに、わッ――と嵐のように会場がわいた。
よし、いけた……! イメージ通りのショットが打てた。
落ちているシャトルを姫子がしばし呆然と見つめ、それからフッ、と口元に笑みを作ってシャトルを拾う。
「まだそんな奥の手があったなんてね。そうでなくっちゃね、紬!」
「期待に応えられたかしら?」
「そうだね。面白い、実に面白いよ! いいよ、存分にやりあおうじゃないの?」
「言われなくたって」
次はロングサーブを選択した。肩を上げられないので、肘から先のスナップをうまく使う。
大越さんがあたしにハイクリアで戻して、しまった、という顔になる。
その通り、もうあたしにクリアは通用しない。右手でのスマッシュ――と見せかけて、相手コートのど真ん中、オープンスペースにドライブを打ち込んだ。
スマッシュだけじゃない。今まで通りの攻めだってあるんだよ。
圧倒的踏み込みの速さで突っ込んできた姫子がインターセプト気味にプッシュしてくる。だがその動きは心が読んでいた。
プッシュをさらにカウンターしてシャトルが相手コートに落ちた。
「ポイント。三対〇(スリー、ゼロ)」
まずいな、という顔に姫子がなる。
今度は心のサーブだ。高々と打ち上げるロングサーブ。
そのあまりの深さと高さに、姫子の足が一瞬止まる。アウト、という判断が頭をよぎったのだろう。
が、迷いを断ち切るようにクリアで返してきた。
賢明な判断だ。心はこの中の誰よりもコントロールに長けている。おそらく今のサーブも、見送ったら数センチだけラインに乗っていたことだろう。
心がクロスへとハイクリア。姫子も再びハイクリア。
その間にあたしと大越さんは前に出て、双方トップアンドバックの陣形になる。
あたしらは普段通りの。向こうはどっちが前でも戦えるので、選択肢の一つとして。
引き金を引くタイミングをうかがうようなラリーが続く。
姫子が軽く跳躍した。ドロップがくるのを読み切って、対角へのクロスヘアピンをあたしがネット際に落とすと、大越さんが拾いに動いた。
ここで自由に打たせてはいけない。前に出て射線を塞ぐと、大越さんは苦し紛れにロブで逃れた。
これを待ち構えていたのは心だ。
「心!」
「オーケー!」
これは、小春と夏美が得意としているコンビネーションのパクリ。ネット際のショットを布石として使う、セオリー通りの連携プレーだ。
銃声のような炸裂音が響き、心のスマッシュが大越さんの背後を襲う。
「――ッ!」
大越さんが反応しかけて、しかし「大丈夫! 任せて!」という姫子の声に引いた。
姫子のレシーブが今度はあたしの背中側を襲う。
心がそれに追いついて、一転してドライブでの速い攻めに切り替わった。
シャトルがお互いのコートを何度も行き交う。間にいくつかヘアピンを挟んで、再びドライブでの応酬が始まる。上に、下に、左に、右に、目まぐるしくシャトルが飛び交う様に、感嘆の声が周囲から上がる。
姫子は強い。ちょっとでも隙を見せると、厳しいところをガンガンついてくる。一瞬も気が抜けなくて、水底にでもいるみたいに息が苦しい。
けど、楽しい――!
あたし、今すごく自由だ。
そうか、これで良かったのかな?
楽しむだけで良かったのかな? もっと自由にやって良かったのかな?
ダブルスをしなければという無意識が、自分で、自分のプレーにリミッターをかけていたのかもしれない。
姫子がインパクトする寸前に予測、インパクトと同時に予測したコースに飛ぶ。案の定、向かってきたシャトルをとらえ、大越さんのボディにドライブで返した。跳躍での移動距離の大きさと、反応の速さに大越さんが目をみはる。
「く――!」
それでも、大越さんはロブを上げてきた。
力のないレシーブだったが、高さと深さは十分だった。
「心!」
「マジかあ」
ここでやるの? と言わんばかりのめちゃめちゃ嫌そうな声が返ってくる。
「しょうがないなあ」
膝に手をつき前傾姿勢になった心の背中に飛び乗って、そこから二段目の跳躍をした。
――ここでギアをもう一段上げる……!
さっきよりも高い。ぐんぐん天井が近づいてくる。
すでに重力ですらも、あたしを捕えることはできずにいた。
――ちなみに、あたしの垂直飛びは七十センチを優に超える。女子バレーの日本代表レベルだよ、と言われたことがある。
空を舞うシャトル。
今度は眼前ではなく、
姫子と一瞬目が合う。
着弾点をロックオンする。
挫折。再起。努力。約束。積み重ねてきたすべてのものを、この一打にこめる。
「ッりゃあ!」
硬くて鮮やかな打球音が響き、ダンクスマッシュが姫子と大越さんの真ん中に沈んでいった。
二人とも、反応できていないわけではなかった。だが、それがレシーブとして成立するより早く、シャトルがコートに突き刺さった。
ペアの背中を蹴っての二段ジャンプ。
そこから放たれた垂直落下式のスマッシュに、再び会場がどよめきに包まれた。
「ポイント。四対〇(フォー、ゼロ)」
二ゲーム目が、ここまで一方的な展開になるとは思っていなかったのだろう。
会場中にいる多くの人が、あたしたちの試合に注目していた。否――あたしの一挙一動に。
大越さんのドロップをジャンプして叩き落とす。姫子のドライブを、横っ飛びしてインターセプトする。ハイクリアで押し込まれても、ジャンプスマッシュを稲妻のように相手コートに突き刺す。厳しいコースにきたシャトルを、背面キャッチで押し戻す。心の背中を借りて、二段ジャンプで跳躍する――。
コート全域のみならず、空までもがあたしの
向こうのショットの一つひとつから苦しさが伝わってくる。前にいても後ろにいても関係ない、あたしと一対一の打ち合いになっては分が悪いと踏んでいるのだろう。
前と後ろをスイッチしても戦えるトップアンドバックという相手の持ち味は、すべてこちらに奪われていた。
「――ッ!」
姫子の顔に焦燥が貼り付く。
あたしとの打ち合いを避け、心にドライブを返してきた。
わかる。これは逃げたいという意思しかないショットだ。
心にもそれがわかったのだろう。果敢に前に詰め、シャトルを叩き落とした。
「私だっているんだってこと、忘れないでよね……?」
◇ ◇ ◇
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