【ギア、一段上げてもいいかな?】
試合は、あたしのサーブで始まる。ひとつ大きく深呼吸をする。
伝家の宝刀であるショートサーブを姫子相手に打ち込んだ。
沈みながらネットを超えたシャトルを、それでも、姫子が速い踏み込みから落ち際を叩いて押し込んでくる。
オープンスペースを狙ったショットだが、心が即座にカバーした。
速いドライブで返球して、そのまま心がスッと後衛へ。あたしが前衛の位置をキープして、狙い通りトップアンドバックの陣形になる。
向こうは姫子と大越さんがサイドバイサイドの陣形だ。
大越さんがお返しとばかりにドライブ。先読みしたあたしが割り込みインターセプト。叩いたシャトルをしかし素早く反応した姫子がロブで返してくる。
弾道は、やや浅い。
サイドバイサイドで待ち構える二人のど真ん中に心がスマッシュを放つ。大越さんが辛うじて拾う。
心が叩きつけるように再びスマッシュ。姫子のボディを狙ったそれを、しかし腕を器用に畳んで彼女はレシーブした。上がったロブを心が三度のスマッシュ。
コースを完全に読んだ姫子が、ラケットを寝かせて一転ヘアピンで返してくる。
――が、そのフェイントは読めていた。
ネットを超えた瞬間を真下に叩き落とす。大越さんがそれでも触ってきたが、返球はネットに阻まれた。
「ポイント。
瞬く間に交わされた攻防に、周囲からどよめきが起きた。
「ナイスカバー、紬!」
鈴木先輩の声にガッツポーズで応じる。
先制点、取れた。
トップアンドバックの陣形さえ作れれば、あたしたちは簡単には負けない。
二本目もショートサーブを選択した。大越さんは無理に押し込むことはせず、持ち前の手首の柔らかさを活かして、心の前にふわりとシャトルを落としてくる。プッシュしたかったが、あたしの反応は少し遅れた。
心が高々とロブを上げてしのぐ。攻撃の主導権が相手側に移る。
ここで普通であればサイドバイサイドの陣形をしくところだ。――が。
再び会場がどよめいた。
心がスッと身を引いて後衛へ。あたしはコート中央やや前へ。
あたしの守備範囲を広めに取った、
困惑した顔になりながらも、大越さんが初手からドロップ。あたしがすくい上げてのロブレシーブ。
ここから大越さんのスマッシュを心がレシーブする展開が二度続く。そして四打目。
大越さんの目線、体重移動、ラケットの角度――腕の振りのみならず、複数の情報から判断して次の一手を予測する。
「ドロップ――!」
反射的に動いた体。
横っ飛びに跳躍して、ドロップショットがネットを超えた瞬間を叩いた。
異次元の反応速度に姫子が目を丸くしたが、これで動じる奴じゃない。冷静にドライブで返してきた。
姫子はいいプレイヤーだ。何をやらせてもそつなくうまい。が、あたしに言わせたらうまいだけだ。
ハイバックでシャトルを拾い、姫子の肩口へ――。
――一緒のコートに立てなくなった私の代わりに、このユニフォームを舞台に連れていってほしい。これを私だと思って、頑張ってくれたら嬉しい。
もちろんだよ。
もう、あたし逃げないから!
先日乱れていたボディへのショットだったが、うまくコントロールできた。よし、いける……!
苦手なコースながら、姫子がうまく対応してきた。
オープンスペースを狙った攻防が始まる。ライン際びたりの心のショットを姫子が迷わず拾う。大越さんのドライブを前に詰めてあたしが押し戻す。速く、遅く、遠く、近く、多彩なショットが互いのコートを何度も行き交う。
フェイントでリバースカット(シャトルの内側を斜めに打つショット)を挟むと、緩急に崩された大越さんのレシーブがネットに引っかかった。
「
ギャラリーが増えてきた気がする。それだけ、修栄が押されているのは異常事態なのだ。
隣のコートにちら、と目を向けると、小春と夏美は二対二の同点だった。
二人も頑張っている。あたしだって頑張らないと。
だがそこは、現時点での北海道最強ペア(候補)である。あたしの再三のインターセプトに一時ひるんだものの、姫子も大越さんもすぐに立て直してくる。
前回と同じように、心の前にドロップを多く落とされた。
大越さんのトリックショットは、もうあまり見すぎないことにした。判断は早め。決めたら迷いなく動く。間違ってもいい、そのときは全部心がフォローしてくれるから、と信じてガンガン拾った。
だが、姫子はそうもいかない。
姫子が放つスマッシュの弾速は、超高校級だ。普通に拾うだけでも難儀なのに、そこにドロップを混ぜられるのだ。緩急の大きさに、あたしらは何度か翻弄された。なんとか拾った程度では、待ってましたとばかりに姫子にスマッシュで叩き落される。うまくすくい上げられたとしても、エンドラインまで運ぶハイクリアで仕切り直されてしまう。
心が前に誘い出された状況下では、ハイクリアを処理するのはあたしの役目だ。
が、クリアをうまく打てない以上、どうしてもドライブに頼りがちになる。そこを完全に読まれて、姫子に何度かインターセプトされた。
ようは、崩され方が前回と同じなのだ。あたしらが対応しきれていない証左だ。
――ドロップを、インターセプトできたときはいいのだが。いつもそううまくはいかない。
心のロブに対応して、姫子がジャンプしてのダンクスマッシュを放つ。
バックハンド側にきたそれを、身をよじって心がレシーブするが、威力の高さにラケットごと弾き飛ばされた。
「二十一対十八」
第一ゲーム、せっかく先行していたのに落としてしまった。
「大丈夫?」
「うん。……あっ」
心がラケットを拾うと、ガットが切れてしまっていた。
心がサブのラケットと交換し、残っている最後の一本を恨めしそうに見る。
「まいったなあ。同じセッティングになっているラケット、これで最後なんだ。四本目のこいつは、テンションを少し高めにしてある奴なんだよね。これ以上切れないといいんだけど」
バドミントンは、頻繁にガットが切れるスポーツだ。二本しか持ち込んでいなかった場合、一本切れたらあとがなくなった気がして試合に集中できなくなってしまう。そのため、三本から四本持ち込むのが定石である。
心が不安を吐露したのは、一本だけセッティングが異なっているからだ。心はシングルスにも出場するため、調整が二種あるのだろう。
ガットの張りの強さによって、初速や飛距離が微妙に変わる。競り合った試合の中では、わずかなズレが時として致命傷になるのだ。
かくいうあたしも、今日はラケットが二本しかない。姫子のスマッシュが相手だと、いずれ切れてしまうかもしれない。そう思うと、ひりひりとした不安感が胸をよぎった。
短いインターバルの間に水分補給をする。コートチェンジをするわずかな合間で、心と相談をした。
「陣形崩されてる。まずいね。どうしよっか」
陣形を崩されるのはしょうがない。しょうがないとしても、そこからリカバリーしていく手段とか、付いた点差を埋められるだけの何かが不足している。
大越さんも厄介だが、やはり手ごわいのは姫子だ。ダンクスマッシュの対応に心はだいぶ苦慮している。ここ最近、直接対決で心が姫子に連敗しているのも、身体能力の差で押し切られてしまうせいだ。
このままでは勝てない。何かが必要なんだ。
もう一段攻撃のギアを上げられるような何かが。
観覧席にいる紗枝ちゃんに、視線を流した。
やっぱり、アレしかないのではないか。元よりわかっていたことだ。姫子は強い。すべてのカードを切ることなく、勝てる相手では到底ないのだ。
「ギア、一段上げてもいいかな?」
「え?」
「本気を出してもいい? って聞いてんの」
「まだ本気じゃなかったの?」
「あたしの本気を知っているアンタから、その言葉が出てくるとは思わなかったわ」
「まあ、そうだったね。でもどうすんの? その肩で」
あたしが耳打ちをすると、「あはは」と心が笑い始めた。
「なるほどね。そういう作戦。……一応、ひとつ質問していい? 私のことなんだと思ってんの?」
「踏み台?」
「そのまんますぎていっそ清々しいわ。で? 練習してんの? それ」
「まあ、なんとかなるっしょ?」
「答えになってない。……ま、いいや。私のことは気にせず目いっぱい暴れな」
諦めた、みたいな声を出された。どうやら商談成立である。
「ありがとう。じゃあ、全力でやらせてもらう」
ぶっつけ本番すぎて、いまいち自信がないけれど。
「紬」
「ん?」
「私と組んでくれてありがとう」
「……? それならこっちの台詞だよ」
「全国、行くよ」
「当たり前じゃん」
行けるか、じゃない、行くんだよ。そう願っていたら、いつか必ずたどり着けるさ。なぜだろう、ごく自然にそう思えた。
「セカンドゲーム。ラブオールプレー」
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