婚活パーティーで再会した美人の元部下

春風秋雄

俺は売れ残ったペットショップの仔犬の気持ちがわかった

豪華なパーティー会場で、俺は売れ残ったペットショップの仔犬のような気分で、ポツンと椅子に座っていた。だから婚活パーティーなんて来るのは嫌だったのだ。パーティーが始まって1時間ほど経つ。何人かの女性と会話をしたが、どの女性も5分も会話をしないうちに、俺に興味なさそうに次の男性のところへ行ってしまう。誰一人連絡先を聞いてくる人はいなかった。

55歳という年になって、今さら再婚なんてするつもりはなかった。妻の敏江がこの世を去って、もう10年になる。妻がいなくなった時、一人娘の彩音は高校3年生だった。多感な年頃だし、特に母親が必要と言う年齢ではなかったので、再婚は考えなかった。ところが、3年前に結婚して家を出た彩音は、独りで暮らしている俺のことが心配になったようだ。今年になってしきりに再婚を勧めるようになった。俺はまだ現役で働いているので、どうしても食事はコンビニ弁当か、カップ麺ですましてしまう。そんな生活を心配してのことだった。

婚活アプリや、結婚紹介所の登録などを勧めてくるが、俺は応じなかった。すると、婚活パーティーに申し込んだからといきなり言ってきた。参加者は40代50代限定なので、堅苦しく考えず、色んな人とお話しして、美味しいものを食べて帰ればいいじゃないと言われ、しかも参加料はすでに彩音が振り込んでいると言われたら断り切れず、仕方なく出かけることにしたのだ。

受付で渡された名札を胸に付けているが、そこには俺の名前“柿崎博信”と書かれ、その下に55歳と書かれていた。40代50代のパーティーと聞いていたのに、ほとんどの男性は40代で、50代の男性は少ない。女性のほとんども40代だ。女性からすれば少しでも若い男性が良いのかもしれない。55歳というのは、このパーティーでは微妙な年なのかもしれない。せっかく来たのだから、料理だけ食べて帰ろうかと思っていた時、一人の女性が目の前に立った。

「ひょっとして、柿崎係長ですか?」

柿崎係長?俺のことを知っているのか?誰だ?

俺はその女性の名札を見た。“下山悦子 49歳”と書いてある。“下山”?記憶がない。しかし、その顔には見覚えがあるような気がする。

「私、チャイルド教育システムで、柿崎係長の下で働いていた横堀です。横堀悦子です」

そう言われて、思い出した。

「横堀君か!そうか、そう言われたら横堀君だ」

「こんなオバサンになってしまったので、わからなかったでしょ?」

「いや、下山という苗字に記憶がなかったから」

「結婚して横堀から下山に変わったのです」

「そうか、結婚して会社を辞めたのだったね。それで、横堀君も婚活しているのか?」

「6年前に主人が亡くなって、もう結婚はいいと思っていたのですが、息子が老後のことを考えたら再婚した方が良いと勧めてくれて」

「じゃあ、私と同じだ。うちも10年前に妻を亡くし、再婚はしないつもりだったのだけど、娘に無理やり来させられたんだ」

「どうですか?良い人はいましたか?」

「いや、全然だめだ。何人かと話したけど、会話が進まなくて」

「あの猛烈営業マンだった柿崎係長が?」

「そんな昔の話はやめてくれ。今は会社の営業スタイルも全然変わったよ。横堀君の方はどうなの?」

「私は、あまり再婚には積極的ではないので、本当に良い人がいればと言う程度ですので、今日は食事だけ美味しく頂いて帰ろうと思っていたところです」

「私と同じだ。私もそろそろ帰ろうかと思っていたところだ」

「だったら、二人で抜け出して、どこかへお酒でも飲みにいきませんか?」

「そうだね。そうしよう」


俺が働いている会社は幼児教育を専門に、教材販売や教室を運営している会社だ。俺は入社以来、ずっと営業畑にいる。俺が係長だったころに横堀君は入社してきた。営業職として配属された横堀君は私の部下となった。彼女はとても優秀な社員だった。頭の回転が速く、教えたことはすぐに修得した。私の部下の中ではトップの成績を収めるまでになった。器量も良く、笑顔が可愛いので、男性社員からの人気も高かったが、彼女には学生時代から付き合っている恋人がおり、社内で恋愛関係が発生することはなかった。入社して4年くらいした頃に、結婚を理由に退職を申し出た。結婚したら退職しなければならないという時代ではないのだからと慰留したが、すぐにでも子供が欲しいので、子供ができてから辞めるより、この機会に辞めた方が会社に迷惑をかけないからと言って退職したのだった。もう20年以上も前のことだ。


横堀さん、いや、今は下山さんとパーティー会場の近くのバーに入った。

「柿崎係長は、今もチャイルド教育システムにお勤めなんですよね?」

「そうだよ。名刺渡しておこうか」

俺はそう言って、今日のパーティーで親しくなった人に渡そうと持ってきた名刺入れから1枚抜き取り渡した。

「あら、今は部長さんなのですね。私の中では係長と言うイメージが強くて、ずっと係長と呼んでいました。大変失礼しました」

「仕事と関係ない人なんだから、役職なんて何と呼ばれても構わないよ。下山さんも今は働いているんだろ?」

「ええ。息子に手がかからなくなってから、働きに出ました」

下山さんはそう言って名刺を差し出した。大手保険会社のグループ長の肩書がある。

「保険会社に勤めているのですか」

「柿崎さんに教わった営業ノウハウが生かされていますよ」

「私は基本的なことしか教えていないよ。すべて下山さんのセンスだ」

「でも、教わったアイドマであるとか、基本的なことは今の営業でも生かされています」


アイドマとは購買心理過程のことで、営業の基本的知識だ。人が何か物を買う時は、まずその商品に注目する(Attention)、次にその商品に興味を覚える(Interest)、するとその商品が欲しくなる(Desire)、そしてその商品を記憶する、もしくは良い商品だと確信する(Memory)、Memoryまで行った人は、ほぼ間違いなく行動、つまり購買する(Action)という流れになる。営業相手が今どの心理過程にいるのかを確認しながら営業することが大切だということだ。心理過程の頭文字をとってAIDMA(アイドマ)という。


「いいね。私も昔のような営業をしたいよ。でも今の会社の方針は対面営業ではなく、インターネットを使っての営業がメインなんだ。ホームページを立ち上げて、WEB広告やSNSなど、様々な方法でホームページに誘導して、ホームページから申し込んでもらう。そんなので契約なんかとれるのかよって思っていたけど、実際契約数はそれほど変わらない。そして営業マンの人件費はかからなくなった。そういう時代になってしまったよ。その点、保険の営業はいまだに人と人の繋がりの営業だから、やりがいはあるのではないの?」

「そうですね。確かにやりがいはありますけど、年齢を重ねるごとに体力的にも精神的にもきつくなってきましたね。いったい何歳までこの仕事ができるのだろう。老後はどうしようって考えるようになったのは確かですね」

「それは経済的なことを心配しているのですか?」

「経済的なことは主人が残してくれたお金もありますし、自分のところの商品で年金的な保険にも入っているので、それほど心配はしていないのですが、仕事を辞めたあと、自分はどう生きていくのだろうっていうのがありますね。特に趣味があるわけではないですし、何もやることがなく、ボーっと生きていくのかなと思うと、悲しくなってくるんです」

「それで再婚ということになるのですか?」

「そうですね。それも選択肢のひとつなのかなと思って、今日参加したのですが、こういう出会いっていうのは、なかなか難しいですね。私には合わないような気がします」

「同感です。何人かの女性と話してみたのですが、どの女性も経済的なことを聞いてきます。確かに40代50代となると、老後の生活を安定したいという思いがあるのはわかりますが、結婚相手に求めるのはそれだけではないだろと思ってしまって、そうすると会話がしらけてしまうのです」

「でも、それは仕方ないでしょうね」

その後、しばらく下山さんと昔話をしたが、次に会う約束もせず、俺たちは別れた。


「お父さん、一体何やっているのよ!せっかく私がセッティングしたのに、全然意味ないじゃない」

婚活パーティーの報告を聞くために電話してきた彩音に、正直に話すと、責め立てるように言ってきた。

「だから言っているじゃないか、俺は再婚なんかしなくていいんだ。生涯俺の妻はお母さんだけだ」

「何カッコつけているのよ。お母さんの誕生日も忘れているくせに」

5月の妻の誕生日をコロッと忘れて、墓参りをしなかったことを彩音はいまだにチクチク言ってくる。

「今でもそうなんだから、俺が再婚したら、ますますお母さんのことを忘れてしまうよ。それでもいいのか?お母さんが可哀そうだと思わないのか?」

「大丈夫だよ。お母さんはお父さんの薄情な性格はよくわかっているから」

俺は薄情なのか?

「それより、その下山さんっていう人はどうなの?」

「どうなのって?」

「その人も婚活で来ていたのでしょ?」

「そうだけど」

「綺麗な人なんでしょ?」

「まあね。若いころから社内で評判の女性だったけど、今はそれなりに年を重ねて、落ち着きのある美人ってとこかな」

「お父さん、その人にしちゃいなよ」

「何言っているんだよ。昔の部下なんだから、そんな目で見ていないよ」

「どうして?社内恋愛で部下と結婚する上司なんて、ザラにいるでしょ?」

「まあ、そうだけど、俺と下山さんは一緒に戦って来た戦友みたいなものだから」

「わけのわからないこと言っているわね。しょせん男と女でしょ?戦友であろうが、男と女なんだから、くっつく時はくっつく。そういうものでしょ?」

彩音は散々けしかけてきたが、それはないなと俺は思った。


俺は彩音には、もう婚活パーティーには行かないと言っていたのに、しばらくすると、また勝手に申し込んでお金を振り込んでいた。俺は無視して行かなかった。すると、彩音はカンカンになって怒った。仕方ないので、嫌々でも次回からは、とりあえず行くようにした。

4回目の婚活パーティーに参加したとき、下山さんと再会した。下山さんは俺を見つけると、すぐに寄って来た。

「あれだけ婚活パーティーは合わないと言っていたのに、また参加しているのですか?」

「そう言う柿崎さんこそ、もう婚活パーティーはやめるのではなかったのですか?」

「私は娘が勝手に申し込むのですよ」

「私は、数打てば良い人に巡り合うかなと思って。営業の鉄則ですものね」

「やっぱり再婚したいのですか?」

「再婚というより、お友達が欲しいというところかな」

それから俺たちは座って話し込んだ。時々男性が下山さんに話しかけに来るが、その都度下山さんは「今はこの方とお話をしているので」と断っていた。

「いいのですか?私ばかりと話していると、出会いはありませんよ」

「いいんです。一通りチェックしましたけど、私のタイプの男性はいませんでしたから」

今日の参加人数はそれほど多くない。だからお互いにすぐに存在に気づいたということもある。

「柿崎さんは、お休みの日は何をやられているのですか?」

「私はカメラが趣味なので、日帰りで旅行がてら写真を撮りに行ったりしています」

「日帰り旅行ですか、いいですね」

「いいですよ。その季節を感じられるところを選んで旅行しているのです。この季節ですので、来週は紅葉の綺麗なところへ行こうと思っているのです」

「紅葉の綺麗なところですか、いいですね。私も行ってみたいです。旅行なんて、何年も行っていないですから」

「じゃあ、一緒に行きますか?」

「いいのですか?邪魔になりません?」

「シャッターチャンスにカメラの前を横切ったりしなければ邪魔になりません」

下山さんが笑顔になった。

「やっと柿崎さんらしいジョークが出ましたね」

「おじさんジョークです」


本当はあまり人がいないようなところへ行く予定だったが、下山さんが一緒なので、ポピュラーな日光の紅葉を見にいくことにした。

「素敵ですね、来て良かったです」

下山さんは、日光は初めてだと言って、心底喜んでくれた。俺は紅葉の写真を撮りながら、時々下山さんの写真も撮った。女性の写真を撮るなんて、妻と娘以外では何十年もなかったことで、俺は少年のように心が躍った。

日光への旅行をきっかけに、俺はどこかへ旅行するたびに下山さんを誘ってみた。下山さんは予定が入っていない限り一緒に旅行へ行ってくれた。

彩音が家に遊びに来た時に、旅行の写真を見つけた。そしてそこに下山さんが写っているのを見て「この人誰?」と聞いてきた。

「以前言っていた下山さん。時々写真旅行に付き合ってくれるようになったんだ」

俺がそう言うと、

「ふーん、そうなんだ。綺麗な人だね」

と言ったきり、それ以上何も聞いてこなかった。しかし、それから彩音は勝手に婚活パーティーに申し込むことはしなかった。


下山さんと日帰り旅行をするようになって、もう半年経つ。すでに10回以上一緒に旅行している。その日は桜の名所に来ていた。

「下山さんは婚活はやめたのですか?」

「今は全然ですね。柿崎さんと旅行するのが楽しいので、今はそれで十分です。そういう柿崎さんはどうなのですか?婚活は辞めたのですか?」

「もともと自主的に参加していたわけではないですから。娘も最近は勝手に婚活パーティーに申し込むことはしなくなりました」

「そうですか」

「ただ、娘は私の再婚を諦めたわけではないようです。私が下山さんと度々日帰り旅行をしているのを知って、気を利かせたのだと思います。どうやら娘は下山さんと再婚することを望んでいるようです」

下山さんが俺の方を見た。

「私と再婚する気はありませんか?」

俺がそう言うと、下山さんは視線を外して、桜の木を見た。

「以前も言いましたが、私は再婚したいのではなくて、老後を一緒に過ごせるパートナー、もっと言えば友達が欲しいのです。そういう意味では、柿崎さんは最適なパートナーです。このまま10年先も20年先も、今の関係で一緒に旅行が出来たら嬉しいです。でも、もし柿崎さんが他の方と再婚なさったら、そういうわけにはいかないだろうな、ということもわかっています。じゃあ、その時は他の人を探すのかと考えると、柿崎さん以上の方が現れるとは思えないです」

「だったら、私と再婚してください」

「柿崎さんと一緒に暮らして、食事を作ったり、洗濯をしたり、そういう家事をするのは何も問題はありません。食事のあとにお茶を飲みながらお話をするのも楽しいだろうなと思います。ただ・・・」

「ただ?」

「私はいまだに亡くなった主人のことを愛しています。だから主人以外の男性と夜の夫婦生活をすることには抵抗があるのです。もし再婚するということになれば、寝室を別にして、そういう行為はしないという条件であれば、一緒に暮らすことには同意できますけど、柿崎さんは再婚となれば、やはりそういう行為も期待されるでしょ?」

俺は返事に窮した。若い頃と違ってそういう行為に対して気持ちが薄らいでいることは確かだ。実際に、妻と過ごした最後の5~6年は、そういう行為はまったくなかった。それでも夫婦として成り立っていた。だから下山さんとも、そういう行為をしなくても夫婦として成り立っていくだろう。しかし、妻の場合は、そういう行為を何年も繰り返した末でのことだ。下山さんとは最初から一度もそういう行為がないとなると、男として我慢できるだろうか。ましてや、下山さんがそういう行為を拒む理由は、亡くなったご主人をいまも愛しているからだと言う。これから俺は下山さんのことをどんどん好きになっていくだろう。そうすると、これから先、俺は亡くなったご主人に対する嫉妬心に、ずっと苦しんでいくのではないだろうか。

俺が黙り込んでいるので、下山さんがたまりかねたように口を開いた。

「やっぱり、そういう関係の夫婦はありえないですよね。だから私は最初から、息子からどんなに言われても、再婚は無理だと思っていたのです。柿崎さんは私にとらわれず、もし良い人が現れたらその人と再婚してください。その時は、私はあきらめます」

「ちょっと待ってください。下山さんは、今もご主人のことを愛しているから、他の男の人とそういう行為はしたくないと言われましたよね?だったら、これから先、ご主人と同じくらい私のことを好きになってくれたら、そういう行為もあり得るということですか?」

下山さんは意表をつかれたように黙り込んだ。

「私もこんな年ですから、若い人のようにガツガツとそういう行為を求めるつもりはありません。しかし、やはり夫婦として身も心も一つになりたいという気持ちはあります。だから、先々下山さんが、ご主人のことを忘れないまでも、私に対して寝室を同じにしても良いという気持ちになったら、その時はその条件を撤廃してくれますか?」

「そんな日は来ないかもしれませんよ。それでも良いのですか?」

「それはそれで仕方ないです。でも、私は下山さんと残りの人生を一緒に歩んでいきたいと思っています」

下山さんは目を細め、ゆっくりと頷いた。


悦子さんとは、俺の家で同居することになったが、結局籍は入れなかった。寝室を別にすることに俺が耐えられなくなったら、いつでも私を追い出してくださいという悦子さんの提案だった。

何度か彩音と悦子さんの息子さんの俊介君と、4人で食事もし、俺たちは籍こそ入れていないが家族ということになった。

悦子さんとの生活は快適で楽しかった。俺が過去に撮った写真を見せたり、今度はどこに旅行に行こうかと、二人であれこれ話す時間はこの上ない幸せだった。最初の1ヵ月ほどは、同じ屋根の下にいるのに、夜になると別々の寝室に分かれる度に、悶々とした夜を過ごしたが、やがてそれにも慣れてきた。

3か月くらい経った頃に、彩音と俊介君が旅行をプレゼントしてくれた。籍も入れていないので式も挙げず、新婚旅行へも行かない俺たちに、せめてものお祝いにと、二人で話し合ってプレゼントしてくれたのだ。プレゼントしてくれた旅行は、伊豆半島の先端にある下田市の高級旅館に1泊する旅行だった。彩音は「せっかくだから花火大会の日に合わせて予約したから」と言っていた。子供達には俺たちが寝室を分けていることは話していない。旅館に泊る以上は、同じ部屋に寝ることになる。俺は悦子さんに「どうしよう?」と相談した。悦子さんは「子供たちのせっかくの気持ちだから行きましょう」と言ってくれた。


高級旅館というだけあって、とても素敵な旅館だった。部屋のベランダには露天風呂もついている。風呂から下田湾が一望できる絶景のロケーションだった。食事も海の幸が美味しく、堪能した。

食事前に大浴場に入っていたが、食後に、せっかくだから露天風呂に入ろうということになった。仕切りのガラスは湯船に浸かっていれば部屋からは見えないので、交代で入ることにした。先に悦子さんが入った。しばらくすると外から「ドンッ」という大きな音がした。そして続けざまに「ドンッ、ドンッ」と音が鳴る。どうやら花火大会が始まったようだ。

外から悦子さんが俺を呼ぶ声がするが、よく聞こえない。すると悦子さんが露天風呂のドアを少し開け、顔を覗かせて言った。

「博信さん!花火!すごい綺麗!博信さんもおいでよ!」

まるで女子大生のようにはしゃいで悦子さんが言う。

行っていいのか?でも、おいでよって言うんだから、行っていいんだよな?

俺は急いで脱衣場に行き、浴衣を脱いで、露天風呂に出ると、悦子さんは湯船に浸かって花火を見上げていた。俺はその横に体を沈める。

「綺麗ね」

悦子さんがため息をつくように言った。俺は悦子さんの方を見ないようにして、花火を見続けていた。しばらくすると、悦子さんがいきなり立ち上がり、前に進んだと思うと、浴槽の縁をまたいで向こう側に出て縁に座った。おそらくのぼせそうになったのだろう。

「風が気持ちいい」

悦子さんの後ろ姿は、芸術的に綺麗だった。

ふと夜空が暗くなった。花火が終ったようだ。悦子さんは俺の隣に戻って体を沈めた。

「本当に綺麗だったね。子供たちに感謝しなければね」

「花火も綺麗でしたけど、悦子さんも綺麗です」

悦子さんがこちらを見た。

「私は、どうやらアイドマのDまで行ってしまいました」

「Dって、Desire?ということは、欲しくなったってこと?」

「そうなりますね」

「大変だ。じゃあ、私はそろそろ上がりますね」

悦子さんはそう言って、立ち上がって俺の前を横切り出口に向かった。

「悦子さん、今ので、Mまで行ってしまったじゃないですか」

悦子さんが立ち止まり振り向いた。

「そのMemoryは記憶したということ?」

「確かに悦子さんの姿は記憶しました。それよりも、やっぱり悦子さんと一つになるべきだと確信したということです」

悦子さんは黙って立ち止まったままだった。俺の言葉を聞いて特に嫌がる素振りもない。俺は立ち上がり、悦子さんに近づいた。そして黙って悦子さんを抱きしめた。

「やっぱりActionはダメですか?」

俺は悦子さんの耳元で聞いた。わずかの間、沈黙が流れた。そして、悦子さんが小さな声で言った。

「ベッドへ行きましょう」


やっと悦子さんと身も心もひとつになった喜びが沸き上がってきた。俺は悦子さんに提案した。

「悦子さん、婚姻届けを出しましょう」

「私、亡くなった主人をまだ愛しているから、他の男性とこういうことをしたくないと言いましたよね」

「ええ。それなのに、私が無理を言ってしまいました」

「違うんです」

「違う?」

「博信さんが結婚しようと言ってくれたとき、すでに私は博信さんのことを好きになっていました。だから怖かったのです」

「怖かった?何がですか?」

「寝床を共にしたら、どんどん博信さんを好きになって、亡くなった主人のことを忘れてしまうのではないかと、怖かったのです」

「悦子さん・・・」

「でも、寝床を共にしなくても、一緒に暮らしているだけで、ドンドン好きになってしまいました。もういない人のことは、忘れてしまっていいですよね」

「悦子さん、この旅行が終ったら、一緒に墓参りに行きましょう」

悦子さんが俺を見た。

「ご主人は、お酒は好きでしたか?」

「はい、結構飲む方でした」

「じゃあ、お供えには缶ビールでも買って持って行きましょう。そして、お墓の前で、ご主人と三人でビールを飲みましょう」

悦子さんは俺に抱きつき、小さな声で「ありがとう」と言った後、唇を合わせてきた。


悦子さんは、亡くなったご主人のことを忘れる必要はないし、忘れてはいけないと思う。これからの人生は大切だが、今まで歩んできた人生も忘れずに大切にしてほしい。そのために俺は、定期的にご主人の墓参りに連れて行こうと思う。そして、たまには敏江の墓参りにも。いくら薄情な俺でも、それくらいはしなければと、改めて思った。

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