馴れ初めを思い出す

 春香と出会ったのは、もう三年前、中二の春だった。あの頃の春香はまだ、眼鏡をかけていなかった。

 別に特別な出会いがあったわけではない。俺は水泳部、向こうは女子バスケ部で、部活が終わり帰宅する時間がたまに被ることがあった。加えて俺が一緒に帰っていた水泳部の奴らと女子バスケ部の同じ方向に帰っていた奴らは仲が良く、二年生になってから、時間が被れば一緒に帰るような雰囲気ができていた。

 春香とは小学校も同じだったが、小中どちらも同じクラスになったことはなかった。だからそこまで面識はなく、ときおり帰りのグループのなかで他愛ない会話をした。その程度だった。

 春香のことを意識するようになったのは、三年生に上がって、同じクラスになってからだ。

 二年生の頃、一緒のグループにいた春香の印象は、とにかく明るい、周りを盛り上がるネタキャラのような存在だった。常にギャグを発して、周りの空気を読んだ発言をして、グループの雰囲気を保つ。そんな彼女を俺はありがたがりながら、内心では少し軽蔑していた。まるで集団に従属して、常に周りの顔色を伺っているようにも見えたからだ。

 クラスのなかでの彼女の印象は、思ったよりも大人しいな、というものだった。どうやら彼女のあのキャラクターは、本当に心を許した集団のなか限定のものだったらしい。

 同じクラスになったからといって、俺と春香の関係はそんなに変わらなかった。顔馴染みなのでクラスでも会話するが、クラスのなかでは違うグループに属していたし、同じ趣味などがあるわけではなかった。趣味といえばむしろ、その時は同じクラスだった長谷川雪の方が共通していた。長谷川はいつも教室で本ばかり読んでおり、俺も教室ではそんなに読まないものの、家に帰ればたまに本を読んでいた。長谷川が学校に持ってきている本で、俺も読んだことのあるものもあった。だけど俺は長谷川に話しかけたりはしなかった。単純に、人間として興味がなかった。

 夏が終わり、最後の大会を終え、それまで部活動に打ち込んでいた面々も徐々に勉強に打ち込み始めた頃、長谷川が教室で虐められるようになった。理由はわからない。長谷川は昔から成績が良く、だからといって周りに勉強を教えるようなタイプでもなかった。顔もいつも無表情で、それが周りをばかにしているように映ったのかもしれない。とにかく長谷川は元々部活をしていた女子グループに目をつけられ、教科書を捨てられたり、引き出しにゴミを入れられたりするなどの虐めを受けるようになった。

 俺は虐めの存在を知っていたが、これといって正義感を待ち合わせていたわけでもなく、長谷川のこともどうでもいいと思っていたので、なにもしなかった。教室にいるほとんどの面子がそうだった。ただ一人、春香を除いては。

 春香はその虐めをしていたグループには属していなかったが、春香のいたグループはそのグループとそれなりの交流があった。たまに一緒にだべっている日もあった。ある日、また教室の中央の方で二つのグループが一緒に雑談をしていた時のことだ。俺は教室の端で、同じ水泳部の奴らとだべっていたのだが、

「もうやめなー、そういうの」

 という、やけにはっきりと響いた声を聞いて、教室の中央を向いた。

 声の主はどうやら春香で、春香の顔は、ちょうどゴミを机のなかに入れようとしている女子の方を向いていた。

 教室中の注意をひいたその女子は顔を真っ赤にして、

「はあ? 別に、ゴミ箱にゴミを捨ててるだけだから」

 と言った。

「長谷川さんの机はゴミ箱じゃないよ」

 はっきりと、教室中に浸透するような声だった。その声で、俺たちは今更のように思わされた。

 そうだ。長谷川の机はゴミ箱じゃない。ゴミ箱じゃないところに、ゴミを捨てるのはやっぱりおかしい。

 それ以降、春香は日常的に長谷川に絡むようになった。教室内で挨拶をして話しかけたり、一緒に勉強をしたり。

 今度は春香も虐めのターゲットになるかと思われたが、そうはならなかった。春香は女子バスケ部のなかで愛されている存在で、特に女子のなかで一目を置かれているような派手な女子(その子もバスケ部の部員)と仲良くしていた。だから、虐めグループも春香には手を出せなかった。

 そういうしていると、やがて虐めも鳴りをひそめた。そのうち受験が終わり、俺は春香と同じ高校に入学した。

 高校に上がってすぐ、俺は春香に告白した。俺は春香の、強さを好きになっていた。

 そう。春香の持っていた強さとしか形容できないものが、どうしようもなく俺の心を打ち抜いたのだ。

 春香は少し考えさせて、と言い、それからしばらくは友達としてのお付き合いが始まった。それから二ヶ月が経った頃に、正式に付き合うことになった。俺は水泳部でそれなりに成績を残しており、女子からも人気があったから、告白すれば付き合えるだろうとは思っていた。だけどいざ付き合うことになり、春香とキスをしたその日は、心の底から嬉しく、夜も胸が高鳴って眠れなかった。

 それからは休日にデートをしたり、たまに俺の部活終わりまで春香が時間を潰して、一緒に帰った。春香は高校から部活をやめていた。もう運動部はいいとのことだった。それに関して俺はなにも思わなかった。やりたくないならそれでいいと思った。ただ、部活をやめてから春香は急激に視力が悪くなり、眼鏡をかけるようになった。それに関しては、あまり眼鏡が似合っていなかったので、勿体無いと思うこともあった。

 ちなみに春香は高校に上がってからも長谷川と仲良くしており、たまに三人で勉強したり、遊んだりした。長谷川と本の話をするようになると、春香はたまに焼き餅を焼いた。

 春香との関係は順調だったし、春香になにか困っているような様子はなかった。そうして二年に上がり、俺も春香も長谷川もみんな違うクラスだったが関係は変わらず、やがて夏が始まって、朝、学校のプールに泳ぎに来たら、春香がプールに浮かんで死んでいた。

 俺は、もはやわけがわからなかった。

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