第5話 このロクでもない異世界で

 古柳こやなぎひさし。奇しくも俺と同じく享年21。

 高校大学共にお世話になった、俺の二つ上の先輩である。

 髪型は常にオールバック、身長も180前半と高く、目つきも悪い為よく怖がられていたが……実際はというと、人の懐にするりと入り込んでくるタイプの怖い人だ。


「……なんで。どういう事なんだ、ひさし先輩。先輩、生きてたとしても今23だろ!?なあ、なんで、なんでそんなに歳取ってんだよ……」


 こちらに来てから初めて出会った話の通じる人間。それも、前世からの知り合い。 

 本人なのは間違いない。声も仕草も見た目も、先輩が歳を取って40歳くらいになったらなりそうな範疇でしかない。


「砂翔君、君は今21歳だろう?『鑑定』で出たよ。向こうでは……まだ、2年しか経っていないとはね。話には聞いていたけど、こうして目の当たりにするとショックだ」

「それって、つまり」

「違うんだよ。時の流れが、向こうとこっちじゃ。僕はね、この世界で20も過ごしているんだ。仕事もある、家族もできた。一人娘だって……もう、18歳だ」


 そう言って、久先輩は少女の方を見遣る。

 互いに相手が結婚したら友人代表としてスピーチがしたい、なんて話していた頃が懐かしい。結局、葬式ではただ線香をあげただけだったか。

 2歳の差しかなかった筈の先輩よりも、先輩の娘さんの方が今や歳が近い。

 また会えて嬉しいとか、死んでしまったのは悲しいとか、そんな感情以上に、ただただ20年の断絶だけが其処に在る。


 数秒の沈黙が訪れる。

 父と旧友がどうにも気まずい事になっているのを見かねたのか、少女は少し前に出て口を開いた。


「初めまして、父上のご友人様。私はリーベ・フォン・レーゼゲルト、どうか以後お見知り置きを。安心してください……で良いのかは分からないけど、父上はたまに貴方との思い出を話していました。どうか、仲良くしてやってください」

「ああ。お気遣いありがとう、リーベさん」

「……僕は歳を取ってしまったが、元より先輩だったんだ。今までよりも少しばかり人生経験が豊富になっただけさ。砂翔君、積もる話も車の中で。まずは移動しようか、君にずっと半裸で彷徨ってもらう訳にはいかないからね」


 久先輩は車の後部座席のドアを開けてから、運転席に座る。

 運転席は一人分、後部座席もちょうど二人分のスペースしかなく、半裸の状態で先輩の娘……リーベさんと詰めて座る羽目になるのは非常に困る。

 幸いにも車内にあったブランケットに包まり事なきを得たが、もしブランケットがなければと思うとゾッとする。きっと、舌を噛みちぎって自害していただろう。

 

 剣の収納場所で揉めた後、『アイテムボックス』の存在と使い方を教えられる。

 そんな一悶着がありつつも、無事車は走り始めた。


 余談だが、俺を襲った男は久先輩のスキルによって影に呑まれ行方不明となった。

 先輩曰く「死んではいない」そうだが、どこまで信じて良いものか。


「さて、と。砂翔君はまだこちらに来たばかりだろう?何故か異様にレベルが高いのは気になるが、冒険譚はまた後で。砂翔君には、今から身の振り方を考えてもらう」

「身の振り方ねえ。嫌と言うほど聞いた言葉を、転生しても聞くとは思わなかった。それはつまり、就職活動的な話か?」

「ああ、だが地球と比べると就職は容易だ。何せ転生者ってだけでどこからも引っ張りだこだからね。問題は、さ」


 俺はすぐ聞き返した。勢力争いなんて、関わらなければ良いじゃないかと。

 君子危うきに近寄らず、触らぬ神には祟りなし。どんな場所、どんな世界にも争っている人々はいるものなのだから、結局俺のような確たる思想も動機もない人間は見ない聞かない触らないが一番なのだ。


 が、話を聞く限り、そこまで単純な話ではなさそうだった。

 

 まず、この世界にはこれまで約40000人の転生者が訪れている。

 その内の10000人、実に4人に1人は既に死亡しているのだ。

 

 残った30000人の転生者のうち、ほぼ全ての人間がと呼ばれるどの国家にも属さない組織に所属している。

 これは、転生者が身分を得て活動する為には冒険者ギルドへの登録が必須だからであり、言ってしまえば世界政府にも近い存在だ。

 

 しかし、その性質上ギルドは勢力間の争いに介入できない。

 現在バチバチに争っている三組織の構成員がギルド所属の転生者である以上、上位組織の介入による紛争の解決は望めないのだ。


「––––––––その問題の組織ってのが、トゥモロー・スローライフ・カンパニーと、イエスタデイ・ハーレムエンド、そして無何有郷むかゆうきょう騎士団だ」

「はい?え、今なんて言った?」

「トゥモロー・スローライフ・カンパニーと––––––––」

「そうじゃないんだ。固有名詞を三つ重ねられても人は覚えられないんだよ、先輩」


 自称神による異世界の説明を聞いた時と同じ感覚だ。何を言っているんだか全くもって分からない。横文字をやめろと言いたいが、無何有郷むかゆうきょうの方が大概酷いのでどうしようもない。

 勢力争いってのは中二病転生者による殴り合いの事だったのか?

 

「……リーべさん。今の勢力争い云々の話って、もしかして常識だったりする?」

「そうですね。今から約100年前、転生者がこの大地に現れる様になって以来、様々な組織が生まれては消えていきました。今は、父上の語った三つの勢力が互いに牽制しあっている状態でしょうか」

「なるほど、だったら流石に覚えないと駄目だな。身の振り方と言われても、久先輩はどの組織に?先輩が居るとこなら、一番安全だろ」


 困った時の指針を先輩に委ねるのは、俺にとって当然の選択だった。

 何も自己保身が得意なのは俺の特権ではなく、勝ち馬を見極め、乗る力は先輩の背中から学んだに過ぎない。

 この世で最悪の師弟みたいな関係性だが、それはそれだ。 


「僕の事はいいんだよ。どこにも所属してないし、する気はない。そんな事よりもさ、せっかくの異世界なんだよ砂翔君。最初の内はやりたい事をやるといい」


 しかし、求めた答えは返ってこなかった。

 

 人に答えを求めてしまうのは俺の悪い癖だが、現実問題としてやりたい事は特にないし、悲願も使命もない以上はどう動けと言うんだ。

 

 そりゃあ人並みの欲はあるさ。

 死にたくない。美味いもんは食べたいし、それなりに成功したい。チヤホヤされたいとはたまに思うが、その為に努力できる程じゃあない。

 愛したいし愛されたい、そう考えるのは人のどうしようもない性質なのだろうが、誰をと問われると言葉に詰まる。

 

 ただ漠然と幸せになりたいが、幸せがどんなものかの言語化はできない。

 第一、異世界で主人公として戦いに明け暮れるよりは、大学をサボって布団の上でソシャゲのガチャを引いてる方が性に合っている。

 ふと、アイテムボックスに入れた剣の存在を思い出す。たまたま竜の翼に刺さっていた、特に思い入れのない剣だ。

 俺は、どうしてあんな物を振り回していたんだろう。

 こびり付いてしまった竜の血は英雄の証などでなく、恐怖の対象だ。


「……三上さん。お疲れですか?少し眠っていても大丈夫ですよ、街まではまだ時間がありますから。私と父上が居ますから、安心してください」

「ああ……ありがとう。それと、俺の事は砂翔でいいよ。確かに久先輩の友人だが、年齢的には若者だ。リーベさんともあまり変わらない」

「まるで僕が若者じゃないみたいな言い草、酷いじゃないか」

「そうですね、父上は若い頃から精神が成長していませんから」


 きっと、これまでも繰り返されてきたのであろう平穏な父娘のやり取り。

 久先輩にとっては不服だろうが、俺から見ればなんとも愉快で、異世界だろうと当たり前に存在している日常に思わず少し笑みが溢れた。


 このロクでもない異世界で、俺はやりたい事を見つけられるのだろうか?


 心地よいエンジン音に耳を傾け、俺は意識を手放した。

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