第3話 ドラゴンスレイヤー

 今更ではあるが、俺は運動が苦手だ。

 痛みに耐えて走れる精神力も持ち合わせていなかったし、料理中に誤って自分の指を切りそうになるくらいに不器用。

 それが今や、紙一重で竜と渡り合っているのだから、全く異世界転生とは馬鹿げていると言う他ない。

 

 走り出す。

 竜が吼える。

 人の身体などよりも巨大で強大な尻尾が、迫る。

 その風圧だけで、折れた骨が軋む。嗚呼クソ、痛い、痛い、痛い!


 尻尾がすぐ側まで接近する。死の運命はすぐそこに。

 だが、今の俺なら避けられる––––––––!


 飛ぶ。

 疾走の勢いのまま、尻尾をかろうじて飛び越えられる高さまで跳躍する。


「ッハッハハハッハハ!あーもう、何で動けるんだよ俺。全くもって気持ち悪い、軽々しく人間の限界を、常識を超えるとか。いくら無法チートでも限度があるだろうに、俺みたいなのが後40000人?加減も何もあったもんじゃないな!」


 極限状態の緊張。スキルの効果による英雄症候群ヒーロー・シンドローム

 痛みによって分泌され続けているアドレナリン。

 そこに全能感も合わさり、幸か不幸か恐怖はふっと消えていた。


 すれ違い様に尻尾を切り付ける。

 駆け上って背中を刺す。落下しながら喉笛を断つ。

 剣の使い方など習った事はないが、流石は謎に神々しいオーラを纏っていた鉄の剣。がむしゃらに振り回すだけで、見るからに硬い竜の外皮も野菜の様に切れる。


 切って、避けて、刺して、飛んで。

 戦いは俺が優勢だった。つい数十分前までただの大学生だったのに、ファンタジーの代名詞とも言える竜と戦えている。

 その事実は、俺を慢心させるのに十分すぎた。


 着地する。回復力も異様な程上昇している為か、既に足の骨は治っていた。

 返り血で赤く染まった俺の目は、竜の口から覗いた赤がこれまでと違う事に気が付かない。

 赤とは、炎の色だ。故に赤い竜は炎を吐く。

 これ程単純な前提テンプレを忘れるとは、全く愚かな事だとも。


 尻尾でもない。風圧でもない。

 炎が迫る。

 ほんの少し反応が遅れた、その一瞬で俺の身体は炎に包まれる。


 熱い。痛い。熱い、痛い、痛い––––––––!


 髪が燃える。服が燃える。熱で体が乾いていく。

 何時か聞いた火の消し方を試すか?

 いいや、今この状況で地面を転がり回る訳にはいかない。

 ならばどうにかして水を被る?

 出来たらとっくに実践してるさ、この近辺に水場は無い。

 

 ならば、やられる前に殺るしかない。

 殺して血を被れば火は消える。恐らく。多分。


 足に力を込める。ただひたすらに走る。

 竜の腹に剣を突き立てる。

 切る。血を浴びる。切る。血を浴びる。切る。血を浴びる。

 耳をつんざく咆哮を気にしている余裕はない。


 ……いつの間にか、血の海に溺れそうになる。竜はゆっくりと地面に倒れて行く。  

 もう脅威は感じない。異世界に来て最初に殺した生物は、蚊でも人を襲うゴブリン的な何かでもなく、たまたま落下地点に居た竜だった。

 どうやら、俺は竜殺しに成功したらしい。全身骨折はすぐに治ったが、今度は全身火傷か。痛みには慣れてきたが、それでも痛いものは痛い。痛みで吐きそうだ。


 それに、血生臭いこの匂いでも吐きそうになる。上半身の服が焼け落ちたせいで、血が肌に張り付いているのも嫌だ。自分が何かを殺めた感覚も気持ち悪い。

 

 ふらりと地面に倒れ込む。その時にはもう、傷も痛みも消えていた。

 それと同時に、どうしようもない喪失感が訪れる。

 俺は、何故逃げるのではなく戦ってしまったのだろうか。人並みに英雄への憧れはあったが、思い上がらないのが数少ない長所だっただろう。

 思考の方向性が補正される、あの感覚。思い出すだけで嫌になる。


 訳が分からない。俺はこの先、どうすれば良いんだ。

 俺みたいなのが40000人居るからそいつらを殺せって何なんだよ、イカれてるのかあの自称神。人に殺人を強要するなよ、もし現世なら殺人教唆でお縄だぞ。

 本当なら辺境の地でスローライフと洒落込みたいが、使えそうな便利スキルは持っていないんだ。結局、『クラフト』みたいな無法チートがないと、ハードサバイバルでしか無いんだよ。


「本当に……嫌になるな。何でこんな事になったんだよ、地獄の方が納得は出来るぞ畜生が。……とりあえず、人里を探そう。仕事を探そう。家を探そう。無事に明日を迎えられると確信できる、そんな居場所を探そう。それしかないんだ」


 地面から起き上がる。竜の死体を一瞥して、俺は当ても無く走り出した。


 それから、さて。10分ほど走った時だろうか。

 またしても自分の身体に異変が起こっている気がして、ふと森の中で立ちまった。

 瀕死になりながら竜と戦って、アドレナリンも大量に出ていて、恐らく『主人公補正』の効果で身体機能が上昇しまくっていただろう先程と比べても、あまり変化を感じないのだ。

 主人公、それは瀕死になればなる程強くなる生き物だ。『主人公補正』とはつまり、それを再現するスキル。


 じゃあ今は?骨折も火傷も治り、健康体そのものだ。

 上裸であるのは社会的に危険かもしれないが、そんなものがスキル効果に反映されては全裸が最強になってしまう。それでは主人公ではなく只の変態ではないか。

 ならば、考えられる可能性は二つ。

 瀕死になると強くなる効果が永続のものなのか、もしくは……


「ステータス、オープン」


:––––––––––––––––––––––––––––––––:

名前:三上砂翔みかみさしょう

種族:転生者(人類種)

年齢:21

レベル:33

スキル:『主人公補正』『アイテムボックス』

『鑑定』『万能言語』

職業:無職

地位:平民

信用:30

名声:0

:––––––––––––––––––––––––––––––––:


 竜を殺した事により、レベルが向上したか。


 レベル1から33、何というパワーレベリング。RTAリアルタイムアタックの如きハイスピードレベリング。これがRPGなら序盤を突破したも同義だろう。

 だがこの世界に序盤なんて概念はない。終盤でも苦戦必死の竜がスポーン地点に居る時点で、敵が弱い事を期待してはいけない。

 

 気が付けば、1時間は走っていた。

 

 ようやく森を抜け、視界には草原が広がる。

 まず日本ではお目にかかれない、彼方まで広がる草原。

 うっすらと、遠くに街道らしきものが見えた。

 道沿いに歩けば人に会える確率も上がるだろう。何せ年間4000人も転生者が居るんだ、異世界転生あるあるの気まずいファーストコンタクトは起こらない筈。

 

 今はただ、幸運を信じて走るしかない。

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