第2話 汝、主人公であれ

 納得がいかない事がある。それも沢山。


 ほぼ強制的に『主人公補正』のスキルを持たされた事。立ち上がって抗議した瞬間に会議室の床が開いて落とされた事。

 体感数千メートルの落下の後、着地したのがよりにもよって赤竜の頭上だった事。


「……何が主人公補正だよ、クソが」


 ここで状況を整理しよう。どう考えてもそんな場合ではないが、素数とか虚数とか複素数とかを数えるよりは現実的な落ち着き方だ。


 今、俺は体長約25メートルくらいの赤い竜の頭に立っている。落下ダメージにオーバーキルされる事もなく足腰は至って健康なまま、竜も俺の事など一切意に介さず眠りこけている。

 所持品は無し、装備はパーカーにジーンズにスニーカー。残念ながらスマホも財布も持っていないし、もし持っていても竜の前では無力だ。


 どうしろと。

 本来ならばチートスキルで華麗に解決していたのだろうが、生憎といま俺が持っているのは『主人公補正』、それと便利セットとして全転生者に渡されている『アイテムボックス』『鑑定』『万能言語』だ。戦闘に役立つものはない。


 いやこれ、本当にどうしろと。

 足が震えて一歩も動けない。動いた瞬間に竜も起きるのでは、そう思うとより足の震えは悪化した。

 情けない、ああ情けない、だが俺は決して悪くないとも!

 俺は主人公などではない、だから『主人公補正』を貰ったところで格好良く立ち回れる訳もない!


「ああクソ、ほんっとうに最悪だ。舞い上がってたよ、本当に異世界転生して無双して、現世なんかよりよっぽど良い人生を送れるんじゃないかって!だが違う。現実はこれだ、死んだ後に見せられた只の悪い夢じゃないか!」


 どうしようもない不満を吐き出す。かなりの大声を出したつもりだったが、竜が目を醒ます事はなかった。

 だが、どうせ近々死ぬ事に変わりはない。その辺に巨大な赤竜が居る世界だ、犬も歩けば暴徒に当たるかもしれない。

 こんな事なら、視界に入れた敵を即死させるスキルとかを貰っておけば良かった。

 せめて、異世界転生らしい事を少しはやっておくとしよう。


ステータス社会的地位、オープン」


 なんか今変な感覚が、具体的にはステータスの意味がゲーム的じゃなかった気が。

 まあいい。

 無事テンプレ的なウィンドウが俺の前に映し出される。

 そこには確かに、俺のステータスが記されていた。


:––––––––––––––––––––––––––––––––:

名前:三上砂翔みかみさしょう

種族:転生者(人類種)

年齢:21

レベル:1

スキル:『主人公補正』『アイテムボックス』

『鑑定』『万能言語』

職業:無職

地位:平民

信用:30

名声:0

:––––––––––––––––––––––––––––––––:


 そこには確かに、俺の社会的地位ステータスが記されていた。

 体力とか筋力とか魔力とかは記されていない。強さを測れそうなのはレベルの項目のみで、その肝心のレベルも1だ。

 転生特典でレベルアップ? そんなものはない。

 夢も希望もないし、俺に未来はない。


 だが、竜の頭の上で死を待つのも何となく……こう……嫌だ。

 どうせ一度は死んだ身、今度こそせめて何かしてから死にたい。


 幸いにもここは森、飛び降りてしまえば隠れられる場所は無数にある。

 問題は。

 体長約25メートルの竜は当然頭もデカく、飛び降りると足は骨折、最悪普通に死ぬ。神の会議室から落とされた時よりも現実的に怖い高さだ。


 と、悩み悩む事数分。

 その数分が命取りだった様で、残念な事に俺の足元は揺れ出してしまった。

 少しづつ地面が遠ざかっている。当然だ、竜が頭を起こしているのだから。

 これが目眩による浮遊感だったならどれほど良かったでしょう。

 幻覚であって欲しいとどれだけ願ったでしょうか。


 しかし現実として、竜は勢いよく立ち上がった!

 俺はカタパルトに収まった哀れな岩の様に吹き飛ばされ、今まさに竜の翼の横を通過しようとしている!

 

 背中から地面に落ちてぐちゃりと潰れる自分の姿が脳裏を過ぎる。

 それだけは避けたい。流石に竜と何も関係なく死にたくない。いやそもそも死にたくないし、死ななかったとしても痛いのは嫌だ。

 考えろ。空中に放り出されてから、思考のスピードは格段に上昇している。

 火事場の馬鹿力の脳みそ版なのだろうか。こんな事が出来るなら受験の時に発動しといてくれよ俺の脳。


 さて。落下地点にクッションとなりそうな物はない。木の枝に手を伸ばすのも非現実的。今手の届く範囲にあるのは、竜の翼と––––––––


 翼に刺さった、見るからに神々しいオーラを放つ鉄の剣。

 は?


「訳、わっかんねえよ……!」


 死ぬ気で剣に手を伸ばす。真っ赤な翼と対照的に、その剣は白と金が混ざり合った色のオーラを纏っている。

 指先が柄に触れる。気合いで握り込む。

 俺と云う重りに引っ張られ、剣は竜の翼を見事に切り裂いた!


 が、それはそれとして俺は未だ空中だ。

 剣を手に入れた所で、落下死の運命は変わらない。

 剣の纏ったオーラが良い感じにふわっとクッションに?

 なる訳ない。


 視界から竜が遠ざかる。うっすらと、背中に地面が迫っている感覚があった。


 強い衝撃。次いで痛み。

 意識はハッキリとしている。視界もしっかり頭上の太陽を捉えている。

 思考もかつてない程澄み渡っているが、どう考えても骨は折れている。

 背中だけじゃない、全身の骨がだ。

 痛い。いっそ殺して欲しい。今すぐ手に持った剣を心臓に突き立ててしまいたい。

 

 なのに、身体は異様に健康で、今なら何だって出来る気がした。


「何なんだよ……何だよ、何なんだよ!」


 痛い。立ち上がる。痛い。竜を見る。痛い。手に持った剣を見る。


「『鑑定』!」


 案の定というか、ちゃんとスキルは機能した。

 展開されたウィンドウには、剣の概要が示されている。


:––––––––––––––––––––––––––––––––:

名称:鉄の剣

作成者:無名

物質段階アイテムレベル灰鋼ミスリル

:––––––––––––––––––––––––––––––––:


 鉄の剣なのにレベルが灰鋼ミスリルとはどんなギャグだよ、馬鹿げてる。

 だが多分強いんだろうな。何処かの誰かが作ったコイツを持って、これまた何処かの誰かがあの竜に挑んで、きっと決死の覚悟で一撃喰らわせたんだろう。


 で?


 だからって俺には関係ないだろう。知らん人間の意志を継いで竜を狩る必要なんてない。勝手に降ってきて勝手に吹き飛ばされただけだから、復讐心も毛頭ない。

 

 なのに。

 不思議と、魂が叫ぶのだ。


「……汝、主人公であれ」


 逃げるな。戦え。敵を打ち倒せ。

 こんなものは俺の思考じゃない。その筈がない。

 俺は正真正銘の小心者だ。なのに、主人公はこんな事をしないと、主人公なら逃げる訳がないと、半ば強迫観念じみた思考で脳が侵食されていく。


 いやあ、主人公補正がこうも欺瞞に満ちた叙述トリックだったとは。

 あの自称神により一層腹が立つ。 

 主人公であれと強制する。主人公らしく動ける様思考をする。

 瀕死の時ほど強くなるとか、いざって時は豪運に助けられるとか、そんなお得な効果も確かにあるのだろう。現に身体の調子は良いし、たまたま剣も入手した。


「良いさ。良いさ、やってやるよ。邪魔する奴は全部倒して、生き残る……!」


 竜の黄色い瞳がこちらを見る。その視線は、明確に殺意を孕んでいた。

 改めて竜の体を見ると、どこもかしこも傷だらけだ。

 言うまでもなく、最新の傷は俺が事故で切り裂いた翼にある。

 赤い翼に血が滴る。本当、見ていて痛々しいよ。


 だが、敵だ。


 剣を握り直す。現代日本に生きる者として、当然剣の心得などない。

 相変わらず身体中も死ぬ程、いや、死にたい程痛い。


 だが、まだ動く。何故か動く。

 戦える。戦わなくてはならない。

 納得はいかないが、俺はそういう役回り主人公らしい。


 竜の咆哮と同時に、戦いの火蓋が落とされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る