第8話:お塩舐め
私の母方の実家は長野県南部(南信)の山間にあるのだが、そこでの葬儀にはいくつか奇妙な風習があった。
その一つにお塩舐めというのがある。
これは、死者を家から火葬場に運び出す「出棺」の前に行われる儀式だった。
私がまだ小学生だった頃、曾祖母が亡くなり、葬儀に出席した時の話である。
お通夜を終えた翌日、いよいよ出棺の日である。
お坊さんがお経を唱え終えると、家族それぞれで少しずつ死者に死に装束を着せていく。
手甲をはめ、白足袋をはかせ、頭陀袋を首にかけ、頭に三角頭巾を被せる。
ここで曾祖母の身体にも不可抗力で触れることになるのだが、死体というのは水の詰まった革袋のようで、ぶよぶよと不快な手触りがある。
体温は冷たく、皮膚はサラリとしており、人間というより人の形をした物体であるといった感じだ。
それから棺に、花や故人の思い出の品を詰め、蓋を被せる。
ここまでは普通の葬儀と変わらない。
しかしその後、読経を背景に親族一人一人が岩塩の塊を舐め、それでもって棺の四隅の釘を一回ずつ打っていく。
これがお塩舐めで、これはその場にいる全員が必ずやらなければいけない行為だった。
若い者たちは舌先でチロリと舐めるが、年配ほどベロっと舌で大きく舐める。
そのため、私のところに回ってきた時には、岩塩はすっかりぬめりを帯びてねっとりと光っていた。
ずっしりと重い岩塩の表面はピンクがかって薄汚れており、転んで擦りむいた時に見えた膝の肉を思わせた。
こんなものを舐めるのかよと思ったが、親族全員に見つめられている状況でイヤだとは絶対に言えない。
キモい、キモいと思いつつ無心でペロッと舐めると、氷を舐めたみたいに舌先がヒリっとした。
岩塩で釘を打つと、ドンッドンッとやけに鈍い音が響いたが、刺さっていく感覚はまったくなかった。
最後に喪主が岩塩で四回打ってからは、普通に木槌で釘を打ち込んだ。
最初から木槌で打てよと当時は思ったが、今考えれば塩というのはお清めのために使われていたのだろう。
しかし、どうして舐めなくてはいけなかったのか、どうしてあれで釘を打ったのかが分からない。
場を清めるのなら塩をまけばいいし、清めるだけなら岩塩に触ればそれでいい。
釘を打つのだって、木槌を回して打てばいいわけで、あの岩塩を使う理由がイマイチぴんと来ないのだ。
しかも気持ちの悪いことに、その岩塩は大切に布にくるまれて葬儀場に持って行かれ、精進落としの際に削られた塩が食卓に並ぶ。
みんなそれを料理にかけて、美味しそうに食べるのである。
残った岩塩は仏壇に安置され、食事の合間に大人たちがそれに手を合わせて線香をあげる。
半端に削られた断面がよけい生の肉に見え、食欲が大幅に削がれたものだ。
何ならその夜、ドクンドクンと脈打つ生肉が、なぜか実家の仏壇に飾られているという悪夢まで見た。
私にとってピンク色の岩塩は幼少期のちょっとしたトラウマである。
コロナ禍になってお塩舐めは行われなくなったと聞くが、そもそもあの儀式はどういったところから生まれたのだろうか。
なぜ舐める、なぜ釘を打つ、岩塩で。
今でも疑問は尽きないのである。
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