第6話:ゴボウはないですか

 父の知人で半世紀近くケースワーカーをやっている吉田さん(仮)が体験したお話。


 吉田さんの担当する一人に小林さん(仮)という八十歳近い男性がいた。


 小林さんは物静かな痩せた老人で、長野県北部の山奥に一人で住んでいた。


 元妻との間に息子と娘が一人ずついるとのことだったが、そちらの家族とは絶縁状態で、もう何十年も会っていないとのことだった。


 吉田さんは小林さんの生活保護関係の手続きを担当しており、それ以外にも生存確認も兼ねて月に一度は家を訪問して世間話をしていた。


 小林さんは数年前にガンを患っており、それ自体は早期発見で治ったのだが、他にも心臓や肝臓に問題を抱えていた。


「自分は長くないから、後は頼みます」というようなことを事あるごとに吉田さんに話していたという。


 吉田さんは小林さんが弱気を見せるたびに、「何言ってるんですか。頑張りましょうよ!」と励ました。


 小林さんは「そうですよねぇ」と笑っていたという。


 コロナ禍前の十二月三十日の早朝のことだった。


 雪がドカッと降ったため、吉田さんは朝早く起きて自宅駐車場の雪かきをしていた。


 その日は昼から、年末年始の休みに入って帰省してきた大学生の息子と映画に出かける約束をしていた。


 気温は寒いが、雪かきをするとかなり汗をかく。


 何とか仕事を終えて朝シャワーでも浴びようかと玄関に入ると、固定電話が鳴った。


「もしもし」


「ゴボウはないですか?」


「小林さん? どうしたんです、こんな朝早く」


「……ゴボウはないですか?」

 

「豚汁でも作るんですか? うちにはないんで今度持って行きますよ」


 と、そこで電話は切れたという。


 何だったのかと思いつつ、吉田さんはシャワーを浴びて、奥さんと息子と朝食を取った。


 十時ごろ、そろそろ出かける準備をするかと思っていると、固定電話が鳴った。


「もしもし」


「あっ、吉田さん! 実はですね……」


 出てみると、相手は職場の部下だった。


「えっ、小林さんが?」


「はい……昨夜、家の近くで倒れちゃったみたいで。そこにあの雪でしょう?」


 小林さんは心不全で倒れ、そのまま凍死してしまったのだという。


 それをつい今しがた、道の雪かきをしていた近所の人が見つけて通報したとのことだった。


「おかしいですよね。朝に電話してきたのに、その時にはもう小林さんは亡くなっていたわけですから」


 吉田さんは不思議に思いつつも、息子に謝り、急いで職場に向かった。


 小林さんとは絶縁状態のご家族に連絡を取ったが、葬儀はおろか遺骨の引き取りも断られたため、後のことは担当者である吉田さんが一切を進めた。


 小林さんのご遺体は安らかな表情で眠っており、苦しい最期ではなかったように見え、そのことが唯一の救いに思えたという。


 その後、遺品整理のために小林さんの家に行ったが、よく片付けられておりスムーズに事が運んだ。


 ただ、台所に料理をしていた形跡などはなく、冷蔵庫にもこれといって食材はなかったそうだ。


「多分買い出しに行こうとして倒れたんじゃないですかね」


 吉田さんはそう言って、「よっぽどゴボウが食べたかったのかなぁ」と締めくくった。

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