第3話
窓の外は、太陽が薄雲に隠れて灰色の世界が広がっている。いくつか見える雲の隙間から光が漏れ出すことはなく、空気はどこか重く感じられた。
「一護くん、今ちょっといいかな?」
看護師の声がカーテン越しに聞こえてきた。はい大丈夫です、と一護が返事をすると、看護師はカーテンを静かに開けてベッドサイドに立ち、穏やかな口調で話し始めた。
「一護くんに、先生から大事なお話があるって。面会室に呼ばれてるから、準備ができたらお姉ちゃんと向かってくれる?」
その言葉を聞いた瞬間、一護の胸はドキリとした。面会室。何か良くない話をするときに、いつも呼ばれる部屋。今度は何が待っているのだろうか。心の中で不安が膨らむのを感じた。
しかし、今考えても仕方ないとすぐに思い直し、看護師に向かってニコニコしながら頷く。
「了解!ありがとう、立川さん」
「いえいえ、何か手伝いが必要だったらいつでも呼んでね」
そこへ、自販機に飲み物を買いに行っていた一花が、看護師と入れ違いで病室に入ってきた。
「今、立川さん来てたよね?」
「うん。なんか先生が大事な話があるから、姉ちゃんと面会室に来てって」
「大事な話?なんだろね」
そう言いながら、一花の顔には少し心配そうな表情が浮かぶ。もしやまた何か残酷な話を聞かされるのか。弟はこんなに頑張っているのに、まだ傷つかなきゃいけないのか。
「まあ、いつもの感じじゃない?薬を増やすとか、また検査手術するとか」
一護は軽い口調で答えながら、一花に支えられて車椅子に移乗し、はしゃいだ様子で右手を掲げてこう言った。
「よし、それじゃ面会室までレッツゴー!」
いつもより不自然なくらいテンションが高い弟を見た一花は、そうだ、自分がこんな顔をしていたらダメだと慌てて気持ちを切り替える。そして車椅子のグリップをギュッと握り締め、弟に負けじと元気いっぱいに言った。
「はいはい、それじゃあ面会室まで飛ばしてくよー!しっかり捕まってなさい!」
「姉ちゃんそれはやめて、ここ病院だから」
♔♔♔
面会室のドアの前に到着すると、一花は一瞬息を詰め、一護の顔をちらりと見た。姉の自分はこんなにも緊張しているのに、当の本人はケロッとした顔で「入らないの?」と不思議そうに見上げてくる。
一花がおずおずとドアを開けると、シンプルなテーブルと椅子が配置されており、その中央に主治医が座っていた。
「二人とも、わざわざ来させちゃってごめんよ。どうぞ入って」
一護と一花は互いに視線を交わして頷き、「失礼します」と言って面会室に足を踏み入れた。部屋の中には
主治医は2人の前に立ち、少しの間黙ったまま手元にあるカルテを見つめていた。そこに漂う重苦しい沈黙の中、2人は心臓がドクドクと高鳴るのを感じる。一体何が話されるのか、静かにその瞬間を待つ。
やがて、主治医が重々しく口を開いた。
「二人に話さなければならないことがあります」
目の前に座る主治医の厳しい表情が、これから話される事の重大さを無言のうちに伝えているようで、一花は咄嗟に目を逸らした。
「単刀直入に言うと、今、一護くんの病状は急激に悪化しています。間もなく、自力での呼吸が出来なくなる可能性があります」
その言葉が部屋の中に響き渡った瞬間、全身が凍りつくような感覚が二人を襲った。
「すぐにでも手術が必要です。でも正直な話、今の一護くんの体力的に非常に危険な手術になります」
冷たい声が静かに響き、二人の耳に深く突き刺さる。主治医の言葉は事実を粛々と告げるだけだったが、その一つ一つが、彼らの胸に重くのしかかる。
「長時間の手術は身体に負担をかけるし、リスクも高い。それでも手術をするか、治療を止めて緩和ケアに移行するか。………どちらにしても、覚悟しておいた方がいいでしょう」
一護はいったん目を閉じ、呼吸を整えようとした。冷たい汗が額に滲む。ついに、ここまで来てしまったか。
目を開けた視界の端に映るのは、一花の震える背中。彼女は主治医の言葉に耐え切れず、無言で一護に背を向け、感情を押し殺そうとしていた。
その背中から伝わる一花の感情が、一護の胸をさらにえぐる。いつも明るく振る舞い、自分を支えてくれる姉が、自分のせいで絶望しているのだ。突如目の前に突きつけられた惨い宣告は、2人の希望を粉々に砕くには十分すぎる破壊力だった。
「ごめん、先生はこれから手術だからもう行くね。二人でよく考えて、聞きたいことがあれば何でも相談してね」
そう言い残し、主治医は面会室を後にした。
♔♔♔
2人きりになった面会室は、言葉にならないほど重苦しい空気で満たされていた。時計の針が淡々と進む音だけが、やけに大きく響いて聞こえる。その一秒一秒が、2人の未来へと進んでいく時を刻んでいた。だがその未来に待っているのは、2人にとってあまりにも残酷すぎる現実。
一護はゆっくりと息を吸い、目を開け、改めて姉の背中を見つめた。必死に涙を堪え、震えるその背中は、誰よりも何よりも大切な存在なのに。
「姉ちゃん……」
微かな気力で口を開いた一護の声は、消え入りそうなほど小さく、弱々しいものだった。何をすれば、何を言えば、少しでも姉の絶望を和らげることができるだろう。しかしどれだけ考えても、全ての元凶である自分に、その答えは出せないような気がしていた。
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