第2話
ある日の夕方。いつも通り、病室で一護と一花が話していると、看護師数名の賑やかな声と共に、大部屋の扉が開いた。
一花がカーテンをそっと開けると、車椅子に乗った中年の男性が、2人がかりで向かい側のベッドに移されている様子が見える。移動を手伝う看護師と目が合った一花は、やや気まずそうに軽く会釈し、静かにカーテンを閉めた。
「姉ちゃん、どうしたの?」
その日は体調が悪く、ずっとベッドに横たわっている一護が、不安そうに聞いた。自分の注射か点滴を打ちに、臨時で看護師が来たと思ったのだろう。そんな弟を安心させるため、一花はとりあえず「なんかね、目の前のベッドに新しい患者さんが来たみたい」と耳打ちした。
数分後、ベッドへの移動が終わったのか、看護師達はぞろぞろと部屋から出ていった。そして1人になった男性は、ベッドに座ったまま、一護たちに向かって話し始めた。
「こんにちは、私は
病室は4人用の大部屋で、それぞれのスペースはベッド周りのカーテンで仕切られている。だから少し大きな声を出せば、病室にいる全員に声が届くのだ。
もっとも、現在この病室で入院しているのは一護しかいないのだが。
「隣県の病院から転院してきました、よろしくお願いします」
少々野太い声が、病室に響き渡る。
一花は弟と顔を見合わせてから、恐る恐るカーテンを開き、目の前にいる博人と目を合わせた。声から想像した印象とは裏腹に、穏やかで親しみやすそうな雰囲気の男性だ。
「初めまして、こんにちは。ここで入院している佐藤一護の姉です」
椅子から立ち上がり、ペコリと頭を下げる。一護も姉に続いて、電動ベッドの頭側部をリモコンで上げながら挨拶した。
「こんにちは、東さん。一護です。こちらこそよろしくお願いします。」
博人は安堵の笑みを浮かべながら、2人をまじまじと見つめた。自分たちをガン見してくる彼の様子に、一花は少し顔をしかめる。そんな彼女の様子を察した博人は、慌てて弁明した。
「実はさっき病室に入るとき、2人のことがチラッと見えたんだ。もしかして僕の息子と同じくらいの年齢かなと思ったら、なんだか嬉しくなってしまって……」
びっくりさせてしまってごめんね、と申し訳なさそうに顔の前で手を合わせる博人に、目をキラキラさせた一護が聞き返す。
「わあ、息子さんがいるんですか?」
すると博人はニコッとして軽く頷き、ベッドサイドの棚に置かれたバッグからスマホを取り出して話し始めた。
「息子は今年大学生になったばかりでね、昔からずっとダンスをやっているんです。家で踊っている様子を、毎日動画で送ってくれるんですよ」
よかったらお二人も見てください、そう言ってスマホの画面を一花たちに向けて見せる。
しかし、いくら博人のベッドが向かい側とはいえ、スマホの画面で動画を見るには、あまりにも距離が離れすぎていた。辛うじて、1人の青年がステージで踊る姿が小さく映っているのが分かるくらいだ。結局動画はよく見えないまま、2人には博人の誇らしげな笑顔の方が目に焼きついた。
「息子さん、かっこいいですね」
一花は、なるべく口角を上げてそう言った。ダンスのことなど全く知らないし、動画もちゃんと見えていない。なんなら大して興味もない。
そんな姉に対し、一護は心から憧憬の念を抱いていた。今では自力で起き上がることすら難しい彼からしてみれば、あんなに広いステージで身体を自由自在に動かして踊る博人の息子は、自分より遥かにまばゆい存在のように思えてならない。
目をキラキラと輝かせてこう言った。
「すごい!いつか、生で直接見てみたいなあ。動画でこんなにかっこいいんだもん」
そんな2人の言葉に、博人は目尻を下げ、優しい顔で言った。
「ありがとう、そう言ってくれて。いつか息子が遊びに来たら、仲良くしてやってほしいな」
一護はその日一番の嬉しそうな笑顔で、「もちろん!」と何度も頷いた。そんな弟を見て、一花は静かにため息を吐きながら、やれやれといった様子で微笑んだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます