第7話 教えてほしいこと

 「先生。実は俺、来年の春に主演ドラマ決まっててさ。」


 春輝がそんな事を言ったのは十月のはじめだった。


 「すごい!頑張ってね!」


 あまり深く聞いてはいけない話な気がして、私はとりあえず応援する。


 「撮影が来月からで、忙しくなりそうで…。」


 そういうことか…。


 「忙しくなっても、日程は調整するから、先生にはこれからもお世話になるけど、これから大変になるなと思って…。」


 珍しく弱気なことを言うではないか。


 「なにか不安なことでもある?」


 「別に…。そういうのはないけど。」


 「じゃあ、今日も勉強始めるよ!」


 前期期末で一番点数が危なかった古典のプリントを渡す。


 「古典は単語をインプットするのが一番重要だよ。英単語よりずっと少ない量で点数に繋がるから、頑張って覚えようね。」


 「はーい…。」


 彼は無事に問題を解き終え、その後の数学のプリントもサクッと片付けた。




 「じゃあ、これで終わり。質問ある?」


 私がそう尋ねると彼は少し間をおいて答えた。


 「質問じゃないけど、練習したいことがあって…。」


 「数学でも、英語の演習でも、私にできることなら任せて!」


 彼は私の言葉を聞くと、立ち上がってリュックの中から薄いテキストのようなものを取り出した。


 「今度、ドラマで主演を務めるって言ったじゃないですか…。」


 「台本か!難しい言葉とかあったの?」


 「難しいシーンで。ちょっとこのシーン読んでもらっていいですか?」


 内容は要するに恋愛もの。春輝が演じる主人公に幼なじみのヒロインが余命宣告されるというありきたりなヤツだ。


 


 『ちょっと待ってよ!』


 『もう十分に待っただろう。それにお前、顔赤いぞ?』


 『うるさいな…。』


 そうして主人公とヒロインはキスをするようだった。


 

 「すごいね!結構ちゃんとしたドラマじゃん!」


 「先生におしえてもらいたいです。」


 春輝はそんなことを言った。

 

 「俺、事務所に入ってから…。そもそも恋愛したことなくて…。そんなやつにこのシーンが務まるわけないと思いませんか?」


 言いたいことの主旨は想像がついた。だから私は、あえてなにも言わずに春輝の瞳を見つめた。 

 

 「彼氏いたことあるんですよね?教えてください…。僕に…。」 

 

「ちょっと待ってよ!」

  

 そう言ってすぐに、自分が犯した過ちに気が付いた。 

 

『もう十分に待っただろう。それにお前、顔赤いぞ?』

 

 そう来るよな。わかってる。 

 セリフを口にした春輝は、いつもの春輝じゃなかった。ステージに立つときの、カメラを向けられた時の、アイドルの春輝だった。 

 

 でも、どこかに私の知っている春輝の面影が残っていた。あの悪い少年と、役に入りきって震える瞳で私を見つめる青年は同一人物か。 

 

 自分が物覚えが良いことが、まさか裏目に出るなんて。 

 

 「うるさいな…。」 

 

 他に言う事はあるはずなのに、気が付けばそう答えていた。 


 次の瞬間、春輝の唇が私の唇に触れていた。 

 

 「っ…。」

 

 声を出してはいけないと思い、目をつむって手を握り堪える。 


 なんだ、恋愛したことないって言ったっくせに。

  

 うまいじゃんよ。キス…。 

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