洞窟⚠️閲覧注意⚠️津波を想起させる描写があります。

 頬にパラパラと水滴が降り注ぐ、見上げればまだ幼い顔立ちの姉が、土煙にまかれながら地面を見下ろしている。


――しせらっ、急いで。もうお父もお母も間に合わない。ひさごを連れて逃げてっ。


――なるべく高く遠くに登るんだぞ。決して振り返っちゃならん。


「ごめんね、ほんとごめんなさいっ」


轟々と海鳴りがこだまして、こちらを目掛けて何かがやって来る。


――すまんが、誰もみな厳しいんだ。食わせてやる余裕はない。出てっとくれ。


「はい……今までありがとうございます」


姉は愛想笑いが得意になった。いつもニコニコ、ニコニコとしていなければ、誰も大事な井戸水を分けてはくれないからだ。


足手まといの弟を抱え、たった二人で洞窟暮らし。海女として身を立てようにも、その日一回の食料分捕れれば良い方で、ほとんどは流れ着いた海藻や、岩辺にへばりついた巻貝を分け合ってかじり、終わることの無い飢えをしのぐ。


「じゃあ潜りに行ってくるね。いい子でお留守番するんだよ」


「うん、しせら姉。気を付けて帰ってきてね」


 姉はザブザブと沖合まで泳いで、とうとう姿も見えなくなった。俺は俺で浜辺を行ったり来たりして、何とか少しでも食べられそうな物はないか、見付かってもそうでなくても、とにかく延々と探し続ける。でも暗くなる前には洞窟へ戻って、火起こしをして待っていなくっちゃ。


「遅いなあ……大丈夫かなあ…………ヒッ、風の音風の音……」


たった一人で居るから怖いんだ。この燃え滓で、洞窟の壁に画を描こう。頭と体と手足、髪の毛、描きたい顔は一人しか居ない。


「ねえすごいでしょ。しせら姉、これぜーんぶ、おれが一人で描いたんだよ」


「本当だあ。ひさごの画、とっても上手。もっと見てみたいなあ。潮が冷たくても、大時化でも絶対。へっちゃらで帰って来れるよ」


姉が褒めてくれる。喜んでくれるのを言い訳に、食料探しのついでとはいえ、色のついた石ころや、食えもしない貝殻を拾うようになった。最後に樹液も採ってから、夕暮れ時になって慌てて洞窟へ戻り、砕いて混ぜ混ぜして絵の具をこしらえ、手で壁に塗りたくる。その間も姉は働いているのに――よくもまあ、叱られなかったものだ。


「やあ君、ちょっと教えてくれないかい」


浜辺でいつもの食料探し中、全然知らない男が、俺の目の前に屈んで顔を覗き込んで来た。周りに船は全然居ない。どこも濡れてないし、夏なのにちゃんと着込んだ服装、これでよそから流されて来た漁師の線は消える。井戸水の貰い先、すこし離れたひなびた漁村では、こんな人見たことない。つまりは、


「うわあああああ、こっち来ないでっ。誰か助けてーっ、人さらいが居る」


「えっ、どこだ。どこにいるんだ」


すっとぼけやがって。結局義兄に収まったけど、あの時あの浜辺には、俺とアンタ以外誰も居ないだろ。俺が放り出した食料その他を届ける腹積もりで、洞窟まで追いかけて来られたと気付いた時には、生きた心地がしなかった。



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