掌中

 男は首だけ横を向き、後ろの代吏だいりをちらと見た。


「爺さん、こいつは貰ってくぜ」


傅役ふえきに異存などありませぬ。煮るなり焼くなりどうとでも」


「おう任せろ。我が乳母にはさんざん世話をかけたからな、今度はこちらがその憂いを取り除かねば」


男は踵を返し、自身の館へと到着した。


「さてどうしたものか。阿諛あゆ、お前火付け以外に何ができる」


「かけっこと、縄跳びなら大得意です」


笑顔で得意げに返され、男は堪らず肩を落とした。


「ハア、問いを誤った。――手先は器用か」


「特別器用とも不器用とも言われたことは無いですが、慣れれば人並みにはこなせます」


「獣を絞めたことは。躊躇は覚えるか」


「狩の手伝いで何度かあります。慣れたので特に何とも思いません。魚をさばくのと同じです」


「まあよかろ、今後こちらの事はあるじと呼べ。お前には調髪と人の正鵠を学ぶよう命じる。領主の傅役ふえきが直々に働かせてやるのだ。恐悦至極に感謝せよ」


「あ、はい」


つい枕詞に一文字入り、その返事が気に入ら無かった傅役ふえきは、気が済むまで延々と阿諛あゆを罵倒した。




 翌日から、阿諛あゆ傅役ふえきの館に出入りする調髪人に師事すると共に、暇さえあれば牢や処刑場にも顔を出すようになった。


「すいませーん、あるじのご命令で首化粧に参りましたー」


 引き取り手の無い者や、糧に乏しく余裕の無い身内の許可を得て、処刑後の身なりを整え、あるいは牢に繋がれた虜囚の散髪を行う。実費は全て傅役ふえきの持ち出しになるが、必要な特訓と称した上、実際そうなので、特に咎められたりはしていない。中には有難がる者も居た。


傅役ふえきは何と慈悲深いお方、阿諛あゆは幸運じゃな」


「はい。でも私は修行中の身ですから。むしろこんな腕前で申し訳ない」




 数年ぶりに出頭を命じられ、恐る恐る傅役ふえきの所へ顔を出すと、庭先で調髪の用意が調えられていた。阿諛あゆが調髪人の師匠に目礼すると、何故か傅役ふえきへ向けてすっと一礼し、その場を立ち去ってしまった。


「切ってみせよ。あれ程大枚をはたかせたのだ。少しは上達したのだろうな」


――うわあ、失敗したら殺される。なんの罠だこれは


 緊張を和らげるため、偉かろうが何だろうが、刑場の露と消えた人々に違わぬと念じ剃刀を入れつつ、手探りで会話の糸口を探す。


「こんな遠回りしなくたって、あるじは側仕えの傅役ふえきでしょう。領主と懇ろになればよろしいのでは」


醜夫しこおが生意気申すな。まだお小さいのに無体を強いるなどあり得ん」


「いったい何を強要するのですか、昵懇の仲になるだけなのに」


「……意外と手つかずなのか」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る