杼媛

 もう恥も外聞もかなぐり捨てて、すぐ横に座る義兄の腰に飛び付いた。期待どおり抱きしめ返してくれたので、少しだけ安心した。


「あー、よしよし。ひさごは偉いな~、よーく頑張った。ずっと我慢してたじゃないか、怖かっただろう、私の義弟は大したやつだ」


「ま、泣いて当然の結果でしょう。よいよい、無礼講じゃ。この海媛うみひめが保障する」


俺が泣きつくしてから少し落ち着いた頃合いを見計らって、義兄は炊事場へと戻って行った。


「申し訳ございません。情けなくも取り乱し、お見苦しい姿を見せてしまいました」


「別によい。あれは無礼講、休んで身動きが取れるようになったのなら、本題はここからです。わたくしに付いていらっしゃい」


 海媛うみひめの後ろをトボトボと歩き、宮殿内を移動する。すれ違う使用人は皆一礼して去っていくが、全員から向けられる好奇の目は隠せない。そのまま庭に出て桑の木の間を抜け、カタコトカタコトと音が鳴る建物に入ったら、まだ妙齢の女人が機織り機の前に座り、どこか儚げな風情を漂わせていた。彼の女は海媛うみひめが近付くとこちらを振り向き、あどけない笑顔を見せた。


「まあ、姐さま。もう引っ張って来るなんて。相変わらず雷さまの様、くわばらくわばら」


杼媛とちひめこそ、減らず口を叩く暇があったら、睦言でも磨きなさいよ」


「なんと無礼なお言葉。世が世であれば、さぞあたくしを憐れんで下すったでしょうに。ヨヨヨ」


「ええごもっとも。杼媛とちひめのご父兄には感謝しなくては。我らが長上おさがみに寝返って下すって、ありがたや、ありがたやとね」


「もう、姐さまのいじわる。霧彦きりひこもそうお思いでしょう」


上目遣いに見つめられ、それ自体は蠱惑的な仕草なのに、こちらを見透かす様な瞳に冷や汗が流れた。


「……特段そうは思いません」


「ムムム、まあよいです」


「お喋りも程々にしましょう、霧彦きりひこを呼んだのは他でもない。わたくし達ひめの内情を知ってもらう必要があるからです」

 


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