第29話:8月24日(月)かわずちゃんと私はずっと友達です

 ラジオ体操も最後の日となると参加者が多いです。


 最初の日よりも多いんじゃないかなってくらい人がいました。


 神社の境内いっぱいに広がってみんなでラジオ体操をしました。


 いつも通りの朝が始まった感じがしたけど、このいつも通りは今日でおしまいです。


 神主さんにスタンプを押してもらって、小学生はお菓子を一つずつもらいました。


「なっちゃんにはこれを」と、私はお魚の形をした棒付きキャンディーを二本もらいました。


 なんとなくそれはかわずちゃんといっしょに食べようと思って、開けずに持って帰りました。


 うちに帰るとお姉ちゃんがちょうど起きたところで「おはよう、なっちゃん」とあくびをしながら言いました。


 私は「おはよう、お姉ちゃん!」と元気に返事をしました。


 二人で洗面所で顔を洗ったら、「がんばってね」とお姉ちゃんにウィンクしてもらいました。


 お姉ちゃんの高校は三十日まで夏休みなのでまだあと一週間あります。


 うらやましいけど、早く学校に行きたい気持ちもあります。


 夏休みに入る前はあんなに「学校に行かなくてもいいんだ!」って思ってたけど、やっぱり私は学校も好きです。


 ご飯を食べたらいつものようにピアノの練習をしました。


 学校が始まるからか分からないけど、やる気があふれていてすごく集中できました。


 その後は『Nate The Great』をぜんぶ読み終えました。


 まさかアニーの絵があんな理由で隠れていたとは思わなかったです。


 私も今度図工の時間に絵を描いたら、どの色とどの色を混ぜたらどの色になるのか試してみたいです。


 その後、お姉ちゃんが私の部屋に来て英語を教えてくれました。


 絵理ちゃんからもらったテキストを見せたら「いいお友達だね。じゃあ、こうやって進めようか」と毎日のページ分けをしてくれました。


 お姉ちゃんは昨日の夜に国際女子大付属中学の一般試験科目を調べてくれました。


 それによると、五教科と面接の「一般教養コース」、五教科と実技の「芸術教養コース」(ピアノ、絵画、ダンスの三つから一つ選択)、四教科と英語の「国際教養コース」があるそうです。


 一般教養だと五教科それぞれ百点満点の五百点ですが、国際教養コースは英語が二百点で、国語と算数が百点、理科と社会が五十点の五百点です。


 私は国際教養コースを受けることにしました。


 絵理ちゃんは芸術教養コースをピアノで受けるはずです。


 それぞれのコースで合格基準がちがうけど、国際教養コースではとにかく英語ができないと話になりません。


 私は英語をがんばらなくちゃって思ったのですが、お姉ちゃんが言うには「英語はみんなできるから、他の教科、特に国語と算数で差がつくよ」とのことでした。 


 だから、英語ばかりやるんじゃなくて、ちゃんと強みを生かした方法で学びたいと思います。


 お昼はお姉ちゃんが冷やしうどんを作ってくれました。


 午後になってお母さんがお仕事から帰ってきたら、お姉ちゃんは部活に行ってしまいました。


 私はやる気にあふれていたので絵理ちゃんからもらった参考書をやっていたのですが、と中でねむってしまいました。



 気が付くと五時を過ぎていたので、あわてて麦わらボウシをかぶって水筒に水を入れたら水上神社へ行きました。


 まだ夕日にはなっていないけど、太陽はだいぶ沈んでいました。


「かわずちゃん!」


 境内に入って呼びますが、かわずちゃんの姿はありませんでした。


 きっとあそこだろうと思って、私は神社の裏手に回りました。


「なっちゃん。よく来たね」


 そこにはカエルのこま犬がいて、縄の巻かれた空っぽの木が立っていました。


 かわずちゃんはカエルの間に立っていて、私に手を差し出しました。


 私はその手を取って、岩に囲まれたキレイな池のほとりに歩いていきました。


 周囲はぼんやりとうす暗く、晴れていたはずなのに空は黒くて見えませんでした。


 池の中には金魚が二匹泳いでいました。


 それはもしかしたら、夏祭りでとってきてかわずちゃんにあげた金魚かもしれません。


「このお水、きれいでしょ?」


 かわずちゃんが池を見て言いました。


「うん、すごくキレイ」


「その水筒のお水を私にくれたら、代わりにこのお水を入れてっていいよ」


 私は言われた通りかわずちゃんに水筒を渡しました。


 すると、かわずちゃんはふたを開けて一回も息つぎしないで水をすべて飲み干してしまいました。


「すごいね、かわずちゃん、水泳もすごく得意なんじゃない?」


「泳ぐのは好き。得意かは知らない」


 かわずちゃんはそう言ってしゃがむと、池に水筒を入れました。


 トプトプという音が楽しくて、私もとなりでしゃがんで水が入っていくのを見ていました。


 やがて水筒がいっぱいになって、トプンッと最後の泡が出ました。


 かわずちゃんはふたを閉めながら言いました。


「なっちゃんは夏休み、楽しかった?」


「もちろんだよ!」


「こわいこととか、変なこともあったのに?」


 かわずちゃんは見てきたような口調で言って立ち上がりました。


 辺りからカエルの鳴き声がいくつも聞こえ始めました。


 スッと暗さが増していき、夜みたいになりました。


「たしかにそういうことはたくさんあったよ……でも……」


 私は座って池を見ていました。


 池の水はすんでいて、月明かりもないのにぼんやりと光っていました。


「今はぜんぶ、夏休みの思い出って言えるんだ」


 私はかわずちゃんを見上げて笑いかけました。


「今までで一番ドキドキして、ワクワクした夏休みだったなぁって」


「強いのね、なっちゃんは」


 かわずちゃんはスッと目を細めました。


 何となくだけどかわずちゃんがすぅーっと離れていってしまうような感じがしました。


 その表情に心の距離みたいなものを感じてしまったのです。


「そんなことないよ! きっとね、かわずちゃんのおかげなんだ」


 だから私は立ち上がって、かわずちゃんに伝わるように空いてる方の手をにぎって言いました。


「私の、おかげ……?」


 かわずちゃんの目がぱぁっと大きく開きました。


 私は首元の鈴を外して、かわずちゃんの手のひらにのせました。


「こわいことがあったらこれをにぎっていたの。そしたらいつも鈴が鳴って、私を助けてくれたんだ」


 私はかわずちゃんに顔を向けて、その目をしっかりと見ました。


 初めて会った時からかわずちゃんと目を合わせるとい和感がありました。


 その正体がこれまではなぜか分からなかったけど、ようやくその時に分かりました。


 かわずちゃんの黒目は縦に割れているのでした。


 そして、ぐるりと回って横割れになったりもします。


 まるでyoutubeで見たカエルの目のようでした。


「いつもつけてたの。お風呂の時も、寝ている時も。かわずちゃんがくれた鈴とずっといっしょに夏休みを過ごしてたんだ」


「いっしょに、夏休みを……」


「そうだよ。私、かわずちゃんのこと全然知らないし……正直ね、こわいって思ったこともあったけど……」


 いつも着物をきていて、色んなところに現れて、たまに不気味なことも言う、不思議な女の子。  


「だけど、そんなの、どうでもいいの」


「どうでも、いいの?」


「うん。だって、私、分かるもん」


 かわずちゃんの目玉がぐるりと一回転しました。


「かわずちゃんはいつも私といてくれた。不思議だけど、絶対そう」


 どんなに仲の良いお友達だって、夏休み中いっしょにいることはないでしょう。


 おうちでも、旅行先でも、一人の日でも、いつでもいっしょにはいられません。


 だけど私たちはいっしょにいました。


 引っ越した先の八蛇町、小学生最初で最後の夏休み。


 半年前はお友達もいなくて大丈夫かなって不安もありました。


 でも、それも昔のことです。


 今年の夏休みは最高でした。


 それはみんなのおかげです。


「二人で過ごした夏休み、楽しかったね!」 


 かわずちゃんは目玉をぐるぐる回して、最後にピタッと止めました。


「……ええ、とっても」


 そして、照れたようにうつむいてから、ニヤリと笑って言いました。


「なっちゃんが今抱えている願い。私に言えば叶うわよ」


 それは多分、受験のことでした。


 かわずちゃんの口は三日月みたいにぱっくりとさけていました。


「これだけのものをもらったのだもん。お返しに、何でも一つお願いを叶えてあげる」


 どういうわけか、かわずちゃんの言っていることは真実だと分かりました。


 お願いすれば、本当に何でも叶う気がしたのです。


 受験の合格や、それ以外のことぜんぶ。


「じゃあ一つ、お願いしてもいい?」


 するとかわずちゃんは「ゲコッ」とノドを鳴らしました。


「何でも言って、なっちゃん」


 私はかわずちゃんの両手をキュッとにぎって言いました。


「これからも、私とお友達でいてください!」


 かわずちゃんは笑顔のまま、ピタッと固まってしまいました。


 聞こえなかったのかなと思って、もう一回「これからも、私とお友達でいてください!」と言いました。


 かわずちゃんの口角がぐぐぐって下がって、笑顔からあせっているような表情に変わりました。


「そ、そんなことでいいの?」


「えっ、ダメなの?」


 断られちゃうのかと思って私もあせってしまいました。


「ダメじゃないけど……でも、もっと他にあるでしょう?」


 かわずちゃんが取り乱すのを私は初めて見ました。


「受験とか、富とか、健康とか……スポーツだってできるようにしてあげるし、恋だって叶えてあげるのに!」


「うーん……でも、それは自分で叶えるよ」


 誰かの力で合格にしてもらったり、お金をもらったり、恋を叶えたり、そういうのは私はいらないなって思いました。


 そんなズルして手に入れた成功は、本物ではないと思います。


 成功するかどうかは別として、自分でがんばるからきっと何事にも意味があるんです。


 私はそのことを、周りのみんなを見ていて強く実感しました。


「だからかわずちゃん。私とこれからもお友達でいてください。私はそれだけで満足だから」


 かわずちゃんはぐるりと目玉を一回転させて、「ええ、分かったわ」と言いました。


 私は「あっ、そうだ!」とポケットからお魚の形をした棒付きキャンディーを取り出しました。


「これ、あげようと思ってたんだ」


「ありがとう、なっちゃん」


 かわずちゃんはキャンディーと交換で水筒を返してくれました。


「なっちゃん……なっちゃん……」


 かわずちゃんは私の名前を呼びながら、池の中に入っていきました。


「かわずちゃん?」


 止めるべきなのか分からなくて、私は岩の上からかわずちゃんを見ていました。


 かわずちゃんは光る池の真ん中くらいまで行って振り返りました。


 こしの辺りまで水につかっていました。


「なっちゃん……どうか、そのままでいてね」


 かわずちゃんはそう言って両手を広げました。


 すると、かわずちゃんの着物に描かれていたおたまじゃくしが急成長してカエルになり、次々に池の中に跳び込んでいきました。


「私はずっと見守っているわ」


 衣服の糸がほどけていくように、かわずちゃんの姿がゆっくりとあいまいになっていきました。


「かわずちゃん!」


 どうしたらいいのか分からなくて、私はかわずちゃんの名前を呼びました。


「なっちゃん。私たち、ずっとずっと、お友達よ」


 かわずちゃんは最後に「げこっ」とノドを鳴らして、はらりと消えてなくなりました。


 夢から目が覚める時のように、すべての景色がうすれ、気が付くとどこにもキレイな池はなくなっていました。


 空は紫色をしていて、太陽はもう沈んでしまったようでした。


 大きな木も、カエルのこま犬も、かわずちゃんも、何もかもが見当たりませんでした。


 そこは神社の裏手でしかなく、砂にうまった岩に落ち葉が何枚か重なっているだけのさびしい場所になっていました。


 私は水筒のフタを開けて中を見ました。


 そこにはとう明な水が入っていたけれど、あの池の水かは分かりませんでした。



 神社の表側に回ると神主さんが立っていました。


「なっちゃん。鈴は返してきたんだね」


 神主さんは優しい笑顔を浮かべていました。


「……はい」


「もうすぐきっと雨が降る。ぬれる前に帰りなさい」


「分かりました。おやすみなさい」


「はい、おやすみ」


 神主さんに見送られて、私は神社を後にしました。



 おうちについて玄関のドアを開けようとすると、ポツポツと雨が降ってきました。


 それは静かで、少し冷たい、夏の終わりを告げる雨でした。


 うちに入ったら荷物を下ろして、部屋から参考書とパンフレットを取ってきました。


 リビングにはお姉ちゃんがいて、英語の本を読んでいました。


 お父さんが帰ってきたところで、私はお母さんをリビングに呼びました。


「もうちょっとでご飯できるのに、どうしたの?」


 エプロン姿でやって来たお母さんは、テーブルの上のパンフレットを見て固まりました。


「どうしたんだい?」


 手洗いとうがいをすませたスーツ姿のお父さんがろう下からお母さんに声をかけました。


「二人とも、なっちゃんから話があるから座ってよ」


 お姉ちゃんの言葉に、二人は顔を見合わせてうなずきました。


 お母さんはエプロンを外して、お父さんは上着を脱いで、私の正面にこしかけました。


「私、お願いがあるの」


 二人は私をじっと見つめています。


 お姉ちゃんはとなりにいて、私のこしに手を当ててくれていました。


「あの、私ね……私……」


 あとちょっとの勇気が出ませんでした。


 一言発するだけなのに、すごく時間がかかってしまいました。


 お父さんとお母さんはじっとだまって私を見つめていました。


 こんな時にかわずちゃんのくれた鈴があったら、と思いました。


 だけど、あれはもう返してしまったのです。


 だから、自分でがんばらなくちゃいけないんだと思いました。


 私は今、一人でした。


 一人で目をつむってイスに座っていました。


 なっちゃん、がんばれ。


 どこかから、そんな声が聞こえてきました。


 この夏休みの出来事が、頭の中をジェットコースターみたいによぎっていきました。


 なっちゃん、がんばれ。 


 ちがう、と思いました。


 私は一人じゃありませんでした。


 この夏休みが楽しかったのはみんなのおかげ。 


 私は一人じゃないんだと思ったら、胸のおくが熱くなりました。


 私は大丈夫。 


 思い出たちが、私に勇気をくれました。


「私、国際女子大付属中学を受験したいの!」


 言った!


 言った!


 私はおそるおそる目を開けました。


 そこには二つの笑顔がありました。


「いいんじゃない?」


 お母さんがそう言って、私の左のほっぺたに触れました。


「うん。応援するよ」


 お父さんも手を伸ばして、私の右のほっぺに触れました。


「よかったね、なっちゃん!」


 お姉ちゃんが私の頭の上に手を置いて、くしゃくしゃってなでました。


 目にナミダが出てくるのが分かったけど、私は笑顔で「ありがとう!」って言いました。


 私たち家族は、夏休みの思い出を語りながらご飯を食べました。


 受験の話はご飯の後でして、二学期から塾に通うことに決まりました。


 ピアノはやめてもいいって言われたけど、続けることにしました。


 きっと大丈夫。


 三人とも私を信じてくれているんだなって伝わってきました。


 お姉ちゃんとお風呂に入ってから、お母さんと明日の登校の最終チェックをしました。


 おやすみを言ってお部屋にもどり、この日記を書きました。


 長いようで短かった夏休み。


 色々なことがあったけど、最高の思い出ができました。


 終わっちゃうのはさびしいけれど、新しい明日が楽しみです。


 ありがとう、夏休み。


 またね、夏休み。


 私は夏休みが大好きです。


 みんなのことが大好きです。


 夏休み。


 ゆっくり、おやすみなさい。



 八蛇小学校 六年三組 二十九番 辰巳 夏

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なっちゃんの不思議な夏休み日記 洲央 @TheSummer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ