第20話:8月15日(土)帰ってきました

 昨日は書き切れないくらい色々なことがありました。


 今は十五日の昼間だけど、昨日の夕方に家を出てからあったことを思い出せるだけ書いていきます。


 今日の午後はおうちに帰るだけなので、何かあったら明日書けばいいかなって思います。


 とにかく、昨日のことを忘れないうちに書いておきます。


 自由研究にも、自分が実際に体験したことを書いておけば分かりやすくなっていいと思います。



 昨日は、四時になったら美里ちゃんとお祭りに出かけました。


 食いちがい四辻のところまで来たら、美里ちゃんがすみれちゃんを呼びに行きました。


 私も美里ちゃんを追ってくねくねした農道に入りました。


 すると、行く手の角からだれかが顔を出しているのが分かりました。


 でも、その顔はこちらに後頭部を向けていて、私のひざくらいの高さからひょこっと真横に向かって突き出ています。


 しかも、首の骨がないみたいにぐにゃりと首が九十度上に曲がっているのでした。


 すごい勢いで寝ちがえたみたいですが、笑えません。


 かみの毛の感じから私と同じくらいの年の女の子だと思うのですが、どうにも判別がつきません。


 声をかけるべきか、私はなやみました。


 なぜなら、なぞの顔の角度と高さが、さっちゃんの家を訪ねて迷いこんだ変な家で見た"あれ"とそっくりだったからです。


 あの首の方から下は大蛇にのまれているのでしょうか。


 私を追ってここまでやって来たのでしょうか。


 今にもくるりとこちらに振り向いて、耳までぱっくり割れた赤い口で私の名前を……


「なっちゃん」


「きゃあっ!」


 突然横から名前を呼ばれて飛び上がってしまいました。


 顔を向けるとさゆりちゃんがおうちの方から下って来ていました。


「さゆりちゃん……」


「どうしたの、そんなにおどろいて」


 視線をもどすと、あの顔はもうどこにもいませんでした。


「おーい、なっちゃん!」


「あっ、二人もちょうど来たみたいね」


 さゆりちゃんがそう言って手を振りました。


 私は美里ちゃんとすみれちゃんが来たら、今見た変な顔のことを話しました。


「おかしいわよ、それ」


 さゆりちゃんは胸の前でうでを組んで言いました。


「だって、私は上から来たけど棚田にそれらしい人はいなかったわ」


「私らも見てないぞ。もしそこにだれかいたなら、私たちとはち合わせたはずだ」


 すみれちゃんもそう言って首をかしげました。


「日の加減で石のカゲが顔に見えたんじゃない? ほら、この村の道って曲がりくねってるから、変な風にカゲが落ちるもの」


 美里ちゃんの意見でその場は収まりましたが、やっぱりなぞの頭の件は胸につっかえて残りました。


 蛇行川を渡って村内に入ると、五年生以下の子どもたちがおみこしを担いで村中を回っている声が聞こえました。


 太鼓や笛の音も鳴っていて、いかにもお祭りという感じがします。


 でも、八蛇町のお祭りとはちがって屋台とかは出ていません。


 村役場のちゅう車場で冷たいジュースを売っているのと、学校のグラウンドで低学年の子たちが「お野菜実習」の収かく物を売っているくらいです。


 観光客を呼ぶようなお祭りではなく、あくまで祖先を敬い、村のはん栄を願う内内のお祭りだと資料には書いてありました。


 だから、やることのない六年生は浴衣姿で蛇行川のかばね河原に集まって、まだ明るいのに手持ち花火で遊ぶのが伝統でした。


 私たちもその例にもれず、ジュースを買ってかばね河原に行きました。


 男の子たち五人がすでに来ていて水切りをやっていました。


 花火は実家が商店の正一くんがたくさん持ってきてくれました。


 バケツに水をくんだらさゆりちゃんが提灯のロウソクに火を点けたのを合図に、みんなで手持ち花火を始めました。


 すみれちゃんや順太郎くん、三郎太くんは花火を両手に持って振り回して文字を書いたりしていました。


 カケルくんとハルキくんは地面に置くタイプのものをいくつも同時に点火して、その間を走り抜けていました。


 私と美里ちゃんとさゆりちゃんは手持ち花火をながめながらおしゃべりしました。


 正一くんが打ち上げタイプを持ってきて火を点けると、みんなで離れて見上げました。


 最後の線香花火は九人で固まって、火球を落とさないように耐久レースをしました。


 じっとしているのが上手い美里ちゃんと正一くんがいつも最後まで残っていました。


 花火をぜんぶやってしまったら、みんなは思い思いのことをやり始めました。


 正一くんはゴミを家に持ち帰りました。


 さゆりちゃんと美里ちゃんは土手のお花で花輪作り。


 元気な順太郎くん、三郎太くん、すみれちゃんは水切り。


 私とカケルくんとハルキくんはそれぞれのおうちの話とか、学校の勉強の話をしました。


 そして、六時になるちょっと前に順太郎くんがクジを忘れたと言って家に帰りました。


 逃げたら困るからとすみれちゃんもそれについて行きました。


 他のみんなは一足先に神社へ向かうことにしました。



 これから大人にナイショで八蛇巡りをするのだと思うと胸がドキドキして、だれも一言もしゃべりませんでした。


 拝殿を参拝してから裏の石段を上り、ついに本殿の鳥居をくぐりました。


 拝殿の周囲は学校の体育館くらい広くて明るかったけれど、本殿の周りはその半分くらいの広さでけっこう暗くなっていました。


 大人たちが本殿の東側の蔵と社務所のあたりで何かをやっていたので、西回りで裏に回りました。


 岩カベを削って作られた階段を上って稲荷社を通り過ぎたら、学校の教室くらいの広さの空き地に出ました。


 行く手には太い二本の杉が地面から三メートルくらいのところでお互いに寄りかかって一本になった「首元杉」がありました。


 トンネル部分には縄が張られていて、ひらひらした白い紙がいくつか垂れ下がっていました。


 本殿では神楽が始まったようでした。


 十五分くらいみんなでその音を聞いていたら、順太郎くんとすみれちゃんが早足でやって来ました。


「悪い悪い、さあクジを引いてくれ」


 メモ帳をくしゃくしゃにひねった紙がビニール袋に入っていました。


「クジは引いたか? 見るぞ? せーの……」


 順太郎くんのかけ声に合わせて、みんな引いた紙を開きました。


「一番! すみれは?」


「あたしも一番……ちぇっ、順太郎とかよ」


 すみれちゃんと順太郎くんが一番手。


「二番の人?」


「私、二番。よろしくねハルキくん」


「よろしく美里」


 ハルキくんと美里ちゃんが二番手。


「私は三番ね」


「……僕だ。さゆりさん」


 さゆりちゃんと正一くんが三番手。


「私は四番!」


「僕も」


「ってことはオレが二人のお守りかよ~!」


 帰省組の私とカケルくん、すばしっこくて生意気な三郎太くんが四番手。


 組み合わせが決まったところで、美里ちゃんがカバンから長い糸を出しました。


 そして、大体二メートルくらい間かくをあけて、先頭の子と後ろの子の左手首を糸で結びました。


 私たちは三人組なので三郎太くん、私、カケルくんという順番でした。


「七つのイマシメを忘れないでね」


 つなぎ終えると、各チームに懐中電灯が分配されました。


 準備が整うと、さゆりちゃんは「かしこみかしこみ……」と唱えながら首本杉に向かって二礼二拍手一礼をしました。


 すると、他のみんなも同じようにやり始めたので、私とカケルくんも急いで真似しました。


「それじゃあ、竜胆を持って待ってるぞ」


「みんなも気を付けてね」


 まず一番手の二人が首本杉をくぐって、一番左の道に消えていきました。


 五分経ったら二番手の二人がそのとなりの道に消えていきました。


 もう五分経ったら三番手の二人が、二本開けて左から五本目の道に消えていきました。


「オレたちはどうする?」


 三郎太くんが残り三本の道を指さしました。


「どこでもいいよ。なっちゃんは?」


「私は……」


 三本の道を見ると、何となく真ん中がいい気がしました。


 一番右もよさそうです。


 だけど、左の道は何かよくない感じがしました。


「まっ、オレが選んじゃうけどね~!」


 真ん中と言おうとしたら、その前に三郎太くんが首本杉をくぐって一番左の道に進んでいってしまいました。


「……行こうか」


「そうだね」


 私たち二人も乗り気はしませんが、糸が切れないように後に続きました。


 私以外の二人は懐中電灯を持っているので、二人で一つしか持っていない他の組よりも道は明るいはずです。


 それなのに、首本杉を越えたところからものすごく暗くて、懐中電灯も足元しか照らしてくれないのです。


「曲がりくねってるし、木と木の間隔が短いからね」


 カケルくんは冷静だけど、先頭の三郎太くんは「ちっ、暗いんだよ……ったく……なんで俺がお守り……」とぶつぶつ文句を言っています。


 頭上まで木でおおわれていて空はまったく見えません。


 足元が照らされている以外は、以前旅行先のお寺で体験した「胎内巡り」に似ています。


 これは真っ暗な地下道をカベに沿って進むだけでしたが、八蛇巡りは坂だし、曲がっているしで、ずっとこわいしつかれます。


 五分くらい歩いたところで、カケルくんが少しペースを速めてきました。


「どうしたの? 速いよ?」


 振り向かないように気を付けながらカケルくんを制すると、彼は「……二人は感じない?」とよく分からないことを言いました。


「何を?」


「……気のせいかな」


 カケルくんはだまってしまいましたが、私は七つのイマシメの一つ目「気配が追って来ても、竜神池までは決して振り向くな」を思い出してしまいました。


 また五分くらい歩くと、やっぱりカケルくんが距離を詰めてきました。


「どうしたの?」


 三郎太くんに知らせつつ立ち止まって、前を向いたまま問いかけます。


「やっぱり気のせいじゃない……だれかが後をつけてる」


「ビビってんのか? オレたちが最後なんだから、だれもいるわけねえだろ」


 三郎太くんはバカにしたように鼻を鳴らしました。


「動物かもしれないよ」


 私がそう言うと、三郎太くんは「オレの父ちゃんは村で一人の猟師だ。だからオレも動物なら分かる。だけどほんとに何も感じねえんだよ」と少し真面目な声で言いました。


「三郎太くんのことは信じてるよ。でも、お願いだから順番を変わってくれ」


 カケルくんの声があまりにも真剣なので、三郎太くんも私も「イヤ」とは言えず、先頭と最後尾が入れ替わることになりました。


 また歩き始めて五分くらい経った頃、三郎太くんが小声で「なっちゃんは何も感じないんだな?」と聞いてきました。


「感じないけど……まさかだれかいるの?」


「ああ、いる。カケル、ごめんな。オレがビビってたわ」


 三郎太くんが素直に謝ったので私はちょっとびっくりしました。


「気にしてないよ。それより何が追ってきてる? 大人か?」


「分かんねぇ……山じゃこういう変な気配はよくあるけど、これは初めての種類だ」


「さ、三郎太くん、私たちおそわれちゃうのかな?」


「イマシメ通りなら振り向かなきゃ大丈夫だろ。任せとけ、オレは仕事柄こういうのに慣れてっから」


 三郎太くんはそう言って懐中電灯をチカチカと点めつさせました。 


「分かった。とにかく先を急ごう。もうニ十分は歩いたし、あと半分もないだろ」


 カケルくんの言葉にみんなうなづいて再び動き出しました。


 ……い……おぉ……ぃ……


 ふと、どこからか人間の声が聞こえてきました。


 耳をすましてみると、その声は私たちの左側からひびいてきていました。


 ……おーい……おーい……


 そっちにはさゆりちゃんと正一くんがいるはずです。


 もしかしたらケガでもして、正一くんが助けを呼んでいるのかも。


 そう思って「ねぇ、二人とも……」と声を出すと、三郎太くんが「ありゃちげぇ」と言いました。


「正一は生まれつきノドが悪いからあんなひびく声は出せねぇ。もちろんさゆりさんでもない」


 じゃあ一体だれが。


 その疑問は言ってもムダだと分かっていたので口にはしませんでした。


 これだけ木と木が密集している中で子どもが声を出しても、あんなにひびくわけはありません。


 すみれちゃんや順太郎くんなら声も大きいし可能性はあるけど、私たちとは一番離れた道を歩いているのできっとムリでしょう。


「ムシして進もう。どうせ風か、神楽のやまびこだよ」


 カケルくんの言葉は明らかに気休めだったけどありがたかったです。


 五分ほど呼び声を聞きつつ歩いていくと、ついに行く手が開けてきました。


 近づくにつれて月に照らされた竜胆の花が見え、そこが竜神池であると分かりました。


 これまでの暗さがウソのように、竜神池の周囲は青い光に満ちていました。


 まだ、私たちの他にはだれの姿もありませんでした。


 ぽっかりと頭上が開けている大きな丸い空間にはひざ丈の草が生い茂っていて、中心にお月様を映した池がありました。


 広場は体育館くらいで、池は小体育館くらいの広さだったから、バスケットコートなら二面と一面って感じです。


 池の中には竜胆が咲きほこる浮き島があり、真ん中にぽつんとほこらがありました。


 細い道から出て広場に足を踏み入れると、みんな「はぁ~」とか「あぁ~」とか言って伸びをしました。


 竜神池についたので、もう振り向いても大丈夫。


 三郎太くんにお礼を言おうと振り向くと、私たちが通ってきた道が木々の中に消えていて、もうどこから来たのか分からなくなっていました。


「なっちゃん、よくがんばったな。カケルも。普通はこわくて引き返しちゃうぜ」


「三郎太くんこそ、後ろありがとね。カケルくんもおつかれさま。二人のおかげだよ!」


「じゃあ三人ともすごかったってことだね」


 コブシをぐっと合わせて、私たちは竜神池のほとりまで歩いていきました。


「それで、どうやって渡ろう?」


 とう明な池の底は深く、夜ということもあって泳ぐのは無理そうです。


「舟を探してみよう」


 手分けして草原を見て回ると、木の板を見つけました。


 私はうでを組んで木の板と島を交互に見つめました。


 すると、島とほとりの間にポツンと小さな岩が頭を出しているのを見つけました。


 私は「おーい、手伝って!」と二人を呼んで、木の板を持ち上げてもらいました。


「この長さなら島まで渡せると思うんだ。見て、あの岩」


 二人はすぐ私の考えを察して、一本目の板をほとりから岩まで渡してくれました。


 板の横幅は三十センチくらいしかありませんが、バランスをくずさなければ十分渡れそうでした。


「カケル、後ろを持て!」


「りょーかい!」


 二人は板を担いで小岩まで渡ると、ゆっくりと板を下ろして島に橋をかけました。


「やったー!」


 私も二人に続いて島に渡り、三人でほこらに参拝しました。


「あとは竜胆を摘んで帰るだけだな」


 三郎太くんがそう言って竜胆を摘もうとした時、私はほこらの後ろでゆれる何か赤い色を目にしました。


「ちょっと待って、ほこらの後ろに何かある」


 三人でおそるおそるのぞくと、ほこらの後ろの水面に美里ちゃんとハルキくんと順太郎くんとすみれちゃんが目をつむってあお向けでしずんでいました。


「美里ちゃん!」


 私はしゃがんで水の中にうでを入れました。


「危ないぞなっちゃん! って、おい……」


 私の帯をさっとにぎった三郎太くんがおどろきの声をあげました。


「今、確かにそこに……」


 私の手は池の底の砂をつかんだだけで、四人には触れませんでした。


 手を水から抜くと、ゆらゆらとゆれる水面が徐々に落ち着いていって、また四人がそこにいるみたいにはっきりと映りました。


「……竜神池にとどまり過ぎてはいけない」


 ふと、カケルくんがそうつぶやきました。


 見ればさっきまで私たちを照らしていた月が雲でかげり出していたのです。


 直感的に、月明かりがなくなる前に竜胆を折ってもどらなければいけないと分かりました。


「ひとまずもどって大人たちを呼んでこよう! なっちゃん、行くぞ!」


 三郎太くんに半ば無理やり起こされ、私は四人に背を向けました。


「行こう!」


 カケルくんが竜胆を折って、三人で橋を渡りました。


 私はどうしても四人が気になって、何度も何度も振り返ってしまいました。


 三郎太くんが「道はここだ!」と見つけてくれた道に踏み入りました。


 続いてカケルくんも片足を入れ「なっちゃん!」とさけびました。


「待って、今行くから……」


 月はもう半分以上雲にかくれてしまっています。


 島から目を背け、私も道に踏み入ろうとした時でした。


 ――カラカラ、カラカラ


 背後から変な笑い声が聞こえてきたのです。


「ヘビの笑い声!」


 振り返ればほこらの前にマリを持ってぞうりをはいた、赤い着物の女の子が立っていました。


「なっちゃん!」


 二人がさけびますが、私はもう道に入る気はなくなっていました。


 心臓がドクンドクン鳴っていました。


「会えるねって言ってた子……赤い着物の、女の子……」


 夢の中で見た時のい和感が、こうして現実で対面するとはっきりと分かりました。


 目の前の女の子は着物の右を前にして着ていました。


 これは普通の着方とは右左が反対で、死んだ人に着せるときの着方でした。


「なっちゃん!」


「行って! 私はお話しすることがあるから!」


 月がいなくなる前に、三郎太くんとカケルくんにはもどってもらわないといけません。


「だけど、なっちゃんを見捨ててなんて……」


 最後のイマシメは「友を見捨てば抜け殻となる」ですが、見捨てなければいいんです。


「お願い! 見捨てるんじゃなくて、私のために先に行ってて!」


 大きな声でそう言うと、三郎太くんが「分かった」とぶっきらぼうに言ってから「でも、すぐ追いついて来いよ! みんなといっしょにさ!」とさけびました。


 カケルくんも「神社で待ってるからな!」と言ってくれました。


 私は「ありがとう。絶対追いつく!」と答えて、左うでの糸をほどきました。


 二人が走り去っていくのと同時に、月が完全に見えなくなりました。


 私は心細いのをがまんして池のほとりまで歩いていくと、「みんなを返して!」とさけびました。


 女の子はニタァと不気味な笑みを浮かべて「やだね、なっちゃん」と言いました。


「どうしてそんなにイジワル言うの! 返して!」


 私は板の橋を渡り始めました。


 女の子はニタニタと笑って私を見つめています。


「返してほしかったら、私と遊んで」


「いいよ! だから返して!」


 私は島に渡って、女の子の前にできるだけ胸を張って立ちました。


 絶対に返してもらうっていう意志を伝えるためです。


「じゃあ、行こうか」


 女の子が私に手を差し出しました。


 その時に気が付いたのですが、女の子の黒目はヘビみたいに縦に割れていました。


「行くって、どこに?」


「ジゴク行き」


 女の子はそう言って私をドンッと押しました。


 私は背中から竜神池の中に落ちてしまいました。


「っは! な、なにするの! ……あれ?」


 水面から起き上がると、そこは竜神池ではなく川でした。


 すぐ近くの河原には小石がたくさんあって、それを重ねて作られた石の塔がいくつもありました。


 対岸は暗くてよく見えません。


 私はひとまず河原に上がりました。


 こしまで水につかっていたのに、体はまったくぬれていませんでした。


「私はかがち。遊ぼう、なっちゃん」


 私の前に立ったかがちちゃんの後ろには、美里ちゃん、ハルキくん、順太郎くん、すみれちゃんが並んで立っていました。


「みんな!」


 声をかけても、だれも反応しません。


 みんなぼーっと対岸の方を見つめて突っ立っています。


 まるで「抜け殻」になってしまったみたいに……。


「なっちゃんはしゃがんで地面を見ていてね。顔をあげたら負けだよ。勝ったらその子を返してあげる」


「……約束だよ」


 私はかがちちゃんの前でしゃがみました。


 五人は左から美里ちゃん、ハルキくん、かがちちゃん、順太郎くん、すみれちゃんの順番で手をつないで私を囲みました。


 顔を下げて地面を見ると、五人は歌いながら時計回りに回り始めました。


「かごめ、かごめ、かごの中の鳥は、いついつ出やる……」


 この遊びでは、歌が終わった時に「後ろの正面」、つまり私の背中に立っている子を当てます。


 なやんで答えないでいると、正面に立った子が「わからない?」と聞きます。


 それでも答えられないと、その子が「わからないならかごの鳥」と言います。


 そして、後ろの正面の子に肩をたたかれたら負けです。


 負けちゃったらたぶん私もみんなみたいに抜け殻にされてしまうのかもしれません。


「夜明けのばんに、へびとかえるがすべった……」


 私は地面に落ちている石に意識を集中しました。


「……後ろの正面だぁれ」


 ジャリッと音がして、五人が回るのを止めました。


 周りがシーンと静かになります。


 私の右ななめ前には誰かの足がありました。


 赤いラインの入ったスニーカーで、マジックで「すみれ」と名前が書かれていました。


「わからない?」


 そのすみれちゃんの答えにかぶせるように、私は言いました。


「ハルキくん!」


 ざわっと空気がゆれました。


「大正解。やるじゃない」


 かがちちゃんがカラカラ笑うと、ハルキくんの気配がすっと消えました。


「もう一回ね。始めるよ」


 地面に視線をもどすと、また歌が始まりました。


「かごめ、かごめ、かごの中の鳥は、いついつ出やる……」


 歌の聞こえ方から、さっきよりも回転が速くなっているのが分かりました。


「夜明けのばんに、へびとかえるがすべった……」


 じゃりじゃりじゃり、四人の子どもが地面をけります。


「……後ろの正面だぁれ」


 音が止まると、私の正面にはだれかのスニーカーがありました。


 名前がないのですみれちゃんではなく、ぞうりじゃないのでかがちちゃんでもありません。


 よく見ると、そのスニーカーは何となく見た覚えがありました。


 この三日間で何度か目にしていた気がします。


 遊んでいる時もだけど、それはうちの玄関にも並んでいました。


 つまりは美里ちゃんのクツでした。


「わからな――」


「——順太郎くん!」


 また空気がゆれました。


「大正解」


 かがちちゃんは少しくやしそうな声でそう言って「ねえ、なっちゃん。最後だからルールを変えない?」と私の肩に手を置きました。


「どんなルール?」


「簡単よ。なっちゃんは答えるまでずっと目をつむるだけ」


 顔をあげると、かがちちゃんはイジワルな笑みを浮かべていました。


 私がスニーカーを見ていたことに気付いたのでしょう。


 私は少し考えてから答えました。


「……いいよ。でも代わりに私のお願いも聞いて」


「なぁに?」


「この勝負が終わってもまだ一人残ってる。その子も返して」


「ええ、分かったわ」


 かがちちゃんは口をぐにゃあとゆがめて笑いました。


「約束だからね」


 そう言って、私は目をつむってしゃがみました。


「かごめ、かごめ、かごの中の鳥は、いついつ出やる……」


 美里ちゃん、かがちちゃん、すみれちゃんの三人はすごい勢いで回り始めました。


「夜明けのばんに、へびと……」


 女の子三人の声が重なって、あらゆる方向からひびいてきました。


 じゃりじゃりと石をける音が、ヘビが舌を出したりしまったりする音に聞こえました。


 まるで頭の上から大きなヘビにすっぽりと飲み込まれてしまったみたい。


 ここは大蛇の腹の中……。


「……かえるがすべった」


 私が負ければみんなは助かりません。


 私は絶対に勝たないといけないんです。


 たとえ目をつむっていても。


「……後ろの正面だぁれ」


 ジャリッと足が止まりました。


 辺りはシーンとしていました。


 だれの息づかいも聞こえません。


「わからない?」


 私の右ななめ前から、ちょう発するみたいなかがちちゃんの声が聞こえました。


 見えてはいないのですが、かがちちゃんがニタニタと笑っているのが分かりました。


「わからないなら――」


「――すみれちゃん!」


 私は大声で言いました。


 少し間があいて「大正解」という声と共に、すみれちゃんの気配が消えました。


 目を開けると、かがちちゃんがすごくくやしそうな表情で立っていました。


「私の勝ち。約束だよ」


 これでみんな助かる。


 私はつい笑顔になってしまいました。


「なんで分かったの?」


 かがちちゃんの質問に、私は「並び順」と答えました。


 一回目からずっと、私は足元の小石を集中して見ていました。


 その石の並びに、この遊びが始まった時の「美里ちゃん、ハルキくん、かがちちゃん、順太郎くん、すみれちゃん」というみんなの順番をあてはめていたのです。


 一回目は私の右ななめ前にすみれちゃんがいると分かったので、あと四人の配置は自動的に分かりました。


 ↓図にするとこんな感じです。


  順   す

    私

  か   美

    ハ


 順番をまちがっているかもという不安もあったけど、すみれちゃんの靴が見えたことで自信がついて、ちゃんと答えられました。


 同じように、二回目はハルキくんがすでにいなくなっていて、美里ちゃんが正面にいたので、順太郎くんが後ろにいると分かりました。


    美

  す 私 か

    順 

 

 四人だと五人の時より分かりやすくて、靴を見てすぐにピンときました。


 最後は右ななめ前にかがちちゃんがいたので、後ろにいるのはすみれちゃんということになります。


 美   か

   私

   す


 三人になったらあとはずっと頭の中で「か、す、美、か、す、美……」と繰り返し唱えていました。


 これで、右からでも左からでも、正面の子が聞いてきたらすぐ分かります。


「私の負けね。またね、なっちゃん」


 かがちちゃんは説明を聞くとうなづいて、美里ちゃんの手を引いて川の方へ去ろうとしました。


「待ってよ! 約束がちがうよ! みんな返してくれるって言ったじゃない!」


 そう言うとかがちちゃんは振り返って、「あと一人返すって言ったのよ。つまりなっちゃん、あなたを返すの」とイジワルな笑みを浮かべました。


「そんなのダメだよ! 美里ちゃんを返して!」


「そしたらなっちゃんが残ることになるよ?」


 かがちちゃんの言葉に、私は家族の顔を思い浮かべました。


 私が帰らなかったらみんな悲しむでしょう。


 だけど、美里ちゃんが帰らなくたって悲しむ家族がいます。


 私だって一人で帰るのはイヤです。


「私が残る! 美里ちゃんを返して!」


「わかった」


 かがちちゃんはカラカラと笑って、美里ちゃんの手を離しました。


 美里ちゃんはそのまま川にたおれ込んで消えました。


「なっちゃん」


 私の後ろに転がっていたかがちちゃんのマリがシュルシュルシュルっとほどけました。


 さらに、赤い着物に描かれていた無数のヘビが、そでの所からボトボトと地面に落ちてこちらに向かってはってきました。


「やっ、来ないで!」


 かがちちゃんに背を向けてにげると、ほどけたマリの糸がすべてヘビとなって私の足に絡みつきました。


 そのまま全身をヘビに巻かれて、気が付くと私は真っ暗なところに閉じ込められてしまいました。


「そのままゆっくりねむりなさい」


 かがちちゃんの声がくぐもって聞こえました。


 私の周りにはゴムみたいにだん力のあるカベがあって、ぎゅっぎゅっとしめつけてきます。


 何とか手は動かせるけど、暴れたらすぐにつかれてしまうでしょう。


 爪を立ててみてもゴムみたいなカベには傷をつけられません。


「ムダよ。私のお腹はかたいから」


 かがちちゃんはそう言いましたが、少し痛がっているような声でした。


「……爪がダメなら、これでどう?」


 私はかみを束ねていたカンザシを引き抜くと、その尖端を思い切りカベに突き刺しました。


「きゃぁぁぁあ!」


 すごい悲鳴がして、突き刺したところから光が入ってきました。


 私は何度もカンザシを突き刺して、最後に上から下に力強く振り下ろして引きさきました。


 ドチャッという音といっしょに河原に転がり出ると、目の前にはお腹を押さえて苦しそうにするかがちちゃんがいました。


「このぉ……」


 かがちちゃんが片手を振り上げ、また何かしようとした時でした。


「かがち。久しぶり」


 私の後ろから、聞き覚えのあるガラガラ声がひびいてきました。


「かわず……」


 ザッザッと歩いてきて私とかがちちゃんの間に立ったのは、青い着物のかわずちゃんでした。


「あなたの負けよ、かがち」


「私は負けてない!」


 二人は知り合いみたいでした。


 でも、かわずちゃんはどうやってここに来たのでしょう。


「なっちゃん。その着物を選んでくれてよかったわ」


 着物を見ると、そこに描かれていたはずのおたまじゃくしがみんないなくなっていました。


「かがち。それなら、なっちゃんと最後の遊びをしなさい」


「いいよ……でも絶対私が勝つからね!」


 かがちちゃんは吐き捨てるようにさけんで、後ずさりで川の中に入っていきました。


「なっちゃん。がんばって」


「……ありがとう。かわずちゃん」


 何が起こっているのか分からないけれど、もう身を任せるしかありませんでした。


 私はかわずちゃんに促されるまま川に入りました。


 すると、どこか遠くから赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。


 それははじめ一人でしたが、すぐに増え、ついには何人か分からないほどたくさんの泣き声になりました。


「最後の遊び。この中で、あなたはだぁれ?」


 かがちちゃんの声がそう言うと、川上から竹のカゴにのせられた無数の赤ちゃんが流れてきました。


 みんな赤か青の布にくるまれて大声で泣いています。


「こんなの分かるわけない……」


 赤ちゃんだった頃の自分を写真で見たことはあるけれど、ぜんぜん覚えていません。


 それに、赤ちゃんはみんなしわくちゃな顔をしているから、仮に覚えていたとしても見分けられっこありません。


「まちがえたらなっちゃんの負け。ずっとずっと、ここにいるんだよ」  


 じゃぶじゃぶと川の中を歩いて赤ちゃんの顔をのぞきこみます。


 みんな梅干しみたいな顔をしていて、ちがいはあるけれど、どれが私かなんて見当もつきません。


 しかも、泣き声が次第に大きくなっていました。


 耳をふさいでもひびいてきて、頭が割れそうです。


 ずっとここにいたらおかしくなりそう。


 でも、どうしたら。


「いいかい、なっちゃん」


 その時ふと、おばあちゃんの言葉が脳裏をよぎりました。


「そのヒモはえにしヒモって言ってね。赤ちゃんが生まれたらへその緒を切っちゃうでしょ。その代わりに、十二歳になるまで子どもにつけさせておくものなのよ」


 私は手首のえにしヒモに目を向けました。


「お願い、私のえにしヒモ……私のところへ連れてって!」


 すると、右手首が見えない力にぐいぐいと引かれ始めました。


 私は転ばないようにその方向へ赤ちゃんたちをかきわけていきました。


「この子が私?」


 ヒモが導いてくれたところにいたのは、青い布にくるまれた赤ちゃんでした。


 他の赤ちゃんたちと同じでまったく見覚えはありません。


 だけど、その子は一人だけ泣いていませんでした。


「よく寝てる……気持ちよさそう……」


 その子を抱き上げてみると、えにしヒモがブツッと切れて川に落ちていきました。


「本当にその子でいいの?」


 どこからかかがちちゃんの声が聞こえました。


「死んでいるのに」


 そう言われて口元に手を当ててみると、たしかにその子は息をしていませんでした。


 首筋を触ってみると、脈もありません。 


 周りの子たちはみんな元気に泣いています。


「……そっか。ここはジゴクなんだ」


 詰まれた石、死人の着方、不吉なイマシメ、泣かず流れる。


 これまで目にしたり、耳にしたりしてきたことを思い出し、私は赤ちゃんをぎゅっと抱きました。


 私の考えが正しいのなら、ここは歴史の教科書で読んだことのある三途の川。


 ここで生きているということは死んでいるということで、死んでいるということは――


「――この子! この子が私! 私は生きてる!」


 私は赤ちゃんを頭上に持ち上げて、お腹の底からさけびました。


 辺りがシーンとなって、すべての泣き声が止みました。


「大正解」


 ポツンと水滴が落ちるみたいに、闇の中から何の感情もこもっていないかがちちゃんの声が聞こえてきました。


 ロウソクの火が消えるみたいに、意識がふっと消えました。



 気が付くと、私は首本杉の根元に寝転んでいました。


 カンザシもえにしヒモもなくしてしまったけど、どこにもケガはなく無事でした。


「なっちゃん!」


 声がしたので上体を起こしてそっちを向くと、六年生八人がかけ寄って来ました。


「本当にごめんね!」


 一番最初に私のところにたどり着いた美里ちゃんは私に抱きついて号泣しました。


「みんな、無事だったんだね!」


 私がそう言うと、さゆりちゃんが一歩前に出てきてぺこりと頭を下げました。


「ごめんね。変な儀式に巻き込んで……それに私は辰巳家の長女なのに……ヒモがと中で切れちゃって……」


「だから木に結んで引き返したんだ。竜胆は他のみんなに任せようって言って。さゆりちゃんはすごくくやしそうだったよ」


 さゆりちゃんの肩に手を置いて、正一くんがかばうように言いました。


「……それでもどったらすみれたちがいて。ああ、もしかしたら巡礼は失敗かもしれないって不安になったわ」


 さゆりちゃんの言葉を受けて、順太郎くんが肩をすくめました。


「オレたちは最初に出たんだけど、すみれが振り返っちゃってさ。何かに引きずられていくのをオレ、助けないで走っちゃったんだ」


 すみれちゃんは「私がにげろって言ったからだろ」とフォローしつつ、「引きずられたっていうか、何かにつまづいたのかもな。それで多分、私は山から転げ落ちたんだ。気が付くと首本杉のところにいて、上から順太郎が来た」


「オレはずっと上ってたんだぜ? なのに、なぜか下りてたみたいで、いつの間にか首本杉のところにもどってたんだ」


 二人は顔を見合わせて「変だろ?」と笑いました。


「山ではそういうことがたまにあるんだよ。足元しか見えないと高低差が分からなくなる」


 三郎太くんが口をはさんで、私に向かって親指を立てました。


「よく帰ってこられたな、なっちゃん。あの時はすごい声出すからびっくりしたぜ」


 カケルくんも「あれはすごかったね」と続きます。


「なっちゃんがほこらの方に歩いて行っちゃうからあせったけど、きっと助けるって口調だったから信じることにしたんだ。僕と三郎太くんはとにかく無事に竜胆を持ち帰らなくちゃってことも分かっていたからね」


 ちなみに、カケルくんも三郎太くんも、あの時ほこらの前に立っていたはずのかがちちゃんが見えていなかったようでした。


「それで急いで下りてきたら首本杉のところに美里ちゃんとハルキがたおれててさ」


「私たちは竜神池まで行ったんだけど、そこで足元が抜けて落ちる感覚がして……あとは覚えてないの」


 美里ちゃんの言葉に、ハルキくんもうなずきました。


「気が付いたら首本杉の下に二人ともたおれてて……下りてきたカケルくんと三郎太くんに助けてもらったんだ」


「助けたっていうか、起こしただけだけどな。それで助けを呼ぼうってさゆりちゃんと話してたら、美里ちゃんが「なっちゃんだ!」ってさけんだんだ」


 三郎太くんがさけぶ美里ちゃんの真似をすると、順太郎くんが「ちゃかすな!」とその肩を軽くたたいてから言いました。


「まったくワケが分からないよな。だれもなっちゃんが下りてきたのを見てないのに、とつぜん地面から湧いたみたいに起き上がったんだから」


 順太郎くんとカケルくんが首本杉についてから私が起き上がるまで、五分もなかったそうです。


「とにかく全員無事でよかったわ。おかげで竜胆も採ってこられた……辰巳家を代表してお礼と謝罪を送るわ」


 さゆりちゃんはそう言って、深々と頭を下げました。


 すると私とカケルくん以外の全員が礼を返したので、私たちも頭を下げました。


 それからさゆりちゃんは八蛇巡りについて説明してくれました。


 村の子どもたちの間で八蛇巡りはただのキモ試しとして知られていましたが、本来はまったくちがう儀式でした。


 七月に入ってからお盆まで一日も雨が降らない時、その年で十二歳になる子どもたちが集まって、大人にバレないよう竜胆を取りに行き、持ち帰って本殿に捧げる。


 こういう手順の、辰巳家が代々行ってきた雨ごいの儀式こそが八蛇巡りの正体でした。


 さゆりちゃんのおじいちゃんが十二歳の時にも行われて、その時は十二人が参加して四人が行方不明になったそうです。


 そのうち三人は三日後にふらりと返ってきましたが、抜け殻のようになっていて数年で死んでしまいました。


 あと一人は行方知らずのままでしたが、戦時中だったこともあり、うやむやなまま忘れ去られました。


 それから数十年は雨がちゃんと降っていたので行われていなかったのですが、とうとう今年行われることになったのです。


「秘密にしていてごめんなさい。でも、これを知っていていいのは辰巳家の子どもが二人だけ……私と美里だけっていう決まりだったの」 


「私、ずっと言えなくて……本当にごめんね!」


 美里ちゃんはさらに号泣しました。


 さゆりちゃんも目になみだをためています。


 私にはみんなをだまさなくちゃいけなかった二人のつらさがよく分かりました。


「こんな儀式はイヤだった! 友達を巻き込むのも、自分が行くのも……だけど、辰巳家の決まりで、従うしかなくて……」


 苦しそうに言うさゆりちゃんの肩をすみれちゃんが抱き寄せました。


「みんな、ごめんなさい……ぜんぶ私が……辰巳家が悪いのよ……!」


 夏にまったく雨が降らないと村の野菜がダメになります。


 飲み水だって干上がるかもしれません。


 今は水道があるし、お金で買うこともできるかもしれないけど、昔はもっと大変だったはずです。


 厳しい自然の中で暮らしていくためには神様の力が必要でした。


 村の生活を守りたいという願いのこもった儀式こそが、八蛇巡りだったのでしょう。


 長い歴史、村人の生活、責任、家の決まり、きょうふ……さゆりちゃんの小さな肩にはどれほどの重圧がかかっていたのでしょう。


 それを想えば、私にはさゆりちゃんや美里ちゃん、辰巳家を責めることはできませんでした。


「いいよ、もう。それにみんな無事だったんだから」


 私は美里ちゃんの手を取って立ち上がると、さゆりちゃんのこともぎゅって抱きしめました。


 すみれちゃんもその輪に加わって、外側から男の子たちも肩に手をそえました。


「……なっちゃん……みんな……ありがとう」


 九人で一つの花みたいにまとまると、心が通じ合ったような気がしました。


 ポツン。


 ふと、冷たい何かが私の鼻に降ってきました。


「雨だ!」


 順太郎くんの声にみんなが上を向きました。


 ぽつ、ぽつ、ぽつ、ざー。


 雨はすぐに激しくなって、私たちを包んでいきました。


「帰ろう。みんなで、おうちに」


 私がそう言うと、びしょぬれのみんなは顔を上げて、笑顔でうなづきました。


 本殿にそっと竜胆をお供えしたら、全員で肩を寄せ合うみたいにして私たちは山を下りました。



 十五日はお盆の行事があるから、キャベツの収かくもお休みでした。


 昨日のことがあったからぐっすりねむっていて、朝ご飯の時間にお姉ちゃんに起こされました。


 ご飯、キャベツみそ汁、刻んだキャベツ、キャベツの肉巻き、焼いたニジマス、納豆が朝食でした。


 人数が多いので、大人はキッチン、子どもとおばあちゃんは応接間で食べました。


 その後は家全体にのんびりした空気がただよっていました。


 朝の時間が何となく過ぎたら、私と美里ちゃんとお姉ちゃんとお父さんと武治さんの五人で大富豪をやりました。


 最初はお姉ちゃんが勝っていたけど、お父さんが都落ちさせてからはドロ仕合になってわちゃわちゃでした。


 お茶の時間に安子伯母さんが畑からスイカを持ってきたので、庭でスイカ割りをしました。


 美里ちゃん、お姉ちゃん、お母さんと外して、私の番。


 目かくしをしてぐるぐる回されると何も分からなくなってしまいました。


 みんなの指示はバラバラで、だれを信じていいかは分かりません。


 前の三人の時に全員ウソをつくって分かっていました。


「そのまままっすぐ三歩、左に二歩、そこで半歩前よ」


 重なる声の中で、はっきりと聞こえるガラガラ声がありました。


(ありがとう、かわずちゃん!)


 私は指示通りに歩いて、思い切り木の棒を振り下ろしました。


「すごぉい! なっちゃん!」


 たしかな手ごたえがして、美里ちゃんがさけびました。


 スイカは見事真っ二つに割れていました。


「いただきます!」 


 私だけスイカを二かけもらって、塩をたくさんかけて食べました。


 しょっぱいのにスイカとかトマトにかけると甘くなるから不思議です。


「なっちゃん、ちょっと来て」


 スイカを食べ終えたら、美里ちゃんに呼ばれてお部屋に行きました。


「これあげる。色々の、お礼!」


 美里ちゃんがそう言って机の引き出しから出したのは、お気に入りだって言っていたヒスイ色のバレッタでした。


「いいの?」


「もちろん! ちょっとつけてみるね」


 美里ちゃんにかみをまとめてもらって、頭の後ろにバレッタをつけてもらいました。


「なっちゃん、似合ってる!」


 姿見と手鏡で確認すると、なんていうかすごくしっくりきました。


「ありがとう! 大切にするね!」


 美里ちゃんの手を取ってお礼を言うと、美里ちゃんは目をふせながら「あのさ、なっちゃん。一つお願いしてもいい?」と言いました。


「なに?」


 首をかしげると、美里ちゃんはごくんとツバをのんで言いました。


「私のこと、キライになったと思うけど……またお友達になってくれる?」


 美里ちゃんの目がうるうるとゆれていました。


 今にも泣き出しそうだけど、そんな心配はしなくて大丈夫です。


「キライになんてなってないよ! 私たち、ずっとお友達だよ!」


 そう答えたら、美里ちゃんは泣いてしまいました。


「な、泣かないで!」


「あっ、ごめんね、これはちがうの、うれしくて……」


 美里ちゃんはなみだをぬぐって「ありがとう、なっちゃん。大好き!」と私に抱きつきました。


「私も大好き!」


 抱きしめ返して、ぐるぐる回って、二人でベッドにたおれ込みました。


 顔を見合わせて笑ったら、いつもの私たちにすっかりもどることができました。



 十一時になったら荷物を車に乗せてみんなにバイバイしました。


 美里ちゃんはまた目にナミダを浮かべていました。


 村の中を通っていくと、六年生のみんなが役場前で待っていて「ありがとう! なっちゃん!」と声を合わせて言いました。


 私は窓を開けて「みんなー! またねー!」と大きく手を振りました。


 みんなの姿が見えなくなっても、車はマイペースに山道を進んでいきました。


 そして高速道路に乗って、一時半くらいにパーキングエリアでお昼を食べました。


 私はうどん定食に天ぷらを乗せました。


 三時過ぎに家について、荷ほどきしたり日記を書いたりしました。


 お母さんが「ご飯作るのめんどくさいから外食しましょ」と言ったので、みんなでレストランに行ってハンバーグを食べました。


 午前中はすごく遠くにいたというのがウソみたいに、いつもの日常がありました。


 レストランを出てちゅう車場を歩きながらとぎれない車の列や、ぜんぜん星が見えない空を見上げたら、帰って来たんだなぁという実感がわいてきました。


「たそがれちゃってどうしたの、なっちゃん」


 お姉ちゃんが私の肩にうでを回して、そのままお姫様だっこしました。


「おっ、冬子、一人で持てるか?」


 お父さんが正面から私を持ちに来て、「仲良しなんだから」とお母さんがスマホを向けました。


「みんな大好き!」


 私は二人の首に手を回して抱き寄せました。


 お母さんも写真を撮ってからそこに加わって、家族四人でぎゅってしました。


 とってもあったかくて、どういうわけかナミダが出そうになりました。


 うちに帰ったらお姉ちゃんといっしょにお風呂に入りました。


 入浴剤で草津の湯を使って、体洗いっこしたり、百秒数えたりしました。


 クーラーのきいたリビングで家族四人で映画を見ました。


『モアナと伝説の海』というディズニーの映画で、すごくおもしろかったです。


 知らない世界への好奇心を持つモアナという少女が、不漁をきっかけに遠くの海に出て冒険するお話です。


 モアナの考え方に共感できたし、色んなことがどんどん起こって夢中で見てしまいました。


 その後、歯をみがいてみんなに「おやすみ」を言いました。


 部屋で日記を書きながら、この三日間のことを思い出しました。


 私もモアナみたいにすごい冒険をしたような気がします。


 夢みたいだけど、現実でした。


 すべて過ぎていって、もう思い出すことしかできません。


 ああ、三日間、すごく楽しかったなぁ。


 明日は私の誕生日。


 十二歳になったら、もうお姉さんって感じがします。


 プレゼントが楽しみだし、ケーキも楽しみです。


 去年は一本残ったから、今年こそ一息で十二本のろうそくを吹き消してみせます!


 なっちゃんは成長したんだから!


 ワクワクします。


 待ちきれません。


 おやすみなさい。

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