第28話 レイラク様 2/3【レイラク様視点】

【レイラク様視点】


 きっと一番驚いているのは、俺自身だ。

 まさか、食われても生きているとは。

 それどころか、身体を乗っ取れるなんて。

 俺自身が、レイラク様になれるなんて。

 そんなこと、夢にも思っていなかった。


 だが、こんなに嬉しい誤算はない。

 俺をこんな目に合わせた連中に。

 限りない、蹂躙と復讐をしてやろう。

 そう思い、力を解放した。全員殺した。

 この肉体の力は、凄まじかった。


 俺を貶めた連中の泣き叫ぶ姿は、まさしく爽快という他なかった。連中の叫び声を聞いていると、心が洗われた。連中の呪術が通じず絶望に塗れた表情は、俺の心に栄養を与えた。プチプチと連中の内臓を潰している時なんて、あまりの面白さに笑いが堪えられなかった。


 周りの人間を屠り去り、次のターゲットである寺野を葬ろうと思ったが……連中は鬱陶しいことに自身の死をトリガーにして結界を張りやがった。それもこの場にいたのは著名で権力も実力もある退魔師だったせいで、その結界は俺の力でも破壊できないほど堅牢な結界だった。それに加えて、結界の外から他の退魔師が駆け付け、結界をさらに強化し続けている。


 結界が薄れて破壊できるようになるまで、待つしかできない状況に苛立っていたが……やはり俺は天に選ばれた男だ。葬り去りたい男、寺野がこうしてノコノコとやってきたんだからな。あぁ……どうやって殺してやろうか!!


「████」


 ──と、考えていたというのに。

 何なんだ、これは一体。

 いったい、何が起きたというんだ。

 どうして俺は、血反吐を吐いているんだ。


 口元からボタボタと溢れる真っ赤な液体は、ひんやりと冷えており、生の温かみを一切感じない。それは俺がレイラク様となったことで、生者を卒業したことを改めて実感させてくれる。……いや、そんな感想など今はどうだっていい。現実を見ろ、俺!!


「へぇ、意外とタフだな」


 ニタニタと嗤いながら、寺野はそう言った。

 その拳は漆黒のオーラに包まれており、恐怖に慄いてしまうほど禍々しさを纏っている。神の身に至ったことで恐怖の感情を卒業したと思っていたのに、俺の白い皮膚は鳥肌を無数に形成しだす。アレはいったい……何なんだ。


 きっと腐敗している俺の脳内で、色々と考えてみるも……この状況への答えは一向に出てこない。レイラク様は特殊な魔物であり、その身は神に近しい存在だ。故にその身は特殊な霊体で構成されており、呪術の一切が通じない。現にあの女の術は、俺の身体をスリ抜けた。


「████」


 不条理な状況を冷静に分析していると、唐突に腹部に堪えがたい激痛が走ってきた。食べすぎや飲みすぎとはまるで系統の違う、ナイフで腹部をジクジクと刺されるような激痛。そんな激痛の正体を探るべく、俺はワンピースを捲り腹部を確認する。そこにあったのは──炭化した俺の腹だった。


 ……なんだ、これは。

 激痛に苛まれる最中、頭の中では無数のクエスチョンマークが浮かび上がる。まるでヒビが入っているように、黒い線が腹部に刻まれている。さらに黒いヒビが広がるにつれ、ボロボロとまるで炭化するように腹部が剥がれ落ちている。それに比例するように、激痛が──


「████」


 痛い、痛い、痛い、痛い、 痛い、痛い。

 痛い、痛い、痛い、痛い、 痛い、痛い。

 痛い、痛い、痛い、痛い、 痛い、痛い。

 痛い、痛い、痛い、痛い、 痛い、痛い。

 痛い、痛い、痛い、痛い、 痛い、痛い。

 痛い、痛い、痛い、痛い、 痛い、痛い。


 増していく激痛が思考を阻害し、脳内が痛みに支配されていく。痛みから逃れようと腹部を摩ってみるも、その僅かな衝撃が針のように感じられ、痛みがさらに増していく。あまりの痛みの声を発してしまうものの、喉元から溢れるのは声にもならない叫びのみだった。なんだ、これは。何とか、して、くれ!!


 のたうち回れば、痛みはさらに増す。

 それがわかっているので、俺は傷口に触れることもできずに、ただただ蹲っていた。まるで無力な子どものように、痛みを訴えることもできずに、ただただ救いを求めていた。この痛みから逃れることを考えながら、激しい痛みに嗚咽を漏らすことしかできなかった。


「滑稽、という他ないな」


 蹲る中、寺野の声が聞こえた。

 ざっざっと、地面を擦る音も聞こえた。

 おそらく寺野は、悠然と歩を進めているのだろう。

 俺を仕留めるために、さらなる痛みを与えるために。


 ──これ以上、痛みを与えられるのはマズい。

 

 レイラク様は死者であるため、この言葉を使うことはおかしいかもしれないが……ともかく『本能』がそう叫んだ。ただでさえ頭が激痛で支配されるほどの痛みに苦しんでいるというのに、これ以上の痛みを与えられるとなると……俺はきっと耐えられない。自我が崩壊し、さらなる無様を晒してしまう。俺のプライドが、それを許さなかった。


「████」


 故に、俺は動いた。

 痛みに耐えながら、必死になって。

 身体を動かせば、激痛がさらに襲う。

 それでも尚、俺は術を発動した。


 右手の人差し指を、寺野に向ける。

 そして、例の如く呪力を練る。

 ただ、それだけのこと。いつも通りのこと。

 それなのに、結果はいつもと異なっていた。


「……レイラク様と化したことで、術が反転したのか? あるいは、レイラク様の術に引っ張られたのか?」


 周囲の空気が急激に冷え込む。

 まるで見えない手がゆっくりと全ての温度を奪い去るかのように、肌に触れる冷たさが痛みを伴うほどに。眼前に広がる草木は、一瞬でその様相を変えた。緑色だった草木は、一瞬にして白く薄霜に覆われていく。


 霜が降り始めると同時に、その草木の生命力が目に見えて失われていく。細かな霜の結晶が葉や茎に付着し、その重量に耐えきれず、次々と凍り付き、枯れていく。葉は凍ったまま、静かに音を立てずに崩れ落ち、枝もまた霜に覆われながら乾燥していく。


 寺野の言う通り、俺の術は変わった。

 炎を司るものから、冷気を司るようになった

 それも冥界の冷気であり、生者の天敵の冷気を操れるようになったのだ。


「████」


 指先からギュンッと伸びる、紫色の光線。

 冥界の冷気を纏った光線は肉体だけではなく、魂までも凍てつかせる。つまり命中すれば即死の一撃であり、またその威力から防ぐ術も存在しない。つまり俺が放った時点で、寺野の命は潰えたも同然なのだ。

 

 その紫色の光線は瞬時に寺野の方へと飛びかかる。鋭い破壊力を持つ光線が空気を切り裂き、彼に直撃する寸前──


「《霊障結界》!!」


 江崎の叫びと同時に、寺野の前に透明な壁が現れた。光線はその結界にぶつかり、激しい閃光と共に弾け飛んだ。俺は歯を食いしばりながら、江崎の結界を見つめる。あの女が一瞬でこんな術を発動できるなんて、少し侮っていたかもしれない。


 ……まず処分すべきは、あの女か。

 いや、あの女は大した危惧にはならない。

 だったら、いや……だが……。

 必死に考えを纏める。


「ありがとう、紬麦!!」

「いえ、どういたしまして!!」


 鬱陶しいやり取りをしやがって。

 クソ、今の一撃で仕留められたのに。

 ……いや、まぁ落ち着け。俺よ。

 呪力には、まだまだ余裕がある。

 まだ慌てるような時間ではない。


 激痛から目を逸らすように、息を吐く。

 冷たい俺の呼気は、それだけで周囲の生命を奪う。

 そうだ、俺が本気になれば……楽勝で勝てるんだ。

 ここで慌てるなんて、愚かな真似はしない。

 冷静さを保ち、確実に葬ってやる。


「████」


 痛みを紛らわせるように、呪術を放つ。

 地面から氷柱を何本も生やす呪術。

 回転する氷の刃を放つ呪術。

 凍てつくレーザーの大量放射。


 多くの呪術師を葬った、術の数々。

 その冷気に、周辺の木々が枯れ果てる。

 周囲の生命が、すべて死に絶える。

 だが、そのどれもが──


「《黒壁ルナレク》!!」


 今度は寺野が発動した術に、止められる。

 俺が放った術の全てが突如現れた壁に衝突した瞬間に、一気に黒ずんで消滅した。親父を含めた多くの呪術師を葬ってきた最強の術たちだというのに、この劣等生相手には一切通じない姿を目の当たりにしてしまった。


 コイツは……何者なんだ。

 レイラク様と融合して特殊な霊体と化した俺に対して、ここまでダメージを与えるなんて……あり得ないだろう。いや、そもそも……復学試験の時からおかしかった。たった1年間でこいつは、刻印術も使わずに俺に勝利したんだ。


 俺の心に、恐怖の感情が去来する。

 今すぐ逃げだしたいと、願いが強くなる。

 歯がガチガチと震え、膝も震える。

 恐怖の感情が、徐々に肥大化する。


「なんだ、そんなに俺が恐ろしいか?」

「████」

「おいおい、そんなにビビるなよ」

「████」

「俺の攻撃なんて、まだたったの一撃だけじゃないか」

「████」

「はぁ……臆病者は治らないか」


 黙れ、黙れ、黙れ!!

 違う、俺は臆病者なんかじゃない!!

 俺は、由緒正しき虎松家の次男だ!!

 お前みたいな忌み児に、誰がビビるか!!


 ……そうだ、痛みで日和っていただけだ。

 痛みのあまり、術がブレただけなんだ。

 俺の本来の実力は、こんなんじゃない。

 恐怖に怯える必要なんて、どこにもない。


「さて、それじゃあそろそろお返しをしようか」


 寺野はニタリと嗤い、指先に呪力を宿した。

 それは──人間が触れてはならない、触れてはならない禁忌の力だ。その力は、この世の理を超えた異次元のものであり、見ただけで吐き気を催すほどの悍ましさが漂っていた。それは決して発動されてはならないものであり、あまりにも冒涜的で、魂を蝕む恐怖がそこにあった。


 あんなものが許されるはずがない……許されるべきではない。……いや、ダメだ。あんなものは絶対にダメだ。狂気の淵に立たされながら、心の奥底から叫ぶように思う。逃げなければいけないと本能が叫ぶが、痛みと恐怖から身体が上手く動かない。さっさと動け、俺の身体!! と、心がどれだけ叫んでも、焦燥感とは真逆に身体は自由は効かなかった。


「《闇砲クラルパルナ》」


 何が起きたのか、それを理解するには数秒が必要だった。そして理解した頃には、俺は後悔していた。あの時に無理にでも逃げていれば、こんなことにはならなかっただろうに、と。そんなことを考えながら、俺は失った右腕を眺めていた。


 何が起きたのか、鮮明に覚えている。

 漆黒の光線が、俺の右腕を穿ったのだ。

 そして、俺の右腕は肩口から消失した。

 ほんの一瞬で、俺の右腕は消え去ったのだ。


 腹を襲う以上の激痛が右肩口を襲うものの、俺はただただ放心状態だった。レイラク様の力を手に入れ、数多くの退魔師を屠ったというのに……それでも尚、この忌み児には勝てないのか。そんな無力感が激痛を上回り、俺の心に深い絶望を落としたのだ。これほどの力を手に入れても何一つ通用せず、逆にコイツの攻撃が俺を傷つけるという事実に……心が折れてしまった。


「意外とタフだな」


 俺は、もう勝てない。

 右腕と共に、俺は自信を失った。

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