第27話 レイラク様 1/3【紬麦視点】

【紬麦視点】


 レイラク様を目の当たりにして、あの時に抱いた恐怖心が再び心の中を占拠しだす。その絶望的な呪力の量、その凶悪な容姿、そのすべてが恐ろしく悍ましい。きっと私1人だけだったら、再び逃げてしまっていたことだろう。


 だけど、今回は違う。

 私の隣にいる人が、勇気を齎してくれる。

 彼と過ごした日々が、私に勇気を授ける。

 日和る心に、喝を入れてくれる。


「朝日くん……」


 喉元から出る私の声は、情けなくなるほどに小さくて震えていた。朝日くんが隣にいたとしても、やはり怖いものは怖い。だけど、それでも勇気を振り絞って、続きの言葉を振り絞ろうとする。朝日くんはそんな私を見て、ニッコリと微笑んでくれていた。


 やっぱり、朝日くんは優しい。

 私が言葉に詰まっていても、続きの言葉を待ってくれる。あまり甘えるのは気が引けるけれど、突っかかりながら言葉を発するのはもっと迷惑だろう。だから、今回ばかりは大人しく甘えさせてもらおう。一息、二息、三息、深呼吸で心を落ち着かせる。不思議なことに、レイラク様も待ってくれていた。


「話した通り、私が陽動するね」

「……気を付けろよ」

「うん、任せて」


 レイラク様は特殊な霊体だからこそ、私の攻撃では一切ダメージが通らない。これだけ鍛えて強くなったというのに。ダメージを与えられないのは悔しい。けれど、だからといって何も役割がないわけじゃない。ダメージが与えられないからといって、何もせずに傍観しているのだけは嫌なんだ。


 私が提案したのは、私自身が囮となってレイラク様の注意を引くという作戦だ。レイラク様の周りを煽るように駆け回れば、レイラク様もきっと鬱陶しがって私へ注意を向けることだろう。蚊やハエが耳元を飛び回ると不快なように、ダメージを与えられなくたってできることはあるんだ。


「《鐵の装 壱式》!!」


 未だに少し委縮している自分を鼓舞するように、力強く私は刻印術を叫ぶ。すると例のように私の影が帳のように私を覆い、そして私は漆黒の衣装に身を包んでいた。スピード特化の《鐵の装 壱式》、この姿は陽動にピッタリだから。


 深く息を吐いて、クラウチングスタートの構えを取る。まるでギアを上げるように私の身体からは白い湯気が立ち上がり、衣装の一部に赤い線が刻まれていく。朝日くんと修行をしたおかげで、私の《鐵の装 壱式》はさらにスピードを出せるようになったんだ。そして──


「気を付けろよ」

「うん!!」


 私は──

 ──駆けた。


「████」


 レイラク様は声色こそ変わらず冒涜的であったものの、どこか驚いたような口調で意味のわからない言葉の羅列を吐いた。レイラク様の中には虎松がいるから、おそらく私のスピードに驚愕の意を示したのだろう。実際に一瞬だけだったではあったけれど、レイラク様の動きが止まったのだから。


 音を越える私はソニックブームを発し、周りの木々をなぎ倒しながら爆音を立ててレイラク様に迫る。そして一瞬でレイラク様の懐に潜り込み、そこから──


「《月下水月》!!」


 呪力を脚に纏い、レイラク様の腹部を蹴る。

 修行のおかげで、S級魔物である封豨の頭蓋を一撃で粉砕できるようになった技。普通の魔物が食らえば一撃で仕留められるんだけど──


「████」


 まるで水を蹴るように、私の脚はレイラク様の身体をすり抜けた。レイラク様に私の攻撃が通じないことなんてわかっていたけれど、実際に攻撃が通じない様を目の当たりにすると……悔しさで心が支配される。あれだけ修行したのだからもしかしたら、という淡い期待が見事に砕かれてしまい歯痒い気持ちに蝕まれる。


 レイラク様はまるで嘲笑するように、その悍ましい声を上げている。これまではその声が耳に届いただけで身が震えるほどの恐怖に苛まれたけれど、今は煽るようなレイラク様の嘲笑に……苛立ちを覚えてしまう。まるで無駄なことをした自分を責めるようなその笑い声に、ギリギリと奥歯を食いしばる。


 そんな怒りを携えながら、私は一旦朝日くんの元へと戻った。朝日くんは静かに心配するような表情で、私のことを見てくれた。


「……やっぱり、特殊な霊体だね」

「大丈夫か、紬麦。無理は──」

「作戦通り、陽動を続けるよ」

「……わかった」


 と、その時だった。

 唐突に、頭の中に何かが流れてきた。

 それは──虎松の記憶だった。


 ──親父たちに、俺は見捨てられた。

 ──この世界の全てを、俺は許さない。

 ──親父も、兄貴も、皆殺しにしてやる。

 ──俺に恥をかかせた、クソ野郎寺野も。


 脳内に流れてきたのは、虎松が受けた雪辱の全て。四肢をもがれて、レイラク様に食われて、そしてこの世の全てを憎んでいるという彼の憎悪が脳内に流れてきた。その意味不明で唐突な記憶に、私も朝日くんも困惑を隠せない。


「あ、朝日くん……」

「……なんだ、今のは」

「……多分だけど、彼は今霊体だから記憶を保持することが出来ないんだと思うよ。人の記憶は脳と頭蓋骨に阻まれているから外に露出することがないんだけど、今の彼にはそれらがなくて魂だけの状態だから……」

「つまり記憶が駄々洩れ、ってことだな」


 ──最初に朝日を見た時、気色悪いと感じた。

 ──ゴキブリと一緒で、キモい奴は排除していい。

 ──だからこそ、俺は日々のストレスを発散した。

 ──キモかったけど、いいサンドバックになった。


 ──俺は毎日、兄貴と比べられた。

 ──優秀な兄貴と、イマイチな弟。

 ──俺だって優秀なのに、上位互換がいる。

 ──そんな日々が、強いストレスだった。


 ──朝日を見ていると、腹が立った。

 ──何もできず、みんなの下位互換。

 ──それはまるで……自分のようだった。

 ──兄の下位互換の、自分のようだった。


 ──朝日を殴る時だけが、唯一楽しかった。

 ──自分より劣る奴を、殴れる喜び。

 ──傷を舐めるように、何度も拳を振るった。

 ──その時だけが、苦しみを忘れられた。


 ──キモいサンドバックに、俺は負けた。

 ──あり得ない、あり得ていいワケがない。

 ──だが、現実は非情だった。

 ──父は敗者の俺に、何も言わなかった。


「……朝日くん」

「……大丈夫だ」


 洪水のように流れてくる、虎松の度し難い記憶の数々。確かに彼にも暗い過去があったかもしれないけれど、だからといって朝日くんに暴力を加えていい理由にはならない。同族嫌悪から朝日くんをイジメたみたいだけど、そんなことで彼の罪が流されるハズがない。彼の記憶が脳内を駆け巡るごとに、虎松に対する怒りが強まっていく。


 冷静を装って返事をしてくるけれど、朝日くんの怒りは、きっと私以上だろう。自分がイジメられた理由が、こんなにつまらなくてしょうもないものだったんだ。これまでも理不尽な目に合って怒りを抱いてきただろうけれど、この記憶のせいで朝日くんは更なる怒りを覚えたハズだ。私が朝日くんの立場だったら、発狂しそうになるほど怒り狂うだろう。


「紬麦、そろそろ俺も動くよ」

「うん……陽動は任せて!!」


 ふぅっと、深く息を吐く。

 相変わらず不快な記憶は脳内を駆け巡っているけれど、頭を振ってそれらの排除を勤しむ。怒りに身を任せてしまえば、本来のパフォーマンスは発揮できない。私の好きな漫画でも、そう言っていた。だからこそ、深呼吸で冷静さを意識する。


 ──江崎はエロい女だ。

 ──いつか必ず犯して、孕ませてやる。

 ──以前はそう思っていたが、前言撤回だ。

 ──1人だけ逃げたあの女は、絶対に許さない。

 ──ブチ犯した後、ズタズタに引き裂いてやる。


「……!!」


 不愉快な記憶に対して、頭を振る。 

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 具体的なイメージもあって、気色悪い。

 自分が犯されるイメージが流れてきて、吐き気がするほどの気色悪さが脳内を駆け巡る。激しい憎悪に襲われそうになるけれども、頭を振って冷静さを保つ。


 一番嫌なことは、朝日くんにも今の記憶が流れたということだ。私を全裸にひん剥いて、凌辱をしている虎松の記憶という名の妄想が……朝日くんの脳内にも流れてしまったことが本当に腹立たしい。恥ずかしいしムカつくし、早く殺したい。


「行くぞ!! 紬麦!!」

「うん!! 朝日くん!!」


 朝日くんの掛け声と共に、私は駆けた。

 さっさと殺さないと。コイツだけは。

 拳を固く握りしめて、レイラク様の周りを駆ける。


 レイラク様は嗤っていた。

 まるで余裕ぶって、まるで楽勝ぶって。

 どうせ攻撃は、自分には通じないのだと。

 そんな風に、高を括って。

 だからこそ──


「《呪闘拳》!!」

「████」


 朝日くんの拳が、レイラク様を貫いた。

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