第26話 亡霊と呪詛


「ここが……例の部屋だな」


 深夜2時。俺たちは「あけみやアパート」の103号室前に立っていた。本来ならこの部屋は強力な結界で守られ、警備の退魔師が常に見張っているはずだ。しかし、母さんに結界に穴を開けてもらい、俺たちは無事に部屋の前まで辿り着くことができた。扉の脇には、警備していた退魔師が倒れている。


 まだ扉を開けていないというのに、扉の向こうからは禍々しい気配と強烈なオーラが漂ってきていた。これほどまでに邪悪なオーラを放っているのに、虎松はこれを祭狸の仕業と勘違いしていたのか。鈍いなんてもんじゃない、あまりにも無知すぎるだろう。


「紬麦、入るぞ」

「き、気を付けてね」


 そして、俺たちはゆっくりと扉を開けた。

 室内の様子は、聞いていた通りだった。

 荷物が散乱した室内は薄暗く、ほこりが充満していて、呼吸をするたびに咳が出そうになる。電気が切れているはずなのに、なぜか点いている古いテレビには、白無垢を着た女性が裏拍手をしている映像が映し出されていた。さらに、机の上には無数の日本茶の袋が散乱している。


 どれも聞いていた話と一致しているので、特に驚くことはなかったが、ひとつだけ異様なものがあった。それは床に落ちていた1枚の写真だ。女性が口から煙を発している、いわゆるエクトプラズムの写真……そして、俺はその写真に見覚えがあった。そう、この写真は病院で見たものと同じだった。


「どうして……」

「朝日くん?」

「……いや、何でもない」


 疑問が湧き上がるが、今は考えるべきではない。

 今は、レイラク様の存在する異空間への道を探ることに集中しなければならない。


「念のため確認だが、紬麦はどうやってその祭り場に飛ばされたんだ?」

「えっと、気付いたら……って感じかな。瞬きをした瞬間、ほんの一瞬でその祭り場に移動していたんだよ」

「……なるほど」


 逆さまになった卒塔婆を見つめながら、考えを巡らせる。

 と、その時だった。


「お、話をすれば……って感じだな」


 気がつけば、周りの景色が変わっていた。

 しかし、それは紬麦が言っていたものとは違っていた。



「……え?」



 紬麦の困惑した声が、耳に届く。

 確かにそこは祭り場だったが、すでに崩壊していた。屋台はどれもグシャグシャに潰され、地面には破れた提灯や屋台の商品が散乱している。やぐらも無残に壊れており、そこで踊っていたという幽霊たちの姿は一人も見当たらない。壊滅した祭り場の光景が、目の前に広がっていた。


 この荒れ果てた祭り場を目にすると、日本人として心が痛むが、こんな惨状を引き起こしたのは、間違いなく一人しかいない。その主を探すために辺りを見渡すと、壊れたやぐらの中心に彼女の姿を確認した。


「████」


 かつて身にまとっていた白無垢は、すでにボロボロに破れており、まるで不気味なワンピースのようになっている。長い前髪に隠れた顔は見えないが、髪の隙間から覗く目は爛々と輝いていた。その瞳には激しい憎悪と、微かな悲しみが混じっている。血色が悪く骨ばった指からは、黒い液体がポタポタと滴り落ち、地面に付着するたびに悪臭が漂ってくる。幽霊と呼ぶには悍ましすぎる、“邪神”と呼ぶにふさわしい怪物がそこに立っていた。


 ……なるほど、あのオマキ様に似ている。

 かつて遭遇した恐怖の権化、オマキ様と重なる部分が多い。だが、不思議と今回の対峙では心に広がる恐怖は少なかった。この恐ろしい怪物を目の前にしても、俺は平常心を保っている。強くなったおかげか、あるいはオマキ様と再会したばかりだからか、それともその両方か……理由はわからないが、これは間違いなく吉報だ。


「紬麦、あれだな」

「う、うん……大丈夫?」

「あぁ、俺は平気だ」

「……心が強いんだね」


 と、そんな話をしている最中。

 突然、俺の頭の中に声が聞こえてきた。

 いや、正確には記憶が流れ込んできた。


 ──兄さんは、俺よりも優れていた。

 ──父さんは、俺を褒めてくれなかった。

 ──忌み児に敗れた俺を、愚弄してきた。

 ──俺のことを、虎松家の恥と呼んだ。

 ──アイツらのことを、俺は許せない。


「……紬麦」

「う、うん……私にも聞こえたよ」


 今のは、明らかに俺の記憶ではない。

 そして、紬麦にも同じものが流れ込んだということは、これはつまり──


「……乗っ取られている?」

「……だろうな」


 理由はわからないが、あの怪物は虎松に自我を乗っ取られているようだった。そして、その虎松も激しい怒りの感情に支配されている。とても正気ではないことが伺える。まったく……何から何まで、迷惑な男だ。


 既に虎松は魔物へと変貌を遂げているため、倒したところで特に問題になることはないだろう。いや、先ほどの虎松の記憶から察するに、そうでなくとも虎松を倒しても大事にはならなかったかもしれないが。だったら……紬麦に助けられた日に、抵抗してもよかったな。まぁ……後悔しても、既に遅いのだが。

 


「まぁ、何はともあれ……倒さないとな」

「そうだね……」


 紬麦は頬を叩いて気合を入れ直す。

 よし、戦う準備はできたようだ。


「紬麦、作戦通り陽動を頼む」

「うん、任せてよ!」


 そして、俺たちの戦いが始まった。

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