第23話 母との修行 3/5

「今日は少し、趣向を変えようと思うわ」


 母さんはそう言って、懐から1枚の紙を取り出した。紙には六芒星が描かれており、何かの魔法陣のように伺える。そして母さんはその紙に呪力を流すと、六芒星は淡く輝きだした。


「母さんと訓練ばかりしているだけじゃ、やっぱりダメなのよ。実戦経験を積まないと、退魔師として強くなることはできないわ」


 母さんはそう呟くと、光る紙を放り投げた。

 地面に落ちた紙は、変わらず輝いている。

 そして、その光はさらに眩しさを増した。


 目を開けることも、難しくなる。

 いったい何が起きたのか、よくわからない。

 だけど──嫌な予感がしていた。


「朝日、今からコイツと戦って」


 六芒星の真ん中に、その魔物はいた。

 体長は、およそ5mほどだろうか。

 肉体は筋骨隆々で、肌は血のように赤い。

 顔はヒトのソレと酷似しているが、怒っている。

 さらに額からは、雄牛のような角が生えている。

 猛々しい腕に握るは、漆黒の金棒。


 文字通り、物語の中の鬼だ。

 虎柄のパンツこそ履いていないが、赤鬼だ。

 いや……そうじゃない。コイツは魔物だ。

 紅鎧大鬼、S級の魔物がそこにいた。


「……え?」


 母さんは、ニコニコと微笑んでいる。

 どうやら……聞き間違いではなかったようだ。


「母さん……正気?」

「レイラク様に挑む誰かさんよりは、ずっと正気よ」

「いや、でも……S級だよ?」


 退魔師のランクは、F~SSS級まで分けられる。

 それは魔物も同様であり、SSS級ともなれば国家転覆を行えるほどの戦闘力を誇ると言われている。S級の魔物もそこまでの戦力は有さないまでも、少なくとも街1つを壊滅可能なほどの戦力は有している。つまり……一学年が戦えるような相手ではないのだ。


 街一つを壊滅できるような魔物を召喚しておいて、母さんはニコニコと微笑んでいる。まさかとは思うが……本当に俺が紅鎧大鬼を倒せると思っているのか? 自分では正気と言っているが、俺からすれば十分狂っているように見えるが?


「レイラク様はこんな魔物なんかよりも、ずっと強いしずっと規格外よ。この程度の魔物も倒せないで、レイラク様を倒そうだなんて……そんなバカなことは言わないでね」

「で、でも……」

「それに紬麦ちゃんは、2日前に討伐済みよ」

「……え」


 彼女のことは才女だと思っていたが、まさかそこまでの実力を有していただなんて。想像を絶するほどの彼女の才能に感嘆すると同時に、少しの……対抗心が芽生える。俺と同い年の少女、いや……精神年齢的には俺の半分以下の少女。そんな女性に先を越されたという事実が、俺の心に火を灯した。


 ……そうか、紬麦は既に討伐済みなのか。

 だったら……俺も負けていられないな。

 それに母さんの言う通り、この程度の魔物も倒せないで、レイラク様を討伐するなんて……土台無理な話だ。だったら気合を入れて、この魔物の討伐に勤しまないとな。


「オガァアアアアアアア!!」


 紅鎧大鬼は轟く。その叫びに、木々が揺れる。

 恐れを抱く。やはり、怖いものは怖い。

 だけど──オマキ様の時ほどじゃない。


「……勝つしかないもんな!!」


 まだ死ぬわけにはいかない。

 その思いが、俺に勇気を授ける。

 紬麦だけは殺させない。

 その思いが、俺に活力を授ける。


 勝つ。必ず。絶対に。

 深呼吸をし、俺は構えた。

 《闘気》を、最大出力で上げて。

 


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 相手はS級の魔物、紅鎧大鬼だ。

 餓鬼や化鼠とは、比べ物にならない強敵。

 当然、油断なんてできるワケもない。


 緊張する。膝が震える。呼吸が浅くなる。

 だが、それでも、逃げるワケにはいかない。

 ここで逃げれば、レイラク様には絶対に敵わないから。


 故に、俺は覚悟を決めた。

 恐怖心に蓋をして、覚悟を決めた。

 こいつと戦い、勝つと決めたんだ。

 そう、勇ましく決めたのに──


「オガァアアアアアアアアア!!!!」

「《忌避盾》!! ……ん?」


 紅鎧大鬼の金棒の一振りを、ガードする。

 汎用型戦闘式の技の1つ、《忌避盾》を使って。

 骨が折れる覚悟で防いだのだが……違和感。


 何故だ、攻撃が軽い。ダメージがない。

 骨が折れるどころか、ヒビさえも入らない。

 衝撃はないわけではないが、かなり軽い。


「オガァアアアアアアアアア!!!!」

「……?」

「オガァアアアアアアアアア!!!!」

「……?」

「オガァアアアアアアアアア!!!!」

「……?」


 違和感を検証するべく、今度は何もしない。

 《闘気》以外には、何も発動させずに受ける。

 このまま吹き飛ばされる……ハズだった。


 何故だろう。まるでノーダメージだ。

 感覚としては、ぬいぐるみを投げられたような。

 その程度の、とても軽い衝撃が襲ってくる。

 何度殴られても、ダメージは皆無だ。


 俺を殴るたびに、金棒が曲がっていく。

 硬い物を殴った時のように、グニャリと。

 奇術師のスプーンのように、グニャリと。

 ……意外と素材は柔らかいのか?


「……《呪闘拳》!!」

「お、オガァアアアアアアアアア!?!?」


 俺の拳で、紅鎧大鬼は勢いよく吹き飛んだ。

 ゴム毬のように、何度も地面をバウンドして。

 何十本にも及ぶ、木々を薙ぎ倒しながら。

 やがて数十メートル先で、ようやく止まった。


 ……確かに、全力で殴りつけた。

 《闘気》の出力も、全力で出しながら。

 これまで以上に、本気で殴りかかった。

 だが──これは予想外だ。


「オ、オガァッ……!!」


 紅鎧大鬼は、満身創痍だった。

 丸太のような四肢は、右腕と左脚が折れている。

 筋骨隆々の身体は、骨が皮膚を突き破っている。

 片角は折れてしまい、左眼も潰れている様子だ。


 ……たった一撃で、このダメージ。

 正直、自分で自分が信じられない。

 何が起きたのか、自分でもよくわからない。

 この現状への理解が、まだ追いついていない。


「オ、オガァッ……!!」


 満身創痍の身体を引きずり、紅鎧大鬼が迫る。

 だが、そこに脅威は一切抱けない。

 先ほどまでの恐怖心は、完全に霧散した。

 今の俺の胸中は、余裕と困惑が占めている

 

 確かに、俺はトレーニングを積んだ。

 約2年の修行で、虎松に勝てるほどになった。

 身体だって、かなりキツい筋トレを課した。

 自分が弱いだなんて、思っていなかった。


 だが……結果は予想以上だった。

 S級の紅鎧大鬼を、たった一撃で瀕死の状態に。

 しかも、敵の攻撃はまるで通じない。

 正直……こんな結果は、予想外だった。


「……俺、自分が思っている以上に強いのか?」


 慢心、ではないだろう。これは事実だ。

 俺は自分の想像している以上に、強いのだ。

 まだ刻印術を発動していないというのに、ここまで圧倒できるほどに。


 心の中の困惑は、少し小さくなった。

 胸中を占めるのは、余裕という感情だけ。

 あれだけ怖かった紅鎧大鬼が、小さく見える。


 もう、何も怖くない。

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