第21話 母との修行 1/5
「修行を付けるなんて言っておいてなんだけど、推奨はしないわ」
数時間後、俺たちは近くの山に来ていた。
鬱蒼とした木々が、月の光を覆い隠す。
ホォホォと、フクロウの鳴き声がこだまする。
鍛えた視力でなければ、一寸先も見えない闇。
そんな中で、俺と母さんは向かい合っていた。
暗いので見えにくいが、母さんは悲し気だった。
声色だって、ひどく落ち込んでいるように伺える。
俺が強くなれるのに、どうして悲しいのだろうか。
母さんの悲しい表情など、やはり見たくない。
だが、それでも引き返すことはできない。
「それは中級術の習得に対して? それともレイラク様の討伐に対して?」
「両方よ。中級術の習得も、レイラク様の討伐も。そのどちらも、私は決して推奨はしないわ」
「……どうしてか、理由を聞いてもいい?」
母さんは、深く息を吐いた。
「最初に《闇蝕》について教えた時に説明したかもしれないけれど、この刻印術は術者にまで悪影響を齎すの。朝日の入院が長引いたのも、《闇蝕》が朝日の身体を蝕んだことが原因よ」
「だけど、身体を鍛えれば克服できるんだろ? いや……そもそも《闇蝕》には、状態異常無効の効果があるんじゃないの?」
「身体を鍛えれば克服できるっていうのは、初級術までの話ね。階級が上昇すれば威力や効力は上昇するけれど、その分反動も大きくなるわ。それに《闇蝕》はあらゆる毒への耐性があるけれど、瘴気だけは無効化じゃなくて蓄積しちゃうのよ」
「つまり中級術以上の術を習得すれば、人体への悪影響がさらに増すってこと?」
「えぇ、そのとおりよ」
そう言って、母さんは静かに自身のTシャツを捲り上げた。その動作は無言の重圧を伴い、何か恐ろしいものが現れる予感に満ちていた。そして、現れたのは──黒く炭化したような腹部だった。
肌はひび割れ、ところどころから滲む赤い血が痛々しい。まるで長い間、深い苦しみを耐えてきたかのような痕跡が刻まれている。その姿はあまりに凄惨で、一瞬で息を飲んだ。視線を外したくなるほどに胸を締めつける光景が、母さんの腹部だった。
「《闇蝕》の瘴気は術者に蓄積して、その寿命を縮めるわ。母さんだって……あと何年生きられるかわからないわ。朝日には──」
「……ありがとう、母さん。代償を教えてくれて」
「これを見ても……朝日は習得を希望するの」
「あぁ、覚悟は変わらないな」
対価が寿命であること、母さんが俺を心配してくれていること、隣にいる紬麦も心配してくれていること。この短い会話の中で、それら3つを俺は重く理解した。だがそれでも、俺の中の覚悟は消えていないが。
唯一の友人である紬麦を救うこと、そして俺のトラウマを払拭すること。それら2つを解決できるのだから、俺の寿命なんて安い物だろう。友人を失い、一生怯えて暮らす方が……よっぽど苦しいからな。
「次に確認したいんだけど……本当にレイラク様と戦うの?」
「あぁ、もちろん」
「……紬麦ちゃんも、わかっている?」
「……そうだよ、朝日くん。やっぱり、危険すぎるよ……」
「だが、他にレイラク様を倒すすべはないんだろ?」
「……ないことはないけれど、用意している間に何人もの被害者が出るでしょうね。私が行くのもいいけれど……朝日が解決したいのよね?」
「紬麦のためにも、そして俺のためにも……今回は俺が解決したい」
「でも……危険すぎるよ」
紬麦は泣きそうな顔で、こちらを見ている。
「そういえば、答えを聞いていなかったな」
「え?」
「紬麦はこのまま民間人を見殺しにしていいと、そう言いたいのか?」
「そんなこと言っていないよ!! だけど……朝日くんのことが心配なんだよ!!」
「大丈夫だ。俺は勝つからな」
「……負けたら死んじゃうんだよ?」
「既に一度経験している」
死ぬのは怖い。
だが、このままの人生はもっと嫌だ。
恐怖心に怯えるだけの人生など、無意味だ。
このまま怯え続ける日々では……前世で誓ったことを、何一つ成し遂げられないだろう。それは死ぬことよりも、ずっと恐ろしいことだ。
怖いのは怖い。
だが、覚悟は決まっている。
俺は必ず、トラウマを払拭する。
それでようやく、スタートラインに立てるから。
「……よくわからないけれど、本当にいいの?」
「何度も言っているだろ? 問題ない」
「……相手は想像以上に強いよ?」
「問題ない。俺もこれから強くなる」
「……本当にいいんだね?」
「もちろん、むしろ戦わせてくれ」
「……わかった。一緒に戦おうね」
紬麦も逃げてしまったことに負い目を抱いているからか、俺に呼応するようにして瞳に覚悟が宿った。今度こそ逃げない、今度こそ戦って見せる。その瞳は饒舌に、紬麦の覚悟を語っていた。
「……本当に戦うのね」
「あぁ、もちろんだ」
「お願いします。戦わせてください!!」
「……わかったわ」
俺たちの覚悟と願いが届いたのだろうか。
先ほどまでの悲しげな雰囲気が、消え失せた。
今の母さんにあるのは、絶対的な闘志。
文字通り、勇敢な戦士のそれだ。
母さんのこんな表情を見るのは、初めてだ。
おそらく、仕事ではいつもこの顔なのだろう。
つまり母さんは、真剣に俺を鍛えてくれる。
その実感が、何よりも嬉しかった。
「私も仕事を休んでいるからね。徹底的に鍛えるわよ」
「うん。よろしくお願いするよ」
「さっそく、いくわよ。相手は神様なんだからね!!」
「ビシバシお願い!!」
そして、俺たちの修行が始まった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
あの後に母さんから話を聞いたが、退魔師業界もレイラク様の暴走に気付いたようで、現在討伐に向けて動きがあるという。現状は結界を張って外には出れないようにしているらしいが、結界が破壊されるのも時間の問題らしい。俺たちは母さんがうまいことしてくれるから、結界内に忍び込めるらしいが。
残された時間は、ほんの僅かしかない。
この僅かな時間を、無駄にすることはできない。
がむしゃらに、鍛えなければならない。
ちなみに今回の修行では、俺と紬麦は別行動だ。俺は母さんから中級術を教わり、その間に紬麦は野山でサバイバル訓練を行っている。母さん曰く、紬麦には実戦経験が不足しているらしく、故に野山に放ったそうだ。たまに紬麦の悲鳴が聞こえてくるので心配になるが、ここは友達として彼女を信じることにしよう。
「それじゃあ、さっそくだけど中級術について教えるわね」
いくつかの退魔師の術は、ランク分けが成されている。
ファンタジー作品でいう、下級や中級みたいな感じで。
一部の退魔師の術も、強さでランク分けされている。
俺の《闇蝕》の術も、その1つだった。
これまで発動してきたのは、いわゆる初球の術だ。
《闇蝕》が覚醒したばかりの者が使う、基礎的な術だ。
術のランクは、1つ上がれば威力が格段に上昇する。
つまり中級術は、初級術よりも遥かに強力なのだ。
「中級術を覚えつつ、初級術の地盤を固めていくわよ」
「頼む、母さん」
「今のペースだと……覚えられる中級術は3つね」
「わかった。その3つを完璧にマスターして見せるよ」
「ふふ、気合入っているわね。だったら、まずは──」
母さんは足を八の字の形で立って、やや膝を曲げた。
空手で言うところの、
「呼ッ」と空気を勢いよく吐いて、呪力を練っている。
そして──
「《
刹那、母さんの身体が漆黒に染まった。
いや、正確には漆黒のオーラを纏った。
まるで黒外套を纏ったかのように、黒く染まった。
禍々しく、恐ろしい、そんなオーラを纏った。
母さんがオーラを纏った途端、俺の身体は動いた。
腰を深く落とし、拳を構えていた。
俺の身体は、勝手に臨戦態勢を取っていた。
オーラを纏った母さんを、敵と見なしていた。
頭では、母さんだとわかっている。
だが、身体は敵だと判断している。
最も恐ろしい相手だと、殺さなければならないと。
そんな判断を抱き、母さんに向き合っている。
鼓動が激しい。恐怖を抱いてしまう。
母さんは傷つけたくない気持ちが、心にある。
対照的に、目の前の敵を屠らなければならない。
そんなことを考えている、自分が存在する。
「さすがに耐性があるわね。これこそが《
ふッと母さんが息を吐くと、オーラは霧散した。
その瞬間、俺の中の恐怖心が消え去った。
母さんに抱いていた、敵愾心までも霧散した。
……アレはいったい、何だったんだ?
先ほどまでの俺は、明らかに異常だった。
最愛の母さんに対し、殺意を抱いていた。
尋常ではないほど、恐ろしいほどの殺意を。
同じく、悍ましいほどの恐怖も抱いていた。
「《
母さんは指を立てて、説明を始めた。
「まず1つ目は、身体能力の向上。瘴気のパワーで身体能力が向上して、さらに瘴気を纏っているから触れるだけで敵を腐食できるよ」
「《闘気》と組み合わせれば、強そうだ」
「2つ目はヘイトを集める能力ね。大気中に微量な瘴気を散布して、吸引した敵の脳を少しだけ腐食して弄るの。その結果的は平常心を失い、強烈な殺意を抱くってワケよ。散布する瘴気はあまりにも微弱過ぎて、術を解除した途端に腐食痕が瞬時に治ることには注意が必要よ」
「さっきの母さんへの怒りは、そういう理由か」
「朝日は瘴気への耐性があるから、理性を完全に失うことはなかったみたいね。だけど《闇蝕》の刻印術の相手なんて滅多にいないから、基本的にこの効果は有効よ」
「確かに。かなり強力な術だね」
相手の脳を直接弄れるなら、そのまま殺せばいいのに。
などという疑問は、ナンセンスだ。
瘴気は術者から離れるほど、その効力が落ちていく。
つまり遠距離から瘴気だけで殺害する、なんて戦法は絶対に取れないのだ。そもそもそんな方法ができるんだったら、武具を腐食してしまうデメリットを鑑みても、絶対に重宝されるハズだからな。
ともかく、やはり中級の術は強力だな。
冷静さを失わせるなんて、チートだ。
この術さえあれば、アイツの尊厳を破壊できる。
「ふふ、悪い顔しているわね」
「母さん、もっと教えてくれ!! 中級術を!!」
「えぇ、わかったわ。でも……呑まれないでね」
「?」
母さんの言っている意味が、俺にはわからなかった。
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