第14話 図書室と授業

  2024年4月5日、金曜日。

 その日、俺は図書室にいた。

 退魔学院の図書室は、とても広くて大きい。

 蔵書数だって、あらゆる図書館の中で世界一らしい。つまりこの世の本は、すべてここに存在するのだ。

 

「高校生の内容は……さすがに難しいな」


 前世の高校生時代は、何1つ問題が解けなかった。数学も理科も歴史も英語も、母国語の国語でさえも。あらゆる問題に、俺は苦戦していた。結局、何1つとして理解することはできなかった。


 前世の二の舞にはなりたくないので、俺は今のうちに予習をすることを決めた。入院中に昭二さんの方針から勉強も行ってきたので、中学までの内容はある程度固めることができた。昭二さんは「身体だけが仕上がっていても、それは半人前だ。頭と肉体、その両方が仕上がっていなければ最強とは言い難い」と言っていた。そんな昭二さんの方針により、俺はこの一年間で義務教育の内容はすべて叩きこまれたのだ。


「あ、朝日くん」

「ん、紬麦か。どうしたんだ?」


 歴史の参考書を読んでいると、紬麦がやってきた。彼女は、たくさんの参考書を手に持っている。……なるほど、彼女は勉強熱心だな。


「私も、勉強しに来たんだ」

「おぉ、素晴らしいな」

「えへへ……。隣いいかな?」

「あぁ、もちろんだ」


 椅子を引き、俺の隣に座る紬麦。

 ただそれだけの動作。なんてことない動作に。俺は……どうしても欲情してしまう。あぁ……恥ずかしい限りだ。中学生の運命さがだな。


 椅子を引くことで、そのたわわな胸が少したゆむ。

 席に着けば、大きなお尻が少し潰れる。

 椅子に着いた衝撃で、たわわな胸が揺れる。

 その動作に……ジョニーPOCOTINは限界だった。


「ごめん、ちょっとトイレ」

「え、あ、うん」


 10分後。


「お待たせ、紬麦」

「お帰り……。なんか……落ち着いているね」

「あはは、なんのことかな」

「それに……ちょっとイカの臭いがするね?」

「さ、さて!! 勉強を始めよう!!」

「う、うん?」


 危ない。バレるところだった。

 俺の最低な行為が、俺の劣情が。

 そんなもの、バレるワケにはいかない。


 しかし……ちゃんと手を洗ったんだけどな。

 高校生の濃さ、恐るべしだな。

 ……帰ったら、しっかりと身体を洗おう。


「じゃあ……紬麦は何の勉強をするんだ?」

「『退魔師歴史学』を、す、するよ」


 退魔学院では、退魔師の歴史について教えている。その教科の名前こそが、『退魔師歴史学』だ。まぁ……まんまな名前だな。


 それはともかく、俺は歴史学に造詣が深い。

 退魔師の歴史、気になるに決まっている。

 一般人であれば、知り得ない情報だからな。

 この世界に転生して、一番最初に勉強した。


「だったら、俺が教えてやるよ」

「いいの!?」

「あぁ、もちろんだ」

「ありがとう!!」


 目を輝かせる紬麦。

 ……本当に美人だな。

 つい、目を奪われてしまう。


「あ、朝日くん?」

「い、いや。なんでもない」

「……?」

「さぁ、始めようか」


 そして、俺は歴史学の問題を出した。


「最初は『呪力とは何か、答えよ』だ」

「呪素の集合体!! 原子番号125番の元素!!」

「正解だ。高2の内容なのに、素晴らしいな」

「えへへ……」


 呪素とは、大昔の退魔師が開発した人工元素だ。魔法のような性質を持ち、超常を越える力を持つ。そんな呪素を集め、魂に癒着したものこそが呪力だ。つまり呪力とは、呪素の集合体のことなのだ。


 ちなみに呪素がいつ頃開発されたかは、一切不明だ。開発者やどのように開発されたのかも、一切が謎に包まれている。性質に関しても、すべて解明されているワケではない。そんな謎に満ちた元素を、退魔師たちは使っている。……正直、たまに不安になる。使わざるを得ないが。


「……朝日くん?」

「あ、いや。なんでもない」

「そう……?」

「あぁ、次の問題に移ろう」


 謎が多いが、考えても仕方がない。

 とりあえず、次の問題を出そう。


「次は『魔物の構築元素を答えよ』だ」

「呪素!!」

「正解だ。続けて『魔物の発生方法を答えよ』だ」

「人の負の念が集まって、できる!!」

「それともう1つは?」

「不明!!」

「正解だ。素晴らしいな」

「えへへ……」


 魔物は呪素で出来ている。

 故に、呪術でしかダメージを負わない。

 故に、退魔師にしか知覚できない。

 魔物は、人の怨念から生まれるから。

 ……と、ここまではまだ理解できる。


 だが、稀に不可思議なことが起きるのだ。

 人の怨念と無関係に、魔物が出現することがある。そういった魔物も、呪素で構築されているようだ。……理由は、一切不明らしいが。


「そもそも、どうして魔物は現れるんだ?」

「え?」

「呪素はそもそも、人工元素だろ?」

「そうだね」

「教科書にも載っている通り、誰かが造ったものだ。そして魔物は呪素で出来ていて、主に人の負の感情から出現するだろ?」

「うん」

「おかしくないか? 呪素の発明以前にも、人は感情を持っていたハズだろ? それにどうして、呪素の開発と同時期に魔物が出現しているんだ?」

「つまり、呪素の開発以前から魔物が出現していないと、おかしいってことだよね?」

「あぁ、その通りだ」


 ひとつ、呼吸を置く。


「紬麦、俺はこう考えているんだ」

「えっと、ど、どんな考え?」

「魔物は退魔師が造り出した、って説だ」

「え、え……?」


 目に見えて、紬麦は困惑している。


「大昔、退魔師は呪素を開発した。理由はわからないが、大方強大な力を得る為とか、そんなところだろう」

「うん……」

「だが、呪素は人の扱える代物ではなかった。やがて呪素の力は暴走し、民間人にまで被害が出るようになった。つまり人の負の感情に応えるように、魔物を生み出すようになったんだ」

「えっと……す、推測だよね?」

「あぁ、あくまでも俺の推測だ」

「でも……あり得そうだね」

 

 だが、この話では説明できないところがある。負の感情以外から現れる魔物が、説明できない。どうして彼らも、呪素で出来ているのか。その理由だけが、どうしてもわからないのだ。


「おっと、もうこんな時間だな」

「そ、そうだね」


 時計を見ると、18時を回っていた。


「あ、帰らないとね」

「そうだな。また明日勉強しよう」

「うん!! またね!!」


 そして俺たちは、下校した。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「──で、あるからして」


 4月8日、月曜日。俺は授業を受けていた。

 初老の教師が黒板に流麗な字を書いており、眠気に誘う絶妙なボイスを放ってくる。実際に周りを見渡すと、2人3人と次々に夢の世界へと旅立つ生徒の姿が伺える。昼過ぎの一番眠い時間だということもあり、俺もギリギリ限界のところで意識を保っている。


 教師の声が眠たすぎるだけであって、その授業内容に関しては非常に興味深いのが残念で仕方がない。この授業は『世界神秘学』と呼ばれるモノであり、世界の退魔師のような職業について学べる授業だ。俺の心の中の中学二年生が世界の裏側を知れてワクワクしているのだが、相反するように肉体は瞼の重力を増していく。あぁ、眠たすぎる。


「──では、忌み児よ。この問題を解いてみよ」


 ……最悪だ、呼ばれてしまった。

 というか、一応先生なんだから……忌み児なんて蔑称で生徒のことを呼ぶなよ。授業内容が素敵なだけに、教師の人間性が残念で仕方がない。はぁ……この先生、嫌いだな。


 ……さて、そんなことはともかくだ。

 提示された問題は、『祓魔師エクソシストと退魔師の最大の違いについて、簡潔に語れ』というもの。祓魔師エクソシストとは西洋における退魔師のような人々のことだ、と先日図書室で読んだ本に記載されていた。その本には今回の問いの回答も記載されていたので、難なく回答することが出来る。


「神の存在です」

「……詳しく語れ」

祓魔師エクソシストは神からの力を授かり、聖なる力を振るって魔物を討伐します。対して退魔師は自身の呪力のみを頼りに戦い、神からの力添えなどは一切ありません。したがって神の存在こそが、祓魔師エクソシストと退魔師の最大の違いと言えます」

「……ふん、ナマイキだな」


 なんだ、それ。腹立つな。

 ……まぁ、怒りは鎮めよう。

 先生は悔しそうな顔を浮かべているからな。


 日本には八百万の多種多様な神々が存在するが、古来より退魔師に力添えをしてくれたことは一度たりともないという。どれだけ祈祷や儀式を重ねても、神々は日本人を救ってはくれなかった。故に日本人は呪力というものを開発し、自分たちの力のみを信じて魔物に対抗するしかなかったのだ。


 だが、西洋人は違った。

 西洋人は神に祈りを捧げるだけで、呪力に酷似した特殊な力を授かることができたのだ。故に西洋人は呪力の開発など行わず、授かった力を駆使して魔物を葬ってきた。何故日本の神々は退魔師を助けてくれないのに、西洋の神は力を授けてくれるのか……それは未だに謎であるのだが。


「我々の使う呪術はその生い立ち故か、神への敬虔な態度を取ると弱体化する性質を持つ。例えば神に祈れば呪力の効力は下がり、神に誓いを立てれば……最悪の場合、呪力が消えてしまうといった具合だ」


 だからこそ、2年前に病室で神に祈りを捧げた時……背筋に悪寒が走ったのだろう。俺の肉体は本能的に、その行いが危険な行為であることを察知したのだろうな。しかし……神への敬虔な態度を見せるだけで、呪力が消えてしまうかもしれないなんて……難儀なことだな。ただ例外的に、神社で参拝をしても何も弱体化しないのだから、変な話だ。


 ただ敬虔な行為とは真逆に、冒涜的な行為をすれば呪術は威力や効力を増すことが知られている。例えば裏拍手であったり、逆さ水を行うことなどのタブーを破ることによって、呪術は強さを増すのだ。もちろん西洋人たちは異なり、この辺のタブーを侵せば術の効力が弱まるのだが。ここまで真逆だと、少し面白く感じるな。


「先生、本当に神様は僕たちを助けてくれないのですか? 西洋とは違って、日本の神様っていうのは……そんなに意地悪なんですか?」


 と、1人の生徒が質問をした。

 その表情は、どこか不安そうだ。


 やはり神様という後ろ盾がないことが、少しばかり不安なのだろうな。日本人は無宗教の人が多いとはいうが、『お天道様が見ている』という言葉のある通り、なんだかんだ神様の存在を信じている人が多い。故に心のどこかで信じていた神様という絶対的な存在から、一切の力添えがないことが、どこか不明瞭な不安へと繋がっているのだろう。


 だが、残念なことに我々は退魔師だ。

 もちろん、彼の回答は──


「……あぁ、そうだ」


 え、なんだよ。その“間”は。

 そうだ、と回答するまでの数秒の間と、そこに至るまでに一瞬見せた難しい表情は一体なんなんだよ。まるで何かを隠しているような、絶対にバレてはいけない後ろめたいことがあるような、そんな表情を見せたが……何の意図があるんだよ。明らかにおかしいだろ。


 だが、先生の表情に気付いたのは、どうやら教室の中では俺だけのようだ。他の生徒は先生の放つ眠りのボイスにやられているか、あるいはマジメに授業を受けているばかり。紬麦に関しても、必死にノートを取っている。……気のせい、ではないと思うのだがな。


「さて、では続きだ。祓魔師エクソシストは1549年に日本に──」


 胸の中で肥大化する疑問を抱えながら、俺は夢の世界に旅立たないよう、必死に授業を受けた。 



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