第10話 復学試験 1/3【先生視点】

【先生視点】


「すみませーん、本日試験を受ける寺野です」


 8時55分。

 ガラガラと扉を開けて入室してきたのは、聞き及んでいた風体とまるで異なる男。低身長と聞いていたのに、185cmを越える長身。痩せぎすな身体と聞いていたのに、細マッチョな体格。話に聞いていた特徴とはまるで別人のようではあるが、その身体から醸し出される陰のオーラが例の実物であると多弁に物語っていた。


 彼が……忌み児か。

 教職に就いて早26年。世間一般的にはベテランと呼ばれる域に達している私でも、彼を前にすると脂汗がジンワリと滲み出てきてしまう。これまで不良生徒など数々の生徒を導いてきた私だが、やはり彼が忌み児たる所以を知っているので……正直に述べると恐ろしくて仕方がない。彼と出会ってしまえば恐怖の押しつぶされそうになることなど、事前にわかっていた。だからこそ、教室の場所は事前に教えなかったのだが……私はなんと運のない男なのだろう。


「……よく、この教室がわかったな」

「はい!! 紬麦に教えてもらいました!!」

「紬麦……? もしや江崎氏のことか?」

「えぇ、ご存じなんですか?」


 ご存じも何も、彼女はあの江崎家の娘だ。

 退魔師の重鎮の一族である彼女のことを知らない者など、退魔師の業界には存在しないだろう。……彼が軽い記憶障害を起こしているという話は、事実だったのだな。風体こそ異なるが、そこに関しては事前情報と合致しているな。


 しかし……そうか、彼女と旧友なのか。

 彼が自力でこの場に辿り着いたのであれば、適当な理由を並べて試験を行わない手もあったが……彼女が絡んでいるとなればそうはいかない。恐ろしくて仕方がないが、ここは試験を行わざるを得ないな。ただもちろん、彼を我が校に復学させるワケにはいかないので試験難易度はべらぼうに高めてやるが。


「あの、先生」

「なんだね」

「本当にこの教室で試験を行うんですか?」


 忌み児は教室を見渡し、そう呟いた。

 約40畳ほどの決して狭い訳ではないが、実技試験を行うにしては足りない教室。そんな教室にはクモの巣の張った彫刻やカビの生えたマットなど、もう使わない物品がところ狭しと眠っている。それもそのハズ、この教室は普段は物置として役目を果たしているのだから。忌み児の言う通り、物品が散乱した教室では実技試験など行えないだろう。


「……勉強不足だな」

「え?」

「はぁ……忌み児の足りない脳に教えてやるが、こういった呪物があるのだ」


 そういって、私はガラクタの中から1つの道具を取り出した。ガラクタの奥底にあったのでホコリが舞い散り……クシャミが止まらん!! まったく、清掃員は何をしているのだ!! いくら使用頻度の低い部屋だからと言って……と、そんな話はどうでもいいか。


 私が手にしたのは、30cmほどの道具。

 それは一見するとダンベルのようであったが、よく見れば球の部分にはフジツボを想起させるような穴が点在していた。穴からはフシュルフシュルと中年の吐息のように生暖かい空気が漏れており、取っ手の部分は漬け込んだ鶏肉のようにネットリとした粘液に覆われていた。触れるのも嫌だが、これを発動しなければ試験は始められない。


「それは……?」

「見ていればわかる」


 そして私は、呪物に呪力を注いだ。

 刹那、私たちは──校庭にいた。


「……え? え?」

「……この程度で驚くとは、無知蒙昧もここまで来るか」

「こ、これって……? さっきまで……教室にいましたよね!!」


 誰もいない校庭に、忌み児の不快な驚嘆の声が響き渡る。声変りをしたての中学生の声は、甲高さと低さの間にあり……実に神経を逆撫でる。他の生徒であればここまで苛立たないだろうが、彼に対しての恐怖心が未だに拭えず、それが反転してここまでの怒りを覚えているのだろう。


 しかし、まさかここまで無知とは……逆に恐れ入ったな。初等部で習うこの呪物のことを知らないとは、無知蒙昧などと言う言葉では言い表せないだろう。復学試験に学科がないのが、実に残念でならない。まぁ……実技で落とせばいいだけだな。


「これは『転移具』だ。呪力を流すことで、任意の場所に転移することが出来る。お前も我が校に至る時に母親から紙の転移呪符を預かったと思うが、これはそれの元となったものだ」

「な、なるほど……。え、でも……だったら、最初から校庭を集合場所にすればよかったんじゃないですか?」

「……」


 お前を落とすため、お前と出会いたくないため、ここ数十年は使用されていない教室に呼び出した。……なんてこと、言えるハズもないだろう。お前が1人ならまだしも、江崎家の後ろ盾があるのだから、余計に言えないに決まっているだろう。


 そのため、適当に笑いかけてお茶を濁す。

 彼に笑いかけるだけで、背筋が冷めてしまう。

 うむ……やはり、未だに怖いな。

 

「お、マジで試験やってんじゃん!!」

「忌み児の復学試験!! どんな醜態を晒すかな!!」

「2年前の忌み児、マジでクソだったもんな!!」

「マジでそれな!! 基礎術もロクに使えない、マジの劣等生だったもんな!!」


「え、でも……なんか聞いていたよりも、ずっとイケメンじゃない?」

「わかる。高身長イケメンだし、身体つきも……細マッチョよね!!」

「あれは忌み児だから好きになっちゃいけないことはわかっているんだけど……それでも!!」

「だ、ダメよ!! 落ち着きなさい!! アイツは愚鈍で厄災を呼ぶ、最低最悪の忌み児なんだから!!」


 忌み児の復学試験を楽しみにやってきた生徒たちが、ゾロゾロと見物にやってきた。久しぶりに復学した劣等性が復学試験を受ける様を、嘲りたいのであろう。私が彼らの立場であれば、きっと同じ行動を取るであろうから……ここは咎めないでおいてやろう。


 彼らの嘲笑を受け、忌み児の表情が曇る。

 その顔を見ていると……思わず笑みが零れてくる。

 あぁ、なんて無様な表情なのだろう!!


 忌み児の滑稽な姿を見ていると、先ほどまで抱いていた恐怖心が徐々に拭えていく。暗い表情を浮かべていることが……たまらなく嬉しく感じる。私があれほど怯えていた相手が、こうも教職という立場でなければ、きっと大笑いをしていたことだろう。


「……ごほん。それではさっそくではあるが、試験を始めよう」


 そう言って、私は指を鳴らした。

 すると目の前の地面が、突然ゴゴゴッと不気味な音を立てて割れ始めた。ひび割れた土から赤黒い煙が立ち上り、まるで地獄の門が開かれたかのように周囲の空気が重くなる。その裂け目から、金属が擦れる音が響き、何かがゆっくりと這い上がってくる。


 現れたのは、武者鎧を纏った案山子かかしだった。

 その鎧にびっしりとこびり付いた赤錆は古い年月が経っていることを彷彿とさせ、その案山子の頭部には真っ黒な布が巻き付けられている。ソレだけでも異様な光景だというのに、その布からは真っ赤な眼光が漏れ出していた。誰の目から見ても明らかな、呪物だった。


「第一試験、それはこの案山子を破壊することだ」


 私はニヤけるのを我慢しながら、そう告げた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「え、あれって……『荒武者の案山子』だよね?」

「昔ある天才退魔師が開発した、奇跡の一品だって聞いているぞ。特殊な呪術で強化されたその鎧は、S級魔物の攻撃さえも難なく耐えるって聞いたことあるぞ!!」

「それじゃあ……F級の餓鬼相手にすら苦戦する忌み児じゃ、あの試験は絶対にクリアできないってことじゃん!! 先生、ガチじゃん!!」

「まぁ……呪われた刻印術を持つような忌み児は、我が校にはふさわしくないもんな。ここで落としてやるなんて、むしろ先生は優しいよ」


 見学している彼らの声はボソボソと小さく、幸いなことに忌み児には届いていない様子だった。彼は忌み児であるから、ここで癇癪を起こして暴れてしまえば……私の手に負えないことになるかもしれないからな。まぁ幸いなことに、彼は自身が忌み児たる所以を知らない様子だから、感情のままに暴れたとしても最悪の結果は起こさないだろうが。


 何はともあれ、彼らの言う通りだ。

 私は忌み児を合格させるつもりなど、毛頭ない。

 その理由は当然、彼が忌み児だからだ。

 ただ……彼らの認識とは少し異なるが。


「この案山子を…破壊……ですか?」

「そうだ。制限時間は5分、始めろ」

「わかりました」


 そう言うと忌み児は、ゆっくりと両腕を胸の前でクロスさせた。動作には迷いもためらいもなく、まるで儀式のように静かで威圧的だった。そして、忌み児が一気に腕を上下に開くと、その間に現れたのは半月状の漆黒の刃。鋭利で黒光りするその刃は、一見すればただの漆黒の武器に見えるかもしれない。しかし、それは単なる刃ではなかった。


 瘴気で形成されたその刃は、生き物のように脈打ち、闇そのものが凝縮されたかのように禍々しく漂っていた。目にした瞬間、全身に冷たい恐怖が走り、背筋が凍りつく。刃から放たれる瘴気は、まるで自分の心に直接触れてくるようで、抗う術もなく恐怖が心を締めつけていく。


 ……文献では見たことがあるが、まさかこうして実際に災厄の力を目の当たりにするとは。それなりに生きた私の人生において、恐怖という一点だけであれば……本日ベストを更新した。これまで何度も任務に挑み、それなりの修羅場に遭遇してきたが……これほどまでの恐怖を抱いたことなどただの一度もなかった。


「《黒刃ルナムバリ》」


 忌み児が厳かに呟くと、漆黒の刃は案山子へと一直線に向かっていった。 


 ズパンッッッ


「「「「「「「「「……は?」」」」」」」」」


 いつの間にか集まった大勢の観客たちと、私の声が合致する。あり得ない現実に、素っ頓狂な声が漏れる。だって──フランスパンが案山子を両断したのだから。


「あら、意外と柔らかいですね」


 彼はニコッと微笑みながら、穏やかな声でそう言った。その微笑みは一見無害に見えるが、その裏には深い自信と余裕が感じられる。だが、もちろん、荒武者の案山子が柔らかいはずがない。例え上級の術であっても、簡単に切り裂くことは不可能だ。


 瘴気の特性については、心得ているつもりだった。だが、まさかここまで圧倒的な力を秘めているとは……。その現実を前に、驚愕と焦燥が胸を締めつける。目の前で展開された異常な力、その威力は常識を超えており、自分の理解を根底から揺さぶられる。私の膝は、恐怖に慄いている。


「お、おいおい……荒武者の案山子が両断だぞ!?」

「こ、こんなこと……あり得るのか!?」

「ま、まずできねェよ!! 先生でも無理だろ!!」

「だったら……目の前の現実は何なんだよ!?」

「知らねェよ!! トリックか何かだろ!?」


「あ、あれが……《闇蝕》なのか……?」

「な、なんて……悍ましいんだ……」

「あの術が忌み嫌われてきた理由が、なんとなく理解できたな……」

「荒武者の案山子がいとも容易く両断されたところを見るに、相当強力な術みたいだし……マジで危険だな。禍々しいし、疎ましすぎるだろ!!」

「でも……ルビ振ってそうな術名だったな……」


「アイツ……もしかして劣等生じゃないのか?」

「おいおい、さすがにそれはないだろ」

「そうよ。あの忌み児なのよ?」

「いや、でも……規格外になって帰ってきたんじゃないか?」


 一部の生徒と私の意見が合致する。

 私はもしかすると……トンデモない怪物を試験に受けさせてしまったのかもしれない。

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