第7話 筋トレと呪術 3/4

 それから3ヵ月が経った。

 この日は母さんが休みで、母さんが直々に修行を手伝ってくれた。


「ふぅ……」


 胡坐あぐらをかき、地面にドカッと座る。

 目を閉じ、深く集中する。

 身体から漏れる瘴気に、集中する。

 瘴気の流れを、まずは感じ取る。


 基礎術をようやくマトモに使えるようになってきた俺に、母さんが最初に課したトレーニング。それは、『瘴気のコントロール』だ。


「今の朝日は触れる物みな傷つける、ギザギザで危ない状態よ。まずは瘴気をうまくコントロールできるようにならないと、本当に危険だからね」

「ふぅ……」

「自在に瘴気を操れるようになれば、朝日は見違えるほど強くなれるわ。それに瘴気はいわゆる毒だから、完全に掌握することであらゆる毒などの状態異常にも耐性が付くわよ」

「それって状態異常無効ってこと?」

「えぇ、そうね。……って、集中しなさい!!」


 そうだ、集中。集中。集中。集中。

 息を深く吐き、深く吸う。

 身体から漏れる瘴気を、抑えるイメージを持つ。

 

「うーん……変ね」

「ふぅ……」

「私は1時間程度で、瘴気を掌握できたんだけどな」

「ふぅ……」

「かれこれ3時間。……未だにできないわね」

「ふぅ……」

「まぁ、朝日には朝日のペースがあるわよね」

「ふぅ……」


 それって、つまり俺には才能がないってことか。

 なんだか……とてもショックだな。

 刻印術さえも、才能がないなんて。


 いや、ショックを受けている場合じゃない。

 そんな暇はない。一刻も早く掌握しないと。

 集中、集中、集中、集中、集中、集中。


 ……………………………………………………

 …………………………………………

 ………………………………

 ……………………

 …………

 ……

 …


「ふぅ……ようやく終わった」


 あれからさらに5時間後、ようやくできた。

 だだ漏れだった瘴気が、今では掌握できた。

 完全にコントロール下に置けたのだ。

 今では自在に瘴気を操ることができる。


 母さんが1時間でできたことを、俺は8時間。

 何というか……とことん俺は凡夫なのだな。

 何の才能もない、本当にただの凡人。

 ……故に努力が光ると、前向きに捉えよう。


「お、できたわね。だったら、次は術の練習よ」


 母さんはそう言って、右手を前に構えた。

 そして──


「《黒槍ルナラク》」


 母さんの右手に握られるは、鋭利な槍。

 騎兵槍ランスを彷彿とさせる、攻撃的なフォルム。

 漆黒のソレは、闇の中にあってもいっそう昏かった。

 

 初めて見る、瘴気の術。

 俺が使いこなすべき技を見て、興奮する。

 だが、それ以上に俺は驚いていた。


「え、そんな……ルビのありそうな名前なの?」


 《闘気》や《蒼炎》など、術とはシンプルなものだ。

 《下級の火球ファイア・ボール》や《災いの魔剣レーヴァテイン》などではない。

 シンプルでわかりやすい名前こそ、退魔師の術だ。

 そのハズなのに……例外があった。


 どうして、異世界ファンタジー感のある術なんだ。

 なんだ、その厨二感のある術は。

 ただでさえ闇なのだから、これ以上要素を加えるなよ。

 精神年齢35歳のおっさんに、それはキツいって。


「え? カッコいいでしょ?」

「いや……え、俺がおかしいの?」

「ほら、つべこべ言わずに!! 母さんの真似をして」

「あ、はい」


 これまで見てきた術との乖離が激しい。

 だが、母さんには歯向かえない。

 そうだ、名前なんてどうでもいい。

 どんな名前でも、強くなれればいいんだ。


「《黒槍ルナラク》!!」


 若干の恥ずかしさを胸に、俺は修行に勤しんだ。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「痛てて……」


 母さんとの修行はとてもハードであり、全身がメチャクチャ痛い。剛体液のおかげで一晩眠れば、この痛みも傷も完治することは確かなのだが……それでも今痛いことに変わりはない。とにかく、さっさと病室に帰って眠ろう。


 痛む個所をさすりながら、いつものようにフラフラと病室へと戻る。病院の裏口から入り、3階にある俺の病室へ。鍛えてスタミナが上がったとはいえ、こんなボロボロの身体では階段はキツいんだけどな。だけど、エレベーターを使うのは──


「……ん?」


 と、そんな時だった。

 廊下の端に、1人の女性が見えたのだ。

 長い黒髪に、赤いワンピースを着た女性が。

 明らかに異常な、女性がそこにいた。


 まず目に飛び込んできたのは、その異常に長い手足。まるでザトウムシの脚のように細く、骨ばっていて、不自然なほどに伸びている。その手足は、まるで人間のものではなく、どこか虫のような、あるいは異形の生物を連想させるものだった。皮膚は青白く、ところどころに黒ずんだ斑点が浮かんでいる。まるで腐敗が進んでいるかのような、気味の悪い色合いだ。


 彼女の顔は長い黒髪に覆われていて、その髪はまるで排水溝に溜まったヘドロのようにべったりと濡れている。その髪の隙間から覗く目は、真っ赤に充血しており、異様に大きく見開かれていた。その瞳には、狂気と絶望が混在しており、まるで罪を背負った死刑囚のような、あるいはすべてを失った者の怨念が宿っているかのようだった。


 彼女の口元は不気味に引き攣り、笑っているのか怒っているのか判別がつかない。唇は乾燥してひび割れ、そこから覗く歯は黄色く染まり、不規則に並んでいる。口の端からは、まるで腐った液体のような黒い粘液が滴り落ち、床に落ちるたびにじんわりと染み込んでいく。


「──ッ」

 

 女性を目にした瞬間、背筋に悪寒が走った。

 恐怖の感情が、心を占めた。

 本能が、逃走を求めていた。

 それなのに、俺の身体はピクリとも動かなかった。


 金縛りだ。これはマズい。

 女性はゆっくりと、コチラに近づいてくる。

 ひたひたと、ぺちゃぺちゃと、床を濡らしながら。


「おめでとう、お兄ちゃん」

「坊主、おめでとう」

「おめでとう」「おめでとう」

「おめでとう」「おめでとう」

「おめでとう」「おめでとう」

「おめでとう」「おめでとう」

「おめでとう」「おめでとう」

「おめでとう」「おめでとう」

「おめでとう」「おめでとう」

「おめでとう」「おめでとう」


 どこからともなく、声が聞こえてくる。

 姿は見えないが、声だけがはっきりと耳に届く。いつも俺を応援してくれる幽霊たちの声だ。だが、その声は無機質で無表情な賞賛の言葉を繰り返すばかりで、異常なほどに不気味だった。耳にこびりつくようなその声が、俺の恐怖をさらに煽り立てる。


 なんなんだ、これはいったい。

 みんな、いったいどうしたんだよ。

 頼む、誰か……助けて──

 ──女性が、俺の目の前までやってきた。


「……ちがう」


 ねっとりと、じっとりと、耳元で囁かれる。

 我が子を失った母親のように、悲し気に。

 飼い犬を殺された少年のように、憤怒を込めて。舐められるような、生暖かい吐息を耳に感じて。


 俺は──意識を失った。


「オマキ様、ありがとうございます」

「ありがとうございます」「ありがとうございます」

「ありがとうございます」「ありがとうございます」

「ありがとうございます」「ありがとうございます」

「ありがとうございます」「ありがとうございます」

「ありがとうございます」「ありがとうございます」

「ありがとうございます」「ありがとうございます」

「ありがとうございます」「ありがとうございます」

「ありがとうございます」「ありがとうございます」

「ありがとうございます」「ありがとうございます」

「残念でしたね(笑)」

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