第6話 筋トレと呪術 2/4

「92……93……94……」


 ゆっくりと腕立て伏せを行う。

 これにはワケがあり、シャキシャキと早く行うよりも、ゆっくりと行う方が筋肉に効果的だからだ。時間をかけて行った方が、筋肉が育ちやすいと動画で見たことがある。だからこそ、俺はゆっくりと時間をかけて腕立て伏せを行っていた。


 腕の内側からプチプチと筋がして、その音が実に心地よく感じる。この音を聞いていると筋肉の成長を感じられて、自己肯定感がバカみたいに高まっていく。最初の内はしんどすぎて、この音にも気付くことが叶わなかったわけだが。かつて気付けなかったことに気付けたということで、成長に繋がっていると思うと……さらに自己肯定感が高まっていく。


「スゴいよ!! お兄ちゃん!!」

「坊主!! キレているぞ!!」

「いや、どこまで目指してンだよ!!」

「肩にデッカい重機を乗せる気か!?!?!?」


「仕上がっているよ!! 仕上がっているよ!!」

「腹筋を板チョコみたいにしようぜ!!」

「マスクドメロン!! 二人前!!」

「お前は筋肉の申し子だ!!」


 まるでボディビルダーのような掛け声を、周りの幽霊たちはかけてくれる。その数は12人と、最初に比べると3倍にまで増えている。俺が毎日のようにトレーニングを積んでいることに興味を持った幽霊たちが、日に日にこうして観覧に来ているのだ。その数が日に日に増えて行っているのだ。


 トレーニングを始めてから、早1カ月。

 俺の肉体は、着実に成長を遂げていた。

 見た目の変化こそ少ないが、筋肉が付いた。

 今では、100回の腕立て伏せもマシだ。


 最初は地獄のようにキツく、毎日のように心の中で軟弱な悪魔が甘言を囁いていた。俺の心は何度も日和ったことを考えながら、叱咤の声も日に日に弱まっていった。きっと俺1人だけでは、10日ほどで適当に特訓を終えていたことだろう。彼ら幽霊の声援がなければ、きっと今世も前世の二の舞となっていたことだろう。


「95……96……97……」


 人の目があれば、人は頑張れる。

 35年の人生を終わらせて、俺が辿り着いた結論がそれだ。自分1人だけでは不可能なことだって、誰かの目があれば完遂できる。特に男性は顕著なのだが、人に見られているとどうしてもカッコつけたがるからな。俺がそうであるように。


 幽霊の彼らが俺のトレーニングを、まるで監視をするかのようにずっと見ているので、俺はサボることができなかった。心の悪魔の甘言は日に日に強まっていくのに、幽霊の彼らがずっと俺のことを見てくる。それみ期待の眼差しを織り交ぜた視線で見てくるので、そんな彼らの前でサボることなんてとてもできなかった。


 最初は、そんな目で見るなと思った。

 だが、彼らがいたおかげで、こうして1カ月間も鍛えることができたのだ。鍛えなければ死ぬような状況に俺はあったが、それでも1人だけではきっと諦めていたことだろう。あまりのしんどさに自暴自棄となり、今世を諦めていたことだろう。彼らは俺の命の恩人であり、同時に今の俺がいるのは彼らのおかげだ。口にするのは気恥ずかしいので、心の中で彼らに感謝を伝える。


「98……99……100!!」


 やっと100回を終え、大の字で横になる。

 疲れた。めちゃくちゃ。相当に。

 だが、最初期ほどではない。

 時計を見ると、午前3時。上々だ。

 

 最初期はすべての科目を終わらせるころには、日が昇っていることが多かった。だが今では約3時間も時間短縮が出来ており、ここでも自身の成長を感じることができる。筋トレという事象のすべてが、自己肯定感の向上に繋がっている。


「スゴいね!! お兄ちゃん!!」

「坊主!! さすがだな!!」

「この調子なら、最強の退魔師を目指せるぞ!!」

「ほら、これを飲むんだ」


「あぁ、ありがとう」


 彼らからの賞賛と、1つの容器を受け取る。

 それはいわゆるシェイカーと呼ばれる容器であり、中にはドロッと粘性の高めな白濁職の液体が詰まっていた。何というか……絵面だけなら、相当に卑猥だな。だが今回に関しては、エッチな用途には使用しない。


 蓋を開き、中の液体を喉に流す。

 甘ったるく決しておいしくない味わいと、まるでハチミツのような粘性の強い液体。筆舌に尽くしがたい不快感が喉を流れていく。口から鼻に上ってくるのは、栗のような、あるいはイカのような、とにかく名状したくないタイプの臭いだ。見た目と相まって、嫌な想像をしてしまうから。


これは退魔師が開発した特殊なプロテイン、『剛体液』だ。市販のプロテイン以上に筋肉を増強してくれる上、微量ながら呪力も増加する。これのおかげでオーバーワークをしても、筋肉が萎むことなく成長を続けてくれているのだ。……ワガママを言っていいなら、もう少し見た目と臭いを何とかしてほしいが。


「それじゃあ、坊主!! 次の特訓を始めるか?」

「あ、はい。お願いします」


 これにて、本日の筋トレは終了だ。

 そしてこれからは、地獄の時間だ。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「ごらぁああああああああ!!」

「ぐッ……!?」

「どうした坊主!! その程度かァ!!」

「ぐぎッ……!?」

「その程度で、魔物からみんなを守れるのかァ!?」

「うぎぃッ……!?」


 その辺の木の棒を片手に、幽霊の1人である昭二しょうじさんと模擬戦を行う。《闘気》を発動して、全力で挑んでいるのだが……俺の一切が通じない。ブンブンと棒を振るうも、攻撃の一切が昭二さんに当たらない。逆に昭二さんの攻撃は、全て俺に命中してしまう。


 おかしい、強すぎるだろ。

 確かに俺の身体は鍛えたとはいえ、一般的な学生に劣る程度の身体能力だ。だがそれでも《闘気》を発動しているのだから、そのトータル的なスペックはプロ格闘選手に迫るほどだと自負している。それなのに昭二さんは《闘気》も発動せずに、俺の攻撃を軽々と躱している。俺に対して、ダメージを与えている。


「昭二おじちゃん、めっちゃ強いね!!」

「あぁ見えて、昭二さんは剣道4段に空手と柔道が5段だからな。武者修行として山籠もり中にクマを倒したこともあるらしいし、バリバリの武闘派だよ」

「それだけじゃなくて、いくつかの暗殺術も会得しているらしいぞ。生前は右手が毒手だったらしいし、あらゆる武器術にも心得があるらしいぜ」

「昭二さんの祖先は鎌倉武士だったらしいし、その鎌倉武士たちがやっていたトレーニングを幼少期から叩きこまれたらしいぞ。一時期は“東洋の鬼”なんてあだ名で呼ばれて、かの大国に畏れられていたらしいな」

「かの大戦でも徒手空拳で何人もの敵兵を葬ったらしいし、戦闘力はバケモノだぞ。呪力もないのに魔物を倒したことがあるらしいし、あの爺さんは規格外なんだよ」


 周りの幽霊観客たちの話を聞く限り、とてもじゃないが信じがたい話のオンパレードだ。だが実際に対峙している今、彼らの話が決して嘘偽りでないことが本能的に実感できる。この威圧感と強者特有のオーラ、間違いなく昭二さんは最強クラスの実力者だ。


 母さんのトレーニングに少し慣れた頃、俺は昭二さんの強さを耳にした。トレーニングにも慣れてきて、心に余裕が出てきたので、さらなる力を求めて俺は昭二さんに従事することにした。昭二さんは快く俺の頼みを快諾してくれ、そして今のようにトレーニングを付けてくれるようになった。


 昭二さんはべらぼうに強く、故に彼の下で修業を行えば……俺は確実に強くなれるだろう。それに母さんも少し前に言っていたが、《闘気》を含めたあらゆる呪術を成長させる一番の方法は実戦らしい。つまり戦いの中で何度も何度も使っていくことこそが、もっとも呪術を成長させる方法なのだという。


「ごらぁああああ!! 戦闘中だぞ!!」

「うぎッ……!?」

「もっと集中せんかァ!! 死にたいのかァ!!」

「お、押忍!! すみません!!」

「謝罪をする暇があるなら、もっと成長せい!!」

「お、押忍!!」


 《闇蝕》を使えばあるいは昭二さんに勝利できるかもしれないが、しかし今は基礎術から鍛える段階だ。何事も基礎を欠いてしまえば、すべてが疎かになってしまう。刻印術を練習する段階に、俺はまだいないのだ。


 それはわかっているが……ツラいな。

 呪術の練習ももちろんだが、実戦経験を積むことが出来て一石二鳥のトレーニングであることは確かだ。だが……ハードすぎて、いつか死んでしまうかもしれない。そんなことを考えながら、俺はいつものように昭二さんに従事した。

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