第3話 呪術と魔物

 この病院は少し変わっており、病院の敷地内に敷設された公園までであれば夜間の外出を許可している。そのため、こうして夜に俺が公園に出向いても誰も咎めない。小さな滑り台が1つしかない、あまりにも簡素で質素な公園にやってきた。


「さて……さっそく始めるか」


 21時。

 辺りは誰もおらず、練習に最適だ。

 

 退魔師の情報は一般人には秘匿されているらしく、術の発動を一般人に知られてはいけないという。前世の俺が退魔師の存在を感知できなかったのも、徹底された情報規制のおかげだろう。


 ふぅっと息を吐き、臍あたりに集中する。

 目を閉じて深く神経を集中させると、臍の奥側に暖かいエネルギーがふんわりと感じられた。そのエネルギーを例えるならば体温よりも少し熱い程度の、白濁色のドロッとした謎の液体。……そんな卑猥なエネルギー、呪力を臍に感じられた。


「……うッ」


 ──スゴいじゃない、朝日!!

 ──退魔師のスタートは、呪力を感じ取るところから。

 ──それができるなんて、スゴいわよ!!


 割れるような頭の痛みと共に、1つの記憶が脳内に流れてきた。それは10歳の時の、あまりにも尊い母さんとの記憶。初めて呪力を感じることができ、母さんから褒めたたえられた時の嬉しい記憶。その時に寺野朝日が抱いた、喜びの感情が痛みとともに脳内を駆け巡る。


 俺が目を覚ました時に流してくれた悲痛な涙からも察していたが、寺野朝日は相当母さんに愛されていたみたいだ。周りの子どもたちは呪力トレーニングを始めてから数時間で感じ取れていたのに、寺野朝日はおよそ2カ月もかかってしまった。それにもかかわらず母さんは俺を見捨てることなく、根気よく毎日のように俺に付きあってくれた。


「……芋づる式に他にも複数のエピソードを思い出したが、どれもすべて母さんの愛情を感じるものだな。悪いことをした時はちゃんと叱ってくれて、成長を感じられた時は素直に褒めてくれて……羨ましいな」


 ふっと、笑顔が溢れる。

 どうやら俺の予想以上に寺野朝日は才能がなかったみたいだが、それでも周りの人には恵まれたようだ。今のところ母さん以外の人物との関係は一切思い出せないが、仮に友人がいないなどその他の関係が劣悪だとしても……肉親がここまで愛してくれるのだ。どんな状況であっても、俺はきっと耐えられるだろう。


 それと同時に、深い後悔に苛まれる。

 前世においても、俺は決して肉親に恵まれなかったワケではない。たまに小言こそあれど、無職の俺を養ってくれて、確実に母さんは俺のことを愛してくれていた。それなのに俺は母さんをぞんざいに扱ってしまい、一度足りとも感謝も謝罪も述べることが叶わなかった。前世の母さんに会って俺の胸中を述べたいが、転生した身で会いに行っても困惑させるだけだろう。


 きっと前世の母さんとは二度と会うことは叶わないだろうが、せめて心の中だけでは懺悔と感謝を述べよう。そして前世の分も含めて、今世の母さんには感謝をしよう。それが俺にできる、唯一の贖罪だから。


「さて、集中しよう」


 頬を叩き、集中する。

 刻印術を『固有スキル』とするならば、基礎術は『汎用スキル』と例えることができるだろう。要は人それぞれで特性が異なる刻印術とは異なり、退魔師であれば誰でも発動可能であり、誰が発動しても同じ効果を得られる。それこそが基礎術の特徴だ。


 ひとえに基礎術と言っても、その種類は多様だ。

 その中でも、今回は《闘気》と呼ばれる術を発動しようと思っている。身体能力が爆発的に向上する効果を持つ、要は界〇拳や竜〇気みたいな基礎術。俺が唯一発動できる基礎術を。


「ふぅ……」


 白濁色の呪力をまるでオーラのように、全身に纏うイメージを強く想像する。俺は昔からアニメやマンガに造詣が深かったので、幼い頃からそんなイメージばかりをしてきた。前世から妄想でイメージしてきた俺にとって、オーラを纏うイメージをすることなど容易いことだ。


 そんなイメージをしていると、徐々に身体が火照ってきて、身体が軽く感じられるようになってきた。瞑っていた目を開くと、俺の肉体は黄金のオーラを纏っていた。夢にまで見た界〇拳や竜〇気のような、肉体を強化するオーラを纏っていたのだ。


「お、おぉ!! 《闘気》だ!!」


 喜びのあまりその場で少しジャンプをすると、軽く力を入れただけなのに2メートルほども高く跳躍することができた。棒切れのように細い脚から出したとは、到底思えないほどの脚力が発揮できた。感動と興奮のあまり、思わずニヤついてしまう。


 地上に降り立つと、両手をニギニギと数回握りしめる。これは俺の予想を遥かに超えて……凄まじいパワーだな。垂直飛びで2メートルの跳躍なんて、オリンピック選手でも到底不可能な芸当だろう。それを可能になってしまうなんて……まるでコミックの主人公にでもなった気分だ。


「でも、これで……退魔師界隈の中では才能がない方なんだよな。つまり同年代の退魔師たちは、これ以上のパワーを有しているということで……なんだか腐ってしまいそうだな」


 ハァッと、ため息を漏らす。

 だが、すぐに頬を叩いた。


「ダメだ。前世の二の舞になってしまうぞ」


 自分を戒めるように、強めに言葉を発する。

 前世で俺が失敗した大きな理由は、腐ってしまったことと言えるだろう。才能がなく努力もせず、人生を貪りながら日々を過ごしたことで……何者にもなれずに息絶えてしまった。転生できたことには感謝しているが、前世の行いのすべてを未だに後悔している。


 そんな前世のようには、なりたくない。

 今度の人生においては、成功を収めたい。

 何があっても、絶対に。

 だからこそ、腐るワケにはいかない。


「とりあえず、《闘気》をもっと──ん?」


 そんな中、変なものを発見した。

 暗い公園の端の方に、2人の人影が伺えた。

 最初は気付かなかったが、《闘気》を発動したことによって視力が向上したのだろう。それと同時に夜目などの感覚が向上し、認知が可能になったのだろうな。と、考察はさておきだ。


 最初に見えたのは、立ち尽くしている少女。

 夜の暗闇では目立ちにくい紺色のブレザーを纏っており、スカートの色も暗めの制服を着ている。背丈は比較的高めであり、169cmほどだろうか。顔立ちは伺えないが、背丈から察するに俺よりも少し高めのように感じられる。寺野朝日の身長は150cmほどだからな。


 その女性の前にいるのは……なんだ、あれ。

 背丈は80cmほどと、かなり小柄に見えるが……幼児のような純粋さはまるで感じられない。ハゲあがった頭やシミだらけの皮膚からは老人のような印象が強く感じられ、腹部はまるで妊婦のように膨れ上がっている。手足に関しては腹部とは対照的に、枯れ枝のように痩せさばらえている。


「餓鬼……なのか?」


 前世で読んだ妖怪大辞典的な本のイラストに、あの怪物に酷似したものが記載されていたことを思い出した。常に飢えと乾きに苦しみながらも、決して救われることのない哀れな怪物。かつて読んだ本には、おどろおどろしいイラストと共にそのように記載されていた。


 ……そうか、あれが魔物か。

 魔物は基本的に、霊感がないと目視できない。

 つまり彼女にも、見えていない可能性が高い。

 この場で彼女を助けられるのは──


「……俺だけ、なんだな」


 ……勇気が出ない。

 初めて見る魔物の姿に、ビビってしまう。

 前世を含め、ケンカもしたことないので……怖い。

 人と戦ったこともないのに、魔物と戦えなんて無茶だ。


 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。

 膝が震える。顎が鳴る。身体が震える。動悸が激しい。

 あまりにも怖すぎる。だけど──


「……勇気を振り絞れ、俺……!!」


 頬を叩く。1度、2度、3度、4度、5度。

 拳を強く握る。震える膝を殴る。

 思い切り、歯を食いしばる。


 彼女を見殺しにするのは、俺の気持ち的によくない。

 そんなことをすれば、一生のトラウマになる。

 彼女の為にも、俺自身の為にも、戦わないと。


「う、う、うぉおおおおおお!!」


 大きく叫んで、俺は駆けた。

 餓鬼が狙う、彼女の下へ。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 

「オマエ、ウマソウダ」

「や、やだ……」

「オンナノニク、オレダイスキ」

「こ、こないで……」

「ヘヘ、オビエロ。コワガレ」

「だ、や、やだ……」


「《闘気》ィイイイイ!!!!」


 黄金のオーラを纏い、飛び蹴り。

 だが……俺の攻撃は外れた。

 公園の木を1本倒し、地面を転がる。

 ……痛みはないが、恥ずかしい。


 地面に衝突したことで、砂埃が発生する。

 そのせいで……2人の表情が伺えない。

 いや、それどころか……2人の姿も見えない。


「ナ、ナ、ナンダ……?」

「と、《闘気》……?」


 姿は見えないが、声は聞こえた。

 カタコトの言葉を発したのは……そこだ!!

 人差し指を、声の方に向け──


「パァンチッ!!」


 だぁんッと、目を瞑って大ぶりのパンチ。

 砂煙のせいで、どうなったのかわからない。

 だが、何かが破裂する感触があった。

 これで死んでくれていれば、いいのだが……。


 10秒、30秒、1分、5分。

 5分が過ぎ、ようやく砂煙は霧散した。

 そこにいたのは、少女1人だけ。

 魔物は死後、光の粒子となり、死体は残さない。

 なので、これで倒せたと……思いたい。


「え、あ、え……」


 女性は困惑していた。

 何が起きたのか、わかっていない様子だ。

 まぁ……その反応は当然か。


 とりあえず、どうしよう。

 こういった時、どうすればいいのかわからない。

 女性との接点なんて、一度も経験ないのだから。


「えっと……た、倒したよ」

「えっと……ど、どうして助けてくれたんですか?」

「……困っている人がいれば、助けるのが普通だから?」


 そんなこと、急に言われても困る。

 思わず、誰かの受け売りを話してしまった。


「ともかく、これで大丈夫だよ」

「は、はい。……あ、ありがとうございます……!!」


 ぺこりと頭を下げ、女性は去っていった。

 感謝を伝えられて、偉いじゃないか。

 うんうん、教育の行き届いた女性だな。


 ……というか、今さらだが。

 あの女性、餓鬼が見えていたな。

 それに《闘気》のことも知っている様子だった。

 となると……同業者か?


「まぁいいや。とにかく……勝てたな……!!」


 初めての戦闘。初めての討伐。初めての勝利。

 三冠を達成し、胸中に喜びが去来する。

 小躍りしたくなるほど、心が滾っている。

 勝利とは……こんなにも嬉しいものなのか。


 全身の血液が湧き立つような、激しい喜びを抱く。

 動悸が先ほど以上に激しくなり、自然と笑顔になる。

 身体が震える。恐怖ではなく、喜びで。

 勝利とは……こんなにも湧き立つものなのか。


「母さんに報告できないことだけが、残念だ」


 母さんに報告すれば、間違いなく心配される。

 危険なことをしたと、怒られるかもしれない。

 母さんを心配させたくはないので、報告はしない。

 今回の件に関しては、俺の中だけに留めておく。


 ただ……うっかり口を滑らせそうで怖いな。

 口に硬くチャックをしておかないと。

 変な匂わせ発言とかしてしまいそうで、怖いな。

 同窓会で武勇伝を語る男の気持ちが、少しわかった。


「とりあえず……戻るか」


 英雄の凱旋。

 そんな気分で、俺は病院に戻った。

 あぁ……気分が良いな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年11月30日 22:01
2024年12月1日 22:01
2024年12月2日 22:01

疎まれスキルの転生退魔師 〜周りを見返すために努力を重ねた結果、気付けば最強になっていました〜 志鷹 志紀 @ShitakaShiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画