二章

第42話 夜会での失敗


「やってくれましたね。エルヴィン!」

 いつも冷静なコンラートが俺の前で目を吊り上げている。その腕は俺を逃さないと袖に皺が寄るほどに強く掴んでいる。

 俺もこんな風にハルが傷つくような噂が流れるとは思っていなかった。ちょっと邪魔な奴らを牽制しようと思っただけだ。

 ハルが『聖人』と教会に認定されてから、クリスラー侯爵はずっとハルに届く釣り書きを「成人するまではお受けしません」と断り続けていた。


 国内唯一の『聖人』を身内に引き入れたいと思う貴族は多い。教会までもがハルを引き入れようと圧をかけてくるくらいだ。クリスラー家は侯爵だから下級貴族は手を出しづらい存在ではあるが、それを無視して連れ去ろうとしているような動きも確認していた。

 きっとハルは気付いていないが、王都近郊の街に行く途中で何度か賊が接近したこともあると近衛に聞いてる。

 だから王家がバックについているということを見せつけるために、水色のチーフをハルのポケットに入れた。

 それは建前だ。本音はハルを誰にも取られたくなかった。


「今の婚約をどうにかしてからでないとハルトに迷惑がかかります! 順番を間違えないでください。でないと私が身を引いた意味がありません!」

 そうコンラートに詰め寄られた。分かってる。幼少期から知っているが、コンラートが他人にこれほどまで執着するのを見るのは初めてだった。コンラートもきっとハルと一緒になりたかったんだろう。

 家のためか、ハルのためか、卒業するときにハルから身を引くと俺に伝えてきた。

 それ以降、俺たちの卒業パーティーまでは気持ちの整理をするためなのか、ハルの前には姿を見せなかった。


 順番……痛い言葉だ。

 婚約当時は、ハルにも妹のローゼマリーにも興味はなかった。ただ澄ましたいかにも淑女という令嬢とは少し違う雰囲気のローゼマリーを面白い女と思っただけだった。

 ハルは確かに初対面から可愛かったが、婚約者の兄としか認識していなかった。それなのに首席を奪われ、王妃教育に来いと命じたのも初めは意趣返しというか彼の勉強時間を減らしてやろうと思っただけだった。

 変わってしまったのは学園の二年に上がったばかりの頃、一年の火魔法が暴走して俺が死にかけた時だろうか。

 意識を取り戻し痛みが引いていく中で、光に包まれたハルがとても美しかった。銀色の髪もその胸の前で組んだ細い指も、伏せられた睫毛までも全てが美しかった。この人が俺の運命だと思った。


 すぐに父上にローゼマリーとの婚約解消とハルとの婚約を願い出たが却下された。

 当時はまだ兄上に子がいなかったからだ。兄上が王を継いだとして、王子が誕生しなければ王家の血が絶える。そのため俺にも子を成せる相手としか結婚は認めないと言われたんだ。

 そしてしばらくするとハルは『聖人』と認められた。

 そのため余計にハルとの婚約は難しくなった。例え兄上に王子が誕生しても、俺が聖人を迎えるとなると王家が聖人を独り占めする気だと言われるからだ。

 その点、ローゼマリーであれば聖人であるハルの身内であり、聖人と縁続きにもなる。聖人と認定される前にローゼマリーとの婚約を取り付けた俺のことを父上はそれはもう盛大に褒めた。

 俺はそんなことより、ハルがいいのに……


 そのうちに兄上の奥方が妊娠し、俺は子の誕生を今か今かと待った。王子さえ産まれればハルを迎えられる可能性が上がる。

 しかし兄上に王子が産まれたのに、父上は首を縦に振らなかった。その後も交渉を続けてみたが、いい返事はもらえないままハルがまさかの騎士学校の試験に不合格という結果……

 恐ろしくて仕方がなかった。

 学生でもない、仕事もないとなれば、すぐにでもハルがどこかの婿に出されるのではないかと。


「焦っていたのは認める……」

 コンラートに睨まれて、俺は自分の失敗を認めた。コンラートにそれを認めたからといって、この状況が改善するわけではないが、黙っているわけにはいかなかった。


「ハルトさんを守れないのなら俺が掻っ攫うからな」

 いつの間に会場に紛れ込んだのか、マルセルまでそんなことを言ってきた。

 きっとコンラートもマルセルも、ハルに近づく輩たちを排除するために来たんだろう。

 マルセルなど騎士の格好をして、無理に紛れ込んだことが丸分かりだ。そこまでしてでもハルを守りたかったんだろう。俺も同じはずだったのに。


 どんな説明をしても苦しい言い訳にしかならない。少し考える時間を……

 そう思っていたのに、第三騎士団団長のファビアンがスマートにその場を収めてハルを攫っていった。


「やられた」

 俺が呟くと、マルセルが落胆したように肩を落とした。

「あ〜、あの手際のよさは流石としか言いようがない」

「完敗ですね。彼は最年少で団長になるほど強いだけでなく、人柄もいいと聞きます。この場は彼に任せましょう」

 コンラートまであいつの味方をした。


「無理だ。俺はこのまま二人を見送るなどできん」

「そうは言っても……」

 コンラートが止めるのも聞かず、俺は腕を振り解いて不自然でない速さで歩みを進めハルたちを追った。

 会場を出て廊下に向かうが、そこにはハルの姿もファビアンの姿もなかった。

 帰ったのか?

 馬車乗り場まで向かうと、ファビアンの姿を見つけた。


「ハルは?」

「家に帰しましたよ。今日はもう会場に戻ったとしても好奇の目に晒されるだけですから。私も帰るところです」

 一足遅かったようだ。そうだよな。あんな会場になど戻れないよな。

 悔しい気持ちに拳をグッと握りしめていると、ファビアンが口を開いた。

「殿下、ハルトくんの立場を守れないなら身を引いて下さい」

「なんとかする。大切なんだ。誰よりも」

「それを私に言ってどうするんですか、本人に言って下さい」

 そう冷たく言い放たれ、言い返す言葉がなかった。


「あなたの立場が難しいことは理解しています。結果を急がずしっかりと地盤を固めて迎えにいけばいいのでは? 私はハルトくんの味方なので、殿下であっても彼を幸せにできないと判断すれば排除します」

「分かった」

 随分挑発的な言葉を使う奴だとは思ったが、この言葉の裏を返せば、ハルが幸せになれないような相手は近づいてもこいつが排除してくれるということだ。俺の準備が整うまで、時間稼ぎをしてくれるということか?

 それなら利用させてもらうとしよう。


 兄上の第二子が春ごろには産まれる予定だから、それがまた王子であれば父上も認めてくれるかもしれない。俺たち兄弟だって男は二人だ。二人いれば替えもきく。

 俺は、ファビアンにまた話を聞きにいくと告げて、会場に戻った。

 あまり長く会場を離れて、また良からぬ噂を流されたらたまらないからな。


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