第26話 コンラートイベント


 何もなかった。忘れよう。そう思っていたのに、ベッドに入っても全く眠れなかった。

 抱き締められた時の殿下の感触が、その鼓動が煩いぐらいに耳に響いてくる。

 いや違う、この鼓動は自分のものだ。一人で思い出してドキドキして眠れないとか、本当に僕はどうしてしまったのか。

 あまりにも眠れないため、こっそり部屋を出て食堂に向かった。


 きっとこんな時間には誰もいない。そう思ったのに、食堂の方から灯が見えたんだ。教師か騎士たちが明日のことを話し合っているのかもしれない。

 近づいていくと、話し合いをしているにしては随分と静かだった。


「コンラート先輩、こんなところで何をしているんですか?」

 食堂にいたのはコンラート先輩一人だった。先輩の手元には書類のようなものが何枚か置いてある。まさか合宿に来てまで生徒会の仕事をしているんだろうか?


「ハルト、眠れないのですか?」

「ええ、まあ……」

「私は規則違反をした生徒の反省文を確認していました」

 一日目にして既に規則違反をした生徒がこんなにいるのか……

 僕は少し呆れながらも、コンラート先輩の隣の席に座った。


「反省文の確認をなぜ先輩がやっているんですか?」

「あれを見てください」

 コンラート先輩が指差す先には、ワインなどの酒瓶が木箱に山積みになっていた。教師たちはきっと酒盛りをして酔って仕事ができなくなり、コンラート先輩に押し付けたということか。

 コンラート先輩のことだ。仕事を受けつつも、帰ったら学園長辺りに教師の失態をきっちり報告するんだろう。


「僕も手伝います」

「ありがとう、助かるよ。ハルトはいつも優しいな」

 そんなことない。誰にでも優しくするわけじゃない。もっと優しい人間ならば、聖職者になって慈善活動に勤しんだり、人のためにともっと尽力できると思う。僕は……邪な考えを持って眠れなくなった。優しいと言ってくれた先輩には、こんなこと絶対に言えない。

 本当の僕は、自分の欲望すら抑え込めない身勝手な人間かもしれない。


 生徒が書いた反省文は面白かった。反省文なんて書いたことがないし、人が書いたものを読んだこともなかったから、どんな内容なのかと気になっていたんだけど、弁明や懇願が多かった。

『もうしません。ちょっとはしゃいだだけです。許してください』というような内容が多かった。友人と遠出できるのは楽しい。彼らの気持ちも分からなくはない。

 彼らがどんな規則違反をしたのかというと、未成年では禁止されている酒類が鞄から出てきたり、施設の備品を壊したり、森で許可なく火魔法を使って火事を起こした。

 あとは逢瀬だ。森に騎士を同行せず勝手に入って抱き合ったりしていたらしい。


 背筋を冷たい汗がツーッと伝った。あれは逢瀬ではない。だが、抱き合ったというのは否定できない。僕も、あの騎士たちに見つかったら反省文を書くことになったんだろうか……


「ハルト、大丈夫ですよ。私たちの今の時間は逢瀬ではありません。仕事を手伝ってもらっているだけで、必要以上の接触はしていませんから」

「そう、ですね」

 僕が顔色を変えたのを目ざとく見つけてしまったコンラート先輩は、僕のことをフォローしてくれたけど、僕の頭に浮かんでいたのは今のことではないんです。


 反省文の確認が一通り終わると、反省文の書き直しが必要な生徒の洗い出しと、今回だけは許してもいい生徒を分けていった。

 中には『好きな人と会うのに反省などない!』と反省文に殴り書きしている生徒や、『先生方は真実の愛を知らないなんて可哀想』などと訳の分からないことを書いている生徒もいて、それは合宿中にわざわざすることではないと書き直しのところに名前を追加した。


 なぜ合宿中に生徒たちがそんなことをするのかというと、大半の生徒が貴族だからだ。常に従者が付いたり、侍女が付いたり、護衛に囲まれている状況では、好きな人と気軽に会えない。もちろん婚約している者同士であれば会えるには会えるんだけど、未婚の状態で抱きしめるなどの過度の接触は好ましくない。ダンスであれば別だが、未成年の間は体が密着するようなチークなどは基本踊らないんだ。

 身分が違うと婚約できなかったり、中には婚約者がいても他の人に走ったり、婚約者がいる相手にアプローチしたりという生徒もいるのだと、コンラート先輩が教えてくれた。


 まるで僕が責められているような気持ちになる。いや、責められて当然だ。僕は最後まで反省しきりだった。


「遅くまで手伝わせてしまって申し訳なかったね。もう部屋に戻って寝なさい」

「はい」

 僕の口数が減っていくのを眠いと勘違いしたコンラート先輩に、部屋に戻るよう言われた。

 これ以上話を聞いていたら、もっと気分が落ち込んでしまいそうだった僕は、「おやすみなさい」と告げて部屋に戻った。


 いけないことだと分かっていた。すぐにエルヴィン殿下を振り解くこともできたのに、それをしなかった僕にも責任はある。僕は部屋に戻ると窓辺の月明かりの下で、提出されることのない反省文を書いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る