第25話 エルヴィンイベント


 部屋の窓から森を眺めていると、エルヴィン殿下が一人で森に向かって歩いていくのが見えた。

 森に行く時は騎士を伴って行かなければならないと言っていた教師の言葉を聞いていなかったんだろうか?

 殿下が危険な目に遭ったら大変だと、僕はすぐに殿下を追いかけることにした。それにヒロインと会ってしまうかもしれない。

「エルマー、殿下が一人で森に向かって歩いてるのが見えたから、僕はすぐに追いかけるね」

「ん? 分かった。気をつけて行けよ」


 エルマーに伝えておけば、きっと大丈夫だ。とにかく急がなければ。殿下を見失ってはいけないと僕は全力で廊下を駆けて森へ向かった。

 どっちだ? 殿下が向かった方向へ向かったけど、殿下の姿はどこにもなかった。

 きっと奥までは行ってはいない。左右を確認しながら道なき道を進んでいく。小さなナイフで草や枝を払いながら向かっているけど、本当にこんなところを殿下が通ったのか疑わしくなってきた。

 でも、探さないなんてことはできない。


「エルヴィン殿下! 探しましたよ」

「ハル?」

 小一時間探して、ようやくエルヴィン殿下を見つけた。小さな湖というか池のようなものがあって、その周りには小さな白い花がたくさん咲いていた。そこにエルヴィン殿下は一人で佇んでいたんだ。


「森に一人で入ってはいけませんよ。騎士を同行して入るようにと教師が言っていたことを忘れましたか?」

「ハル、さすが優等生だな。一年のAクラスの女が『婚約者のことで話があるから森で待っている』と言ってきたんだ」

 それって本当のこと? もしかしてヒロインが殿下と二人きりになるために仕掛けてきたんじゃないの?

 いや、違うな。アメリー嬢はBクラスだと聞いている。だとしたら誰がそんなことを……

 思い当たる節がないわけではない。殿下の婚約者候補と言われていた令嬢たちだ。婚約者候補と名が挙がったこともないのにローゼがサッと婚約者の座に着いたのが気に入らない令嬢はいるだろう。


「それでその女はどこにいるのです?」

「どこにもいない」

「それって殿下をどうにかしようとした令嬢だったりしませんか?」

「そうかもな。でも、ハルと二人きりになれたからいい」

「はい?」

 殿下の婚約者はローゼであって僕ではない。なぜ僕と二人きりになってそんな嬉しそうな顔をするのか全然分からない。


「ハル、待ってろ。必ず……な」

「なんのことですか?」

 ここで一人置き去りにされて待たされるのは少し不安だ。魔物が出るかもしれない。まだ僕は魔物と戦ったことがないから、一人で戦うってのは少し怖いんだ。


「今だけだ。抱きしめさせろ」

「ちょっ、待っーー」

 何を言っているのかと思ったが、その瞬間に殿下は僕のことを本当に抱きしめた。これはもしかして悪戯だろうか?

「シィー、静かにしろ」

 そう言って殿下に包み込まれたまま木の影に移動すると、近くを騎士が通った。


ーー「こんなところまで生徒が来るか?」

ーー「どうだろうな? 何人か勝手に森に入ったと聞いた」

ーー「どうせあれだろ逢瀬。あ〜俺も早く彼女がほしい」

ーー「仕事中だぞ、黙って探せ」


 騎士が通り過ぎるまで、僕はずっと殿下の腕の中だった。殿下の鼓動が聞こえて、そして殿下の匂いがした。

 いけない、こんなこと……

 僕は殿下の婚約者の兄だ。それ以上でもそれ以下でもない。それなのに、殿下の温度が心地いいと思ってしまったんだ。


「放してください」

「ハル、お前……」

「僕、先に戻ります!」

 僕は殿下の腕を無理やり解いて、騎士団の施設へ向かって走った。

 顔が熱い。違うんだローゼ、これは違うんだ。ちょっとびっくりしただけで……

 よし、なかったことにしよう。僕は殿下と会っていない。殿下が森に歩いていった気がして探しに行ったけど見つからなかった。だから僕は誰にも会ってないし何も見てない。何も起きていない。


「ハルト! どうした? 汗だくじゃないか」

「大丈夫か?」

 森から走って出てきた僕を見つけたのはエルマーとクルトだった。

「うん。森に入ったんだけど、魔物が出るかもって思ったら怖くなって、それで……」

 ものすごく言い訳じみた答えだが、こんな内容で二人は納得してくれるんだろうか?


「それ分かる! 俺たちまだ魔物なんて見たことないし戦ったことないもんな。やっぱ森に行く時は騎士に付き添ってもらおうぜ」

「うん。それがいいよ」

 よかった。二人とも納得してくれた。


 しばらくしてエルヴィン殿下は騎士と一緒に戻ってきた。さっき巡回していた騎士に見つかったのかもしれない。僕はその後、エルヴィン殿下のそばには行けなかった。行けなかったというか避けていた。


「ハルトさん、どうしたんですか?」

「なんでもないよ。この機会に色んな人と話してみたいなって思ってるだけ」

 マルセルくんに見つかると、なぜか心配された。僕は何もない、何も起きてないと自分に言い聞かせた。

 マルセルくんは顔が広く色んな人に紹介してくれた。裏表なくサバサバとした性格だから男女問わず慕われているようだ。

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