第19話 マルセルくんの変化


「ハルトさんに褒められるのは心地がいい。先日隣のクラスの女子に格好いいと言われたんだが、何か違ったんだ。なんというか口先だけに思えた。それに比べてハルトさんの言葉はグッと胸にくる」

「そう? マルセルくんはいつも頑張っているし、またちょっと背筋が大きくなった?」

「気づいてくれたのはハルトさんだけだ。嬉しい。触ってみる?」

「え? いいの?」


 マルセルくんの背中の広がりをペタペタと触っていると、生徒会室に入ってきたエルヴィン殿下がムッとした顔で近づいてきた。

「ハル、気軽にマルセルになんか触るな」

「なんでですか? 女性に気軽に触れているわけじゃないんだから問題ないでしょう?」

 殿下もムッとしていたが、僕も殿下のその言い方にムッとした。許可もしていないのに勝手に僕の髪に触ったり肩や腰に腕を回してくる殿下だけには言われたくなかった。


「エルヴィンもハルトに触っているのですから、人のことを咎めるのは違うと思いますよ」

 殿下の発言に疑問を持ったのは僕だけではなかった。コンラート先輩もまた、殿下の発言に異を唱えた。


「俺は王子だ」

 なんとも勝手な発言だ。こんなところで権力を出してくるのはおかしい。

 殿下とコンラート先輩が睨み合いを始め、殿下は王子だということを強調し、コンラート先輩は殿下には婚約者がいるのだから他者に触れるのは自重すべきと対立を繰り返している。巻き込まれたくない僕はそこから静かにフェードアウトしていった。


「マルセルくん、さっき格好いいって言ってきた女子がいたって言っていたけど、それは誰だったの?」

 僕はマルセルくんがアメリー嬢に恋に落ちるのを阻止できたのかどうかが気になった。その褒めてきたという女子がアメリー嬢なのではないかと思ったからだ。

 これで相手がアメリー嬢ならば、マルセルくんがヒロインに恋に落ちることを阻止したことになる。

「なんだったかな、フェッツ伯爵の令嬢の……名前は忘れた」

 アメリー嬢ではなかったようだ。マルセルくんは第一騎士団団長の子息なのだから、人気があって当然だ。体格もいいし、顔も精悍だ。いずれ団長の座は息子に引き渡されると言われているから、声をかけてくる令嬢も多いんだろう。


「マルセルくんは女の子によく声をかけられそうだよね。きっと狙ってる女の子は多いんだろうな」

 声をかけてきたのがアメリー嬢ではなかったため、これ以上は聞いても仕方ないと話を雑に切り上げようとした。

 しかし、マルセルくんは分厚い胸板の前で太い腕を組んで考え込んでしまった。何を考え込む必要があるんだろう? もしかして中にはしつこく付き纏ってくるような女の子がいるんだろうか?

 そんな子がいても、マルセルくんならどうにかされてしまうってことはないと思うけど、僕はマルセルくんのことが少し心配になった。


「ときめかない」

 マルセルくんがポツリと呟いた。

「ときめかないってなんのこと?」

「俺が褒められて嬉しいと思うのはハルトさんだけだ。他の女子にいくら褒められても全然ときめかない」

「そうなんだ……」

 思った以上にマルセルくんを日常的に褒めて、ヒロインが褒めにきても簡単に靡かなくするという計画は成功していたらしい。しかし、ヒロインに恋に落ちないのはいいとして、マルセルくんの恋の機会を奪ってしまっているのではないかと思うと、少し心苦しくもあった。


「それで気づいたんだ」

「うん。何に?」

 ジリジリと熱のこもった視線を向けて距離を詰めてくるマルセルくんに、僕は一歩後退した。

「俺はハルトさんのことが好きだ!」

「え? くっ……う……」

 驚いた瞬間にすごい力で抱きしめられた。逃げる暇もなかった。抱きしめられたというよりは締め上げるに近い。肺の中の息が全て押し出され、押し潰されてるせいで新たな空気を取り込むこともできず、苦しくてたまらない。


「マルセル! 何やってる、ハルを放せ!」

「そうですよ。ハルトが苦しんでいます。早く放しなさい!」

 殿下とコンラート先輩は言い争いをやめ、突然僕を力の限り抱きしめるという奇行に出たマルセルくんを引き剥がしにかかった。


「あ、そうか力を入れすぎた。ハルトさんごめんなさい。好きです」

「あ、うん……」

 ようやくマルセルくんは解放してくれたけど、語尾に余計な言葉がついている。

 ふざけているのかとも思ったけど、いつにもなく真剣な表情をしており、どうしたらいいのか分からなくなった。


「ーーということがあったんだ。ローゼ、何かおかしくないか?」

 結局有耶無耶にしてマルセルくんには何も返事をせず帰宅した。

「褒めたら簡単に恋に落ちるというマルセルの設定らしい展開ですね」

 ローゼは冷静だった。ローゼの中ではマルセルくんがヒロインに恋に落ちなかった安心感が強く、それ以外はどうでもいいとでも思っているんだろうか?

 いつも焦っているのは僕だけなのではないかと思うと、なんとも苦い気持ちになる。


「僕は男だけど……」

「だからなんですか? 男が男に恋に落ちることもあるんじゃないですか?」

「そう……かもしれない。僕は間違えたのかな? どうすればいい?」

「マルセルのことが好きならお付き合いすればいいですし、好きでないならお断りすればいいのでは?」

 ローゼはまた冷静に正論を述べた。困っているから相談しているのに……

 僕は大変なことに巻き込まれてしまったと今更ながら後悔した。


 これでエルヴィン殿下、コンラート先輩、マルセルくんの出会いイベントは全て阻止したことになる。それを喜べばいいのか、この先待ち受ける難題に泣けばいいのか、僕は複雑な気持ちを抱えることになった。


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