第12話 始まり
「ローゼ、緊張してる?」
学園の制服に身を包んだ妹の表情は硬い。僕も今日から始まるストーリーの開始に少し緊張していた。
「ええ、まあ……」
「それはどっちの緊張? ストーリーの開始? それとも新入生代表挨拶?」
予想した通り、ローゼは入学前試験で首席だった。それで首席だから挨拶を考えておいてくださいと二日前に学園から連絡がきたんだ。
「両方ね。挨拶は一瞬で終わるけれど、ストーリーは不安だわ。何が起こるか分からないもの」
「授業中はどうにもならないけど、生徒会室にいる間は僕がついているから大丈夫だよ」
「ありがとう、お兄様」
全校生徒の前で挨拶をするのは緊張するだろう。僕のこの緊張は違う。僕の緊張はどこで妹がヒロインとやらの呪いにかかって、人を虐めるような人間になってしまうのかということだ。
『新入生代表挨拶、ローゼマリー・クリスラー』
「はい」
生徒はローゼの名前を聞くとザワザワとした。その理由はエルヴィン殿下の婚約者となったからだ。
ローゼは成人前のため、婚約披露パーティーでしか姿を見せていない。生徒は未成年しかいないため、当然ローゼの姿を見るのはここにいる大半が初めてだ。しかし名前だけはみんなに知れ渡っている。
壇上に立ったローゼに、家を出る時の緊張した表情はもうなかった。堂々と挨拶を行うと、長い髪をサラッと靡かせて壇上から下りていった。今日も妹は可愛く美しい。そして首席になる程に聡明なのだから、どこからも文句は出ないだろう。大丈夫だ。
それでヒロインとやらはどこにいるのか。確か薄茶色の髪を腰まで伸ばしていて、目も茶色だと聞いている。彼女は準男爵の娘のため子どもの頃は平民だった。父親が何かの功績を上げて一代限りの爵位を賜ったのだ。
この国の貴族には茶髪はあまりいない。茶髪の者は平民がほとんどだ。後ろから新入生を眺めていたが、茶髪で髪の長い女生徒は数人いた。しかし後ろ姿だけではどれがヒロインなのかは分からなかった。
「ローゼ、後で生徒会室においで」
「分かりました。ではお兄様、後ほど」
入学式が終わると、妹に声をかけて僕も二年の教室に向かった。今年も僕は堂々のAクラスだ。ちゃんと試験では微調整を行い総合得点で三位という結果を出している。これで主席は殿下のものになったけど、殿下はそのことに一切触れなかった。順位を見ていなかったのかもしれない。
「ま、当然だがハルもAクラスだったか」
教室に入るとエルヴィン殿下が話しかけてきた。友人のクルトもエルマーもAクラスのままだ。中にはBクラスに落ちたりBやCクラスからAクラスになった者もいる。
「エルヴィン殿下、今年もクラスメイトとしてよろしくお願いします」
「ハルは今日も可愛いな。このふわふわな髪は触り心地がいい」
エルヴィン殿下は僕の頭頂部の髪を撫でながら言った。
「そういうことは僕でなく婚約者である妹にしてください」
「無理だ。女は髪を触ると怒るだろ」
それはそうだろうが、僕だって気軽に髪を触っていいと許可した覚えはない。
「妹を生徒会室に呼んでいます」
「ああ、分かった。あいつ場所分かるのか?」
「あ……」
せめて地図でも作って渡しておくべきだった。妹はこの学校のことをよく知っているようだから問題ないような気もしているが、生徒会室の場所までは分からないかもしれない。
「終わる頃に迎えに行きます」
「俺も行く」
エルヴィン殿下が迎えに行くと言ったのは少し意外だった。エルヴィン殿下が結構妹のことを大切にしているのだと思ったら少し嬉しくなった。
だが少し不安もある。一年の教室に行くということは、エルヴィン殿下がヒロインに会う可能性があるからだ。
僕には婚約者を迎えに行くという殿下を止めることはできないけど、せめて近寄ってくる茶髪の女には注意をしようと思った。
「あいつを迎えに行くぞ」
教室を出ていく殿下に慌てて追いつくと、僕たちは一年の教室を目指した。
「お? 魔法訓練場でさっそく練習している奴らがいるな」
「そうですね」
学園の魔力訓練場は魔法の練習のためにいつでも解放されている。高位貴族であれば訓練場を屋敷に作っている家もあるが、それ以外の者は魔法を練習する場合、私兵や冒険者の護衛をつけて森に行って練習するしかない。だから入学したての学生は魔法の練習をするために魔法訓練場によく集まるんだ。
「あらお兄様、どちらへ行かれるんですか? 殿下もご一緒なのですね」
訓練場の横を通っていると、向かいからローゼが歩いてきた。やはり生徒会室がどこにあるか分かっていたんだろう。
「生徒会室の場所が分からないと思って迎えにきたんだ」
「そうなの、わざわざありがとうございます」
「マルセルは見ていないか? あいつも生徒会室に連れて行こうと思うんだが」
エルヴィンが迎えにきたのは妹だけではなかった。マルセルくんも今年入学したため、彼も生徒会に入れるつもりなんだろう。
「お〜い」
妹の後方から手を挙げてこちらに向かってくる金髪の生徒はマルセルくんだ。
一年ほど前に騎士団で会って以来だけど、一年で随分背が伸びている。僕より背が高くなっていた。なんだか筋肉も前よりついた気がする。血筋なのかもしれないけど少し悔しい。
「みんな揃ったし行くか。コンラートはもう生徒会室にいるだろ」
四人で歩き出すと、魔法訓練場で叫び声が聞こえ、大勢の生徒が逃げるように飛び出してきた。
みんなで人の流れに逆らって訓練場の入り口まで向かうと、殿下が一人の生徒を捕まえて何があったのかと聞く。
「魔力暴走です。コントロールができなくなって火が……」
怯えた様子で話すまだ幼さの残る顔の男子生徒。この子はきっと新入生なんだろう。
新入生には、まだ魔力のコントロールが上手くできない生徒が多い。たまにあることだが、これほどみんなが逃げ惑うということは、魔力が多い者の魔法が暴走したのかもしれない。
「未熟な者が調子に乗ったんだな」
冷静にマルセルくんが言うと、その隣に立っていたローゼの様子がおかしいことに気づいた。顔から血の気が引いており小刻みに震えている。
「ローゼ、どうした?」
「早すぎるわ……イベントよ」
一瞬何を言っているのか分からなかった。
イベント……?
あ! エルヴィン殿下の出会いイベントか!
そう思い至った僕は辺りを見渡した。しかし近くに茶髪の女生徒はおらず、ヒロインらしき人物は近くには見当たらない。
ローゼの話ではエルヴィン殿下が婚約者を庇って怪我を負うんだったか? それで聖魔法で治癒している時にエルヴィン殿下が目を覚まして惚れるとか。
そんな単純な問題なのかと疑問が湧くが、とにかくこのイベントを回避しなければと思った。
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