放課後のなぜなに顧問

四月下旬。海野亘流《うんのわたる》は人がまばらになった夕方の職員室で一冊のノートと向かい合っていた。窓の外からは夕陽が射しており、安物のカーテンを容易に貫通してくる。


「こんなもんか…」


ノリとハサミを側に置き、一息をつく。

ことの始まりは昨年度にこの桐ヶ峰女子学園演劇部の顧問が突如身内の事情を原因にこの学園を去ったことが始まりだった。その後何故か海野が演劇部の顧問に抜擢され今に至るものの、正式には押し付けられたと言った方が適切だ。また、同時に高校二年という大事な時期のクラスの担当を押し付けられてしまったことで負担は倍になる。自身は今までしがない国語教師だったのになぜ。その思いが彼が当初感じた疑念であった。

海野の趣味はデータ収集だ。とは言えそれを利用して何かをすることは特にない。ただ集めることが、好きなのだ。今日は自己紹介も兼ねて演劇部に顔を出してきた。初手の感想としては“少女の花園”だった。何と言ってもここは女子校なのだ。


___


「海野先生、ですよね。部長の城ヶ崎です…!」

「副部長の上川です」

「演技指導全般担当の護です、よろしくお願いします」


初めに自身を出迎えてくれたのは小柄な女子生徒と高身長の二人の女子生徒だった。


「今年度から顧問になった海野です、よろしくお願いします。城ケ崎さん達とはこれから長い付き合いに_」

「先生、そろそろ部活始まるので」

「あ、うん…」

「こっちです、着いてきてください。後輩にも紹介するので」


不意に護に会話を遮られる。前を見れば城ケ崎の背後に上川と護が続き、部室へと向っていた。それはまるで二人が城ヶ崎を守っているような構図を想起させる。


(そこまで女子はくっつこうとするものなのか?)


海野にとって今時の女子の心境などはあまり分からない。その後は適当に部活の風景を見て終了した。職員室に戻り、海野はノートを開き今日の部活についての記録をとる。

「今日は…そうだな、今後の方針を聞いて…」

要点をノートに記していく。今はもう既に文化祭に向けて準備を進めている最中だ。今後は文化祭で培ったスキルを大会に活かすと言う方針だと言う。


「でもなあ、所詮は学校同士の演劇の見せ合いっこなんだよなあ」


城ヶ崎から借りた昨年度の大会のビデオを垂れ流しつつその際に撮影された部の写真を眺めつつ海野は率直な感想を漏らす。取り敢えず今代の最高学年についてのノートを作ろうと思い立ち、ページを捲り城ヶ崎らの名前と印象や動作から考えられる性格を分析して書き出していく。今日いた最高学年は全部で三人。あとの一人はどうやら欠席らしい。


「にしても…こうも女社会というか何というか…変なトラブルとか起きないといいけどなあ…」


近年、部活などでのいじめについての問い合わせは増えつつある。桐ヶ峰は昔からの伝統を大切にしている学校であるからしてそういった連絡が来るのは時間の問題だ。特に今日見た演劇部でも最高学年から下級生への指導は少し威圧的だったようにも思える。次年度はもう少し平和な部活の顧問になれますように。そんな期待を思い描きながら窓の外を見れば夕陽が沈みかけており、外はほとんど暗くなってる。気がつけば職員室にいるのは自分のみとなっている。そろそろ本気で仕事を終わらせなければ、とノートを閉じ、次の仕事に取り掛かろうとした瞬間電話が鳴る。


「はい、桐ヶ峰女子学園高等部です」

『今晩は、海野先生…ですか?娘がお世話になっております…あの、娘がまだ家に帰ってこなくて』

「お嬢さんが?恐れ入りますが、お名前の方伺ってもよろしいでしょうか?」


受話器からは男の声とすすり泣く女性の声が聞こえてくる。恐らく保護者だろう。最終下校時刻はとっくに過ぎている。こうなると些か面倒だ、と内心で頭を抱えつつ海野は冷静に対応する。


「先生、それうちの親」


その時不意に背後から手が伸び、海野の手から受話器を奪い取る。


「ごめんね、そろそろ帰るね。ごめんごめん」


適当に電話口で相手をいなし、突然現れた手の主は電話を切る。顔を見てみると自身のクラスの生徒だった。


「うちの親過保護何ですよ…あとこれ、演劇部の備品のDVDなので返しておいて欲しいです。自分帰りますんで」


若干強引にDVDを押し付けられたことに内心苛立ちながらも、生徒が無事に保護者と連絡がついたことに海野は若干安堵する。


「最終下校時刻、過ぎてるからね。親御さんに迷惑かけないように。帰ったらちゃんと謝るんだよ」

「はーい」


そして海野に生返事を返し、生徒はそのまま職員室を出て行った。彼女が出て行った職員室には再び静けさが戻る。クラスを受け持ち、同時に部活を受け持ってはや一ヶ月。まだまだ分からないことも多い。

この仕事が終わったら家に帰って明日にでも欠席した部員のことを他の教師に聞いて回ろう。そう思いながら海野は目の前のやり残した仕事に今日も立ち向かうのだった。

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